5. 孤独を感じるか
──ずっと独りで、寂しくありませんでしたか。
──いずれ結婚をしたい、という思いはありませんか。
第三者からの客観的かつ一般的な問いかけは、家族の力では開けないアニの脳内を見せてくれる。この質問は、アニの起こした事件に関心を持った新聞記者が取材に訪れた際に訊ねたものだ。この二つの問いに、アニは「いいえ」と即答していた。
中学3年生の時に脳梗塞を起こして以来、人知れず高次脳機能障害と共に生きてきたアニは、弟である夫の記憶では、高校、大学、社会人へと成長していくなかで次第に友人と呼べる人の数が減っていったという。
周囲の状況を見て行動をする、いわゆる空気を読む、という事が脳障害のため不得意なアニは、学校や職場での複雑な人間模様のなかで他者との関係を築くことは難しかっただろうし、その必要性さえ感じなかったのかもしれない。
アニの携帯電話に登録されている電話番号は2件、私と夫のものだけである。これまで電話帳に登録する必要のある相手はいなかったのだろう。本人に訊くと、スマートフォンはインターネットの閲覧を目的にした購入だったという。
一方で、アニは釈放後すぐに、隣町で購入した贈答用の品物を携え、近所の昔からの知り合い宅を訪問している。礼節を重んじる人だったという義母の教え通り、何台もの警察車両と数十人の警察官が押し寄せての騒動を詫びるつもりだったのだろう。突然の訪問を受けた知人たちは、後日、御仏前や仏花を届けてくれたが、アニが釈放されたことも知らなかったであろう相手の心中を察すると申し訳ない気持ちになる。心当たりのない御仏前と仏花の連絡をアニから受け、理由が分かった我々は、後日それぞれの家を訪問し、事件の全容と不起訴になった理由を説明してまわることになった。
アニは人との関わり方が過剰になってしまうところがある。親切にされたり、嬉しかったことなどがあると、その感謝の気持ちを伝え続ける。たとえ営業上のサービスや商品を売るためにかけられた言葉だとしても、アニにとって違いはない。感謝の気持ちは、条件反射のように単純で、紋切り型の言葉として発せられる。相手の状況や細かな内容に応じたアレンジはほとんど利かないため、言われた方は次第にその機械的なやりとりに違和感を覚えはじめるだろう。
そして、難しいのは、アニは相手の気持ちを推し量ることが苦手だという点である。数年前の出来事だが、アニがとある店の女性従業員にプレゼントを渡そうと、SNS経由でその店舗に執拗にコンタクトを重ねている履歴を発見した。結局はその店の男性スタッフが代わりに預かる、という結末を迎えるのだが、遠回しながらも明らかに拒絶している店側の返信に対し、痛々しいほどの独り相撲をアニが繰り広げている様子は、客観的に読んでも胸が詰まるものがあった。
アニはもうすぐ50歳になろうという年齢だが、その思考は脳梗塞を起こした当時と同じ中学3年生の少年とあまり変わらないように感じる。それは、幼さではなく、無垢、というのが近いかもしれない。
アニの勾留中、夫とアニの部屋を片付けていた時のこと、机の引き出しから日本赤十字社の募金の領収書が何通も出てきた。絶え間なく続くハードな肉体労働の対価として手にした僅かな給料の半分を生活費として家に納め、手元に残った小遣いから一度に5,000円ほどの募金額を捻出していたと思われる。
毎週末、我が家を訪れるアニは、私に小さなお土産を持参して来る事が多い。それはアニのために朝、昼、晩の一週間分の食事を作る義妹への感謝の気持ちなのだろうが、その品物はサンリオのキャラクターがあしらわれたピンク色のグッズだったり、テレビアニメのキャラクターのソフビ人形だったりする。私の趣味とは真逆のお土産に夫は閉口しているが、贈られた人形は台所の書棚に並ベ、たまに眺めている。
孤独を感じるには、世間から自分が疎外されているという意識がないと成立しないだろう。前述の記者への返答通り、アニは世間からの疎外感は抱いてはいない。自分を他人と比較して、羨んだり妬んだりすることはないし、世間の目を意識することもないので、逮捕されたことについても気にするそぶりは全くない。
アニは真夏以外は毎日午前中に自宅を出発し、夕方まで往復で10キロほどの距離を電車と徒歩を組み合わせて散歩しているが、その散歩の報告は実に充実したもので、携帯に残された写真や動画を見ると、気の赴くままに行く先々の出来事を楽しんでいることが分かる。外食をするのでもなく、たまに古本屋で数百円の文庫本を数冊買う程度の買い物をして帰ってくる。
アニは人生を自分のペースで歩んでいる。
私はアニが孤独だとも不幸だとも思っていない。
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