われ絵画講師なり その5

絵画講師になり始めの頃、今でも印象に残る生徒さんが沢山おられました。その中のお一方、講師は指導、生徒が質問の関係が半ば喧嘩のようになってしまった生徒さんがおられました。今回はその方とのやりとりから、絵を描く人が直面する課題についてのお話です。

その方はどちらかといえば初心者濃度の高い方で年配の男性でした。
マニュアルを与えてもその内容を確認することもなく好き勝手に描いていき、講座が終わると怒涛の質問攻めが始まります。

その中で特に印象が強い内容があります。
「絵の中心がわからねぇと描けねぇ」
その方の言葉で今でも再生される強烈なワードです。

私は講師の立場から考察しておそらく消失点についてのお話だったと思い、消失点の定め方を改めてプリントにて解説し、それで話は済んだと思いました。
解決はせずとも、疑問点の補足はできると確信したのですが、その生徒からは
また同じ言葉が繰り返されます。
「絵の中心がわかれば描けるはずだ」
消失点のことではなさそうだ、と長考に入りました。

さて、今でこそ、このような問いがあった場合、多角的に答えを用意し、
マインスイーパー的に爆弾のありかを探っていくところですが、
それにしてもヒントが少なすぎる。
そもそも、絵の中心とは?と自問自答をしたのです。

この問題はそのときの生徒の質問の内容がどうだったかというより、根が深い問題だと思いました。

どこに中心を置くか?という問題は作者の意図として不可欠なものだと思います。どこにその人の中心的意識があるか、それをどのように表現するかが絶対必要となります。どんなに些細なことでもほんの少しのこだわりがあるかないかは、作品において大きなポイントとなります。

講師や、作家は当然それを見る能力に長けています。
そして、どうしたら中心的意識を具現化できるかも、日頃の研究にてわかっています。

作者として理想的には、まず中心的意識を持って持続的に制作する方が良いと思います。
技術だけを習得しても、表現する方法がわかっていても、中心をどこにおいたかが不明瞭であれば、それは不完全なものになり得るからです。
ですがなかなかそれがわからないという方もいます。
当時の生徒のように「中心を教えろ」と強引に聞き出そうとする方も少なくはありません。ですが、それこそ「あなたの中にあるもの」なので、口出しにくいものだったりします。

講師は「自分の絵を描きたい」という希望に対して、そのメインになるものを他者が決めるべきなのか問題をいつも抱いています。

教える上では、メイン(中心)となるものを設定して教えることの方が多いのですが、まず持ってそのメインにするものをどうやって決めるかというのが個性の範疇であり、それを磨き続けるために指導するのが講師なのではないか。それこそが理想的な形ではないか、ということです。

ですが、初心者から技術的に上達するまでは、講師が中心の設定を余儀なくされます。そうでなければ、希望した絵画制作に至るまでの道中でおおよそ挫折することがわかっているからでもあります。
それほど個人的な意思表現と個人的な技術習得は別の場所にあるのです。

講師としては個性を尊重したいが、技術習得には個性の尊重とかけ離れた指導をしなければならないのは今でもあまり変わっていません。
だからこそ、できるだけ個人の希望を尊重する形で、しかしながらこちらの設定した中心を意識させるよう指導するようにしています。これはお互いのための最善の折衷案だと考えています。

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