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バスターミナルの乞食をみて思ったこと

 マレーシアにも乞食がいます。クアラルンプールの町中では比較的見かけません。ところが、クアラルンプール南部にあるバスターミナルTBSに行くと結構見受けられます。

 このターミナルと電車の駅の間には橋がかかっているのですが、そこにはいつも何人かの物乞いと目の見えない物売り(そのほとんどがポケットティッシュ売り)がいます。今回、何回かここを通ったのですが、この電子決済の時代の中でこの人たちは将来どうするのだろうかと考えてしまいました。

 マレーシアの地方ではまだまだ現金社会なのですが、クアラルンプールやペナンといった都市では、電子決済が主流になっています。先週、4日ほどクアラルンプールにいましたが、現金を使うことはありませんでした。今回はわざと財布の中は5リンギだけ入れておいて、現金を使うことがあるかどうか試してみましたが、結果はまったく使いませんでした。マレーシアは中国と同じく、お札の姿が減っていく社会になってきています。

 一方で、この橋の乞食や物売りたちには現金が必要です。TBSのティッシュ売りは目が見えないので、直接現金(1リンギ)を渡します。また、乞食も何人かおり、箱の中にいくらかの現金が入っていましたが、果たしてこの電子決済社会になっていく中でこの人たちはどう生きていくのでしょうか。

 電子決済をするということは、必然的にスマホを持っていないといけません。そのスマホを通じてお金のやり取りをしていくことになります。

 しかし、乞食や物売りたちはスマホを買えるだけのお金もありません。マレーシアでスマホは安い中古で200リンギほどでは買えますが、それすらも彼らは買うことができないでしょう。

 となると、人々が徐々に現金を持たなくなると、この人たちに渡る現金も減るということになります。そうすると、この人たちはやっていけなくなってしまう。

 もちろん貧しい人や乞食を支援する市民団体はいくらでもありますが、果たしてこういった市民団体は乞食たちにスマホを支給するでしょうか。日本ではそういったサービスをしている団体があると前にテレビでやっていましたが、マレーシアはまだまだそこまでではありません。

 となると、自力でなんとかしないといけなくなります。

 以前に友人にきいた話ですが、ロンドンでは同じように現金を使わなくなってきているので、乞食は銀行口座番号を書いた紙を道ゆく人に渡していたとか。現金が使われなくなる社会になるとそういうことになるのでしょう。

 目の見えないティッシュ売りはどうするのでしょうか。物売りなので、スマホを買うお金はあるかもしれませんが、いかんせん目が見えない。となると、アプリで入金が確認ができなくなります。入金したときに音声でも流せるようにすればいいのかもしれませんが、マレーシアのアプリはそういった機能があるのかどうか。目に不自由のある人にとってスマホはまだハードルが高い。

 いずれにしても、この電子決済の波は多くの人にとって便利になってきていはいるものの、弱者にとっては逆に脅威になっている気がします。個人個人ではどうすることもできませんが、政府がこのあたりのことをどう解決していくのか。日本のように生活保護はマレーシアにはありません。となると、乞食も物売りもどうしたって自分で現金を得ていかなければならないのです。さらに、現金自体が消滅していくと彼らは立ち往生することになります。

 マレーシアでの貧困層はB40と呼ばれ、月の世帯収入が4850リンギ以下の人たちを指します(世帯収入はもっと低い気がしますが)。BはBottomで総人口の40%にあたる人たちがこの層になります。さらにその中で「極貧層」というカテゴリーがあり、2019年の時点で国民の5.6%がこれに相当するようで、「ブミプトラ」つまりマレー人の極貧層が最も多い。月の世帯収入が1169リンギ以下の人たちを指すようですが、果たしてこれに乞食は含まれているのか。政府は住居がある極貧層だけを数えているのではないでしょうか。数えられていない乞食を含めると極貧層の割合はさらに大きいのかもしれません。

 貧困層の収入を引き上げることは政府が賢明に進めていますが、電子化の波についていけないと彼らもどうしようもありません。特にスマホを持たない限り、電子化には乗れないわけで、そこが大きなネックになっていきます。

 政府もこれには気づいているようですが、さて、スマホを仮に支給したとしても今度はネット代は自分で支払う必要があります。仮に政府がそれも負担して使ってもらっても、果たして教育レベルの原因もあって、スマホを貧困層は使い切れるのかという別の問題もあるような気がします。電子化はこれまでのコンセプトとは異なったものなので、彼らにとっては完全に異次元世界。その異次元世界にうまく対応できればいいですが、そういう感性があれば、貧困にはならなかったと思います。

 さて、これはマレーシアに限ったことではありません。東南アジア全体の乞食にも言えることで、日本も例外ではないのでは。社会全体として電子化の時代の貧困問題をどう解決させるのか。答えを出さないとさらに貧富の格差は広がっていく気がします。

 

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