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マレーシアはなぜ多民族社会なのか
マレーシアは典型的な多民族社会です。マレー人や華人、インド人の三大民族やカダザン族など少数民族のほか、現在はさまざまな近隣諸国の人たちも出稼ぎに来ています。各民族が独自の文化を維持しながら生活するという、独特で複雑な社会なのです。
84もの言語が話されていたマラッカ王国
多民族社会の原型はすでに15世紀に成立したマラッカ王国にあります。この王国はスマトラ島で栄えたスリウィジャヤ王国の王子により建国され、その配下たちなど「マレー人」が主で当初は人口1000人ほど。その後は貿易の発展とともに人口は十数万人にまで到達。
周辺諸国や中国、インド、中東の貿易商人が激しく往来し、当時の記録によれば、マラッカでは84言語が話されていました。居住した貿易商人も多く、自ずと出身地による共同体が成立。輸出入商品の価格の算定などや民族間紛争の調停をした4人のシャーバンダルは、各自担当地域に分かれ、地域代表として外国人商人から選ばれていました。
同じ土地にいながら住み分けしていた三民族
マラッカは1511年にポルトガルに陥落し、1641年にはジョホール王国のスルタンの支援を受けてオランダが占領しました。当時のマラッカは「マレー人」が多くいたものの、中国人人口は激減して細々と暮らしていたようです。1786年に英国人フランシス・ライトがほぼ無人のペナン島の領有宣言をすると、どこからともなく中国人らは早速入島し、8年後には約3000人が住んでいました。
19世紀にはマレー半島が英国の植民地となり、大量の移民が到来。世界経済に組みこまれたマレー半島はスズ鉱山やゴム・プランテーションが展開されます。労働者として中国人やインド人が動員され、多民族社会が本格的に形成されていきます。
中国人はスズの世界需要の増加とともに、労働者として中国本土から年間数万人~数十万人が渡来。スズは石油缶や兵士のための缶詰などとして、戦争の一道具に使われたのでした。また、スズ鉱山採掘の発展で生まれたのがクアラルンプールやイポー、タイピンといった町なのです。中国人たちは鉱山周辺やこういった都市部に住みました。1941年の統計では、マレー半島の中国人人口は238万人近くに達し、マレー人人口を10万人も上回りました。
また、20世紀初頭に米国での自動車産業の発展で、タイヤに使うゴムの需要も激増し、ゴムのプランテーションも拡大しました。インドのインド人労働者は年間数万人単位で渡来し、ゴム採取に従事しました。彼らはほとんど農園内に居住していたのです。
一方で、マレー人は自給自足のため農業や漁業に従事。ジャングルで道路がなく、河川や海を使って舟を主な交通手段としていたため、河川周辺の村に主に住んでいました。
つまり、マレー人はジャングルの中の村、中国人は都市部、インド人は農園内にそれぞれ当初は自然と住み分けられていました。言葉や生活習慣の相違から互いに共有するものがほとんどなく、職業も生活空間も違ったことから同じ土地にいながら、異った世界に住んでいたのです。
植民地統治を経て独立へ
太平洋戦争時には日本軍がマレー半島を占領。軍政はマレー半島でも中国人を敵視して強硬な態度を取りました。一方で、マレー人とインド人に対しては懐柔政策をとって、中国人に対抗させるよう仕向けました。しかし、食糧不足などで一部では民族を超えて、日本軍に対抗するため、中国人主体のマラヤ人民抗日軍に参加する人もいました。
戦後復帰した英国は、マレー人の伝統的な「よりどころ」であるスルタンの廃止や移民の中国人やインド人への市民権の付与などを盛り込んだマラヤ連合を導入しました。三大民族を平等に扱ったため、マレー人はこれに猛反発。彼らは1946年に統一マレー人国民戦線(UMNO)を創設し、それまでの「クダ州マレー人」といった州単位の意識(日本でいえば、長州人や薩摩人といった意識)が、マレー半島全体のマレー人意識に変わっていきました。
1957年に独立したマラヤ連邦、1963年に結成されたマレーシア連邦といった民族を超える政体ができたにもかかわらず、インドネシアとは違って、マラヤ人やマレーシア人という意識はほとんど芽生えず、今でも希薄です。互いにそれぞれの文化と強固のアイデンティーがあって、同化が難しいのです。
現在のマレーシアには三大民族とボルネオ島の少数民族、さらに出稼ぎ労働者が300万人(不法も含める)、難民15万人も存在し、60カ国以上の人たちがこの国に住んでいます。マレーシアは、各共同体から成る多民族社会なのです。
写真:王宮とクアラルンプールの町並み
「マレーシア・マガジン」より
http://www.malaysia-magazine.com/news/23743.html
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