見出し画像

ジュリーJULIEジュリー

「土を喰らう十二ヶ月」と言う映画を14回見た。
最初に見たのは2022年11月13日で何がこんなに私を感動させるのか自分でも分からなかった。2回目は夫と一緒に見た。愛する夫と映画の感動を分かち合いたいと素直に思ったから。

映画を見た後、珈琲を飲みながら夫の感想を聞いた。「難しい映画だな」と一言。意味が分からなくて1年8か月もかかって撮影した自然の美しさや料理する場面、畑を耕す場面、印象的な手の場面等ジュリーが演じるチャーミングな場面を夫に懸命に説明したら「それはジュリーやからやろ」ハッとした。
 自分自身では全く感じてなかったジュリーへの愛の断面を思い出した。
当時大学も宝塚も卒業して気がつくと20代の頃お正月と言えばフェスティバルホールでほんの4~5年だったがジュリーの美しさに酔いしれていた。時は流れ、気がつけば私自身が半世紀以上生きていた。その間に結婚して子育てや夫の人生の付き合いもしてそろそろ自分の時間が持てる頃に『人間60年ジュリー祭り』の話を聞いた。ファンクラブにも入っていない。チケットの取り方すらよく分からない。知り合いの知り合いのツテを頼んで京セラドームの所謂関係者席なる所で何十年振りかに圧巻の80曲を歌い上げるジュリーに感動した。
この時にジュリーに戻るタイミングだったのにジュリーに戻らなかった自分が情けない。
その後14年間は後に四代目市川猿之助となるの亀治郎に夢中だったのだ。ザ・タイガースのコンサートも行かなかった全くジュリーに気持ちはが無かった訳ではない。バンドでのライブや古希ライブも行ってるのに50周年は行ってないと言うなんとも中途半端なジュリーファンだった。
映画の後『まだまだ一生懸命ツァー』がフェスティバルホールであった。本来9月に行われるはずだったが延期になり11月21日に振替公演となった。映画のツトムジュリーは素敵な俳優だったがライブで見たジュリーは青春の時を共にしたジュリーのままだった。年は重ね衣装も早川タケジさんから離れジュリー曰く吊しの衣装だがいきなりジャストフィットから始まるパワフルな声にしびれてしまう。そこには確かに夢中になって胸を焦がしたジュリーがいた。一気に青春が蘇った。

ザ・タイガースの解散は1974年の1月24日。私は18才で当時はタイガースもジュリーもTVで見る人達で宝塚村の住人だった。大学へ行くより宝塚で入り待ち出待ちで大半の時間を過ごしていた。大学卒業と共に宝塚も卒業して誘われてジュリーのコンサートに行ったのが初めての出会い。白くヒラヒラした衣装のジュリーの美しかったのは今も脳裏に焼き付いている。
 ジュリーがジュリーのまま年を重ねてチャーミングなアーティストとして輝く存在になっている。色々な葛藤もあったりだろうと想像するけどTVも卒業してアクトシリーズの舞台も終わらせた。映画に出演してくたジュリーに感謝。
遅まきながら離れていたり時間のジュリーの勉強を始めた。

本当に色々あったのだと思う。ジュリーと共に長い時間を共有してずっとジュリーを支えて来られたファンの皆さんは強い信頼でジュリーと結ばれている。たくさんの思い出がある。

私にはジュリーの思い出はほとんどない。これから何年間ジュリーと生きていられるのか分からないがまずはさいたまスーパーアリーナのジュリー最後のお誕生日コンサートを私のジュリー元年と位置づけてこれからジュリーとの思い出を作って行きたい。
#沢田研二
#ジュリー
#JULIE


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?