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総選挙直前 マレーシアの政党を紹介 3
政党の紹介最後となる3回目はサバ州とサラワク州の政党の紹介です。この2州は少数民族を多く抱え、マレー半島とは違った民族構成が特徴です。そのため、マレー半島とはまた違った政治活動も繰り広げられています。多くの両州には多くの政党がありますが、ここでは各州2政党ずつを紹介します。
サバ州
人民復興党(Warisan party)
![](https://assets.st-note.com/img/1668788515519-vFQup4OF3n.png)
サバ州議会で単独政党として最大の政党。
サバ州には多くの少数民族もいることから多民族に門戸を解放した政党として知られます。2016年に「サバ復興党」から再ブランドして現在に至ります。
2018年の総選挙で希望同盟(PH)に参加し、国政で与党となりました。しかし、2020年には党首であるシャフィー・アクダル州首相への造反が州議会で起き、同州首相は議会を突如解散。79議席中18議席を確保し、州議会第1党となったものの、サバ州民連盟(GRS)や国民戦線(BN)の連合体が州政権を担い、下野していました。ちなみに、この州選挙で全国に新型コロナが拡大しました。
国政ではPHの政権が崩壊した後に同党はPHから脱退。どの連立政党にも属さず、単独で政治活動を行っていますが、PHとは連携を取っています。
人民復興党はサバ州の地域政党ですが、2021年にはマレー半島への進出を開始。与野党から複数の議員を引き込みました。2022年3月に行われたジョホール州議会選挙では6人を候補を立てましたが、全員が落選。厳しい結果となりましたが、今回の下院総選挙ではマレー半島も含む全国で51人を立てています。
この党は創設当初からシャフィー・アクダル氏が切り盛りしている党ですが、今後後継者にも焦点が向かいます。
サバ団結党(United Sabah Party: PBS)
![](https://assets.st-note.com/img/1668788600297-usKSPSWwzb.png)
この政党は1985年にジョセフ・キティガン元州首相によって創設されたサバ州で最も古い地域政党。同州の少数民族カダザン・ドゥスン族が中心の政党で、ムルト族やバジャウ族の多くに支持されています。サバ州の自治と州の権利を保護することを最大の使命としており、各民族の伝統文化やマレーシアの信仰の自由も訴えます。
ジョセフ氏はもともと当時の州政与党「サバ州民連合戦線(BERJAYA)」(1991年に解散)に所属していましたが、党内での意見対立で離党し、PBSを結成しました。
1985年の州選挙で勝利しましたが、翌年に州内で暴動が発生。このため、同党は当時の国政与党「国民戦線(BN)」に参加し、州内政治の安定化に努めました。
しかし、1990年の選挙ではBNから離脱し、独自に他党と連合を組んで、州選挙を勝ち抜きましたが、その後またBNに参加するという有権者からはわかりにくい動きをします。
2018年の総選挙ではBNに参加政党となっていましたが、政権交代となるとすぐにBNを離脱。州内で単独の政党では支持が広範囲にいかないことから連立政党「サバ州団結連盟」を創設し、2022年にはサバ州民連盟(GRS)の中核政党となります。国政ではムヒディン元首相の「国民連盟(PN)」や「国民戦線(BN)」とも連携して政治活動を展開していますが、風見鶏的な政党であることも否めません。なお、サバ州議会には7議席、下院には1議席しか勢力がありません。
先に説明した人民復興党とは理念や民族文化の違いから相容れないようです。
サラワク州
統一ブミプトラ遺産党(Parti Pesaka Bumiputera Bersatu: PBB)
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サラワク州最大の地域政党で、右派寄り。この政党は3党(サラワク国家党、サラワク州民戦線、サラワク州民遺産党)が合併してできた政党。ブミプトラの生活向上と保護を目的に1973年に結成されました。
マレー人や少数民族を含めるブミプトラを中心とした政党ですが、党内はイスラム教徒と非イスラム教徒のグループに分かれています。現在のアバン・ジョハリ党首(州首相)はイスラム教徒で、副党首のダグラス・ウガー(州副首相)はキリスト教徒。宗教的なバランスが党内で取られています。
結成直後から党内では主導権争いが起こります。初代党首は2年ほどで退任しましたが、1975年にアブドゥル・タイブ氏が党首に就任。しかし、アブドゥル・ラーマン初代幹事長の甥であるタイブ氏はラーマン氏から副党首にさせるよう要求を受け入れて、これを呑んだ後にラーマン氏に党首を譲りました。3年党首を務めた後にラーマン党首は再び甥のタイブ氏にこれを譲り、タイブ氏は1981年から2014年までの33年間にわたって党首を続けました。2014年から17年までのその義理の兄弟が党首でしたが、この一家は約50年にわたって党の要職を占めていたことになります。現在のアバン・ジョハリ党首は2017年に就任しましたが、タイブ一家とは血はつながっていません。
2018年の政権交代はPBBにも大きな影響を与えた。それまで与党BNに加わっていましたが、この政権交代と同時に離脱。サラワク州の地域政党「サラワク連盟党(GPS)」を立ち上げて、国政与党とは一定の距離を保っているようです。最近ではBNと関係を維持し、サラワク州の利益・恩恵に努めています。
下院ではこれまで14議席を確保。サラワク州議会では82議席中47議席を得ています。
サラワク人民連合党(Sarawak United Peoples' Party: SUPP)
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SUPPは華人を中心とした中道右派の政党。まだ英国植民地化の1959年に立ち上げられた政党で、サラワク州最古の政党です。
1959年に制定された英国による「サラワク憲法」がサラワクの人が期待していた内容とはかけ離れていたことから、これを機にSUPPが創設されました。同年にあった選挙ではSUPPが圧勝。1961年に「マレーシア連邦構想」が持ち上がったとき、SUPPはこれへの加盟に反対し、サラワクの独立を訴えました。
しかし、まだサラワクを支配していた英国政府はSUPPを弾圧します。党員には華人が多かったことから共産党との関わりも指摘され、一部指導者はサラワクから追放された人もいました。1963年に行われた選挙では勝利できずに下野。1965年にはマレーシア連邦にサラワクが州として加盟し、今に至っています。
1969年には州議会選挙がありましたが、人種暴動のため凍結。翌年の選挙でSUPPはこれまでの最多数の票を獲得しましたが、過半数には至らず、その後にマレー半島のBNの誘いを受けてこれに加盟。2018年まで与党側に与しました。
2018年の政権交代時には他の政党と同じようにBNを離脱。現在は先に説明したPBBとともに地域政党「サラワク連盟党(GPS)」に加盟しています。サラワク州議会では13議席を確保しています。
SUPPの党員は、少数民族も加盟していますが、主に華人。創設から党首は華人が占め、サラワク州の人口約17%の華人の意見を吸い上げています。
マレーシアの総選挙は11月19日のきょうです。今晩には大勢が判明しますが、どの連立政党も過半数は難しいようです。連立政党の連立政権という形になると思われますが、さて、次期首相には誰がなるのでしょうか。新首相によって政策もがらりと変わるため、国内外から注目を集めている選挙です。
(写真)クアラルンプールでも掲げられたサバ州の地域政党、人民復興党の旗(白)と与党・国民戦線(BN)の旗(青)。
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