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今さらですが、自己紹介

 このnoteは、さるお方からの勧めで2019年から始めていますが、過去の記事を見ていくとまったく自己紹介をせずに始めていました。すいません。プロフィールには短いプロフィールがありますが、もう少し詳しくここに書くことにしました。

 僕は生まれも育ちも東京です。大学までは東京におり、運良く卒業後にインドネシアに新卒で就職。最近(!?)知ったのですが、僕の時代は就職の「超氷河時代」だったそうです。そんなときに海外で新卒で働き始められたというのはまったくもってラッキーだったとしかいいようがありません。

 大学4年のときは就職活動はまったくしませんでした。その時は卒論のために内戦のボスニアを含む旧ユーゴスラヴィアを周り、卒論が完了した4年生の12月ごろに「さて、卒業したらどうするか」とのほほんとしていました。ヨーロッパの大学院の修士課程に入りたいとも考えていましたが、そんなとき大学の友人から「インドネシアで新聞社の求人がある」と誘われて、編集長の方と何度かお会いして入社したのです。

 インドネシアで邦字紙の新聞記者になって5年ほど滞在。その間にインドネシア語を身に着けて今に至りますが、現在マレー語ができるのはここで基礎ができていたためでした。

 その後タイにも1年ほどブラブラし、タイ語もそこそこ習得。シンガポールやフィリピンにも一時期住み、東南アジアのことをもっと知りたいと思ってこの地域にずっと携わっています。そんな思いがあったのか、成り行きでマレーシアのマラヤ大学で東南アジア史の博士号まで取るに至りました。今はマレーシアに住み、あまり域内に赴いていませんが、近隣諸国には新型コロナ前までは頻繁に行っていました。
 
 マレーシアでは通訳翻訳業をずっとこなしています。そんな経験から日本ではなかなかお会いできないVIPの方やマレーシアの王族や政治家の方ともこれまでお会いすることができました。この仕事を始めたときに一番最初にお会いしたのはマハティール元首相という幸運にも恵まれました。

 また、マレーシアの某新聞で新型コロナのパンデミック時には3年間にわたって毎日マレーシアの記事を配信する仕事もしました。このときにマレーシア首相の記者会見内容を迅速に配信することもでき、マレー語ができなければできなかった仕事だなあとも自負しています。これがきっかけということもあって、マレーシアを深く知る機会にも恵まれ、そのときに思考したこともこのnoteでも綴ってきています。

 通訳翻訳で使う言語は英語、マレー語、ときにインドネシア語の通訳翻訳です。ただ、通訳レベルではないものの、北京語、タイ語、カンボジア語もこなすので、これまでの勉強の経験からどうしたら日本人はもっと外国語に流暢になれるかという視点から語学学習関連の記事も配信しています。現在はかつて勉強していたフランス語をリスキニングしています。

 僕はもういい年になったのですが、まだまだやりたいことはあります。翻訳はずっとやっていきたいですが、語学関連のビジネスをしていきたい。マレーシア関連の本も出版したい(実はもうしているのですが著者名は出ていません)。英語でブログを始めたいし、5~10年後には英語のエッセイストでやっていきたいという思いもあります。また、まだ練習中ですが、ピアノでシャンソン伴奏をできるようにして、ベトナムやカンボジアのシャンソンバーで弾きたいというよくわからない夢もあったりします。

 このnoteではできるだけこれまでの経験も含めて東南アジア、マレーシア、語学学習を中心にいろんなことをお伝えしていきたいと思っています。今さらですが、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

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伊藤充臣
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