わたしが絵画講師になるまで その7

今までの内容をおさらいしてみます。

大学を出てすぐついた街の絵画講座で訪れた、講師としての迷走。

生徒の一言で決まった方向性

多人数への講義のため必要に迫られて作成したマニュアル

マニュアルの質を見直し独自に開発。

成果を設定したことによる、運用方法を考案

と、だいたいここまでが前回までの内容です。

今回は、マニュアルをもとに少しずつ講座の内容も変わっていったというお話。


マニュアルの行程は前回までにも色々書いたが、生徒が結果的に理解でき、認識をできる、というのが前提としている。それは講師にとってはいつでもどんな時も利用可能な『便利なもの』なのではなく、あくまでも生徒が理解しやすいように誘導する、という方針のもとなのである。

しかし、誘導した手順通りに進めない生徒も少なからずいる。
誘導自体を誤解、または曲解する生徒ももちろん居るだろう。

何を成果とするか、をとことん考えた。
講師の得たい結果を与えるのでは取りこぼし過ぎてしまう可能性があった。
誘導から外れるパターンを事前に想像するにも限りがある。
何よりも想定して作るのが難しく、楽な方に流れようとしていた。
講師の求める成果に誘導する方向性。

それでは『独自』のマニュアルに意味がないように感じた。
「描き方がわかる」だけではマニュアル自体存在意義がないと。

なぜかといえば、そのようなマニュアルはどこにでもあるからなのだ。一般的に教則本などは定められた成果を示してあり、どこか押し付けがましい。その教えが「難なく理解できる」ならば意味のある「学び」に繋がるのだろうが、「理解出来ない」場合の対処策は設けられていない。狙った通りの成果が出なかった場合の対処まではどうしたってフォローすることはできないのだ。

商業的に作られた教則本であるから、販売成績のみに焦点を当てれば、その教則本の効果がどうであるかは問題ではない、というような本は多数存在している。それでは改めて作る意味はないと考えた。

私の独自製法のマニュアルには商業的な教則本ではできないようなこと、「できるだけ課題の内容を大きく捉えておく」ことが重要だと考えるようになった。

マニュアルは一本の木のように

一つの課題が一本の大きな木だと仮定する。
一本の大きな幹をしっかり指導し、それ以降は生徒たちが想い想いに進んでいく。そしてその道は幾多の枝葉ということになる。

講師はその枝葉がどこに、どのように出るのかをあらかじめ考える必要があると思うが、想定できないようなこともままあるのだ。

故に、どのような枝葉をつけても、大元の幹の部分だけでもしっかりと立っていれば、それ以上の展開はあえて考えないスタンスを取る、
というスタイルにしたのだ。

もっと簡単にいえば、行程の内容自体が完成を予期するものではないということなのだ。誠実にマニュアルに沿って作業しても結果的には生徒各々の理解の深度により完成図が変わるような作りにしたのである。

すると、一つの課題をこなした生徒各々がその中から枝葉を育てていくことによって独自に描き進んだ感覚を得ることができるようになったのだ。
いうまでもなく、事実、課題の結果がさまざまな形で現れるようになった。

私はその幾多の結果を感覚的にリスト化しパターン解析をしつつ別の講議で運用する。
そして、さまざまなパターンをもとにそのマニュアルをマイナーチェンジし、より枝葉を伸ばしやすい形へと改定していく。

これこそが現在進行形での大きな形となったのである。

絵画講座は一人じゃできあがらない

生徒は課題を真面目にこなしても、ほとんど必ずと言って良いほど他の生徒とは同じような結果にはならない。しかし、それによって一つの達成感を得ることができる。自分と他人の表現力や技術の差を確認でき、客観的に作品と向き合うことができるのだ。

対面式の絵画講座には最大、最高のメリットがある。
それは他人との比較。上下での比較ではなく、認知としての比較ができる。
生徒それぞれが伸ばした枝葉が自己の向上、そして他人との比較を生むことが分かったのである。

私はマニュアル式講義を実施することで、より比較をしやすい状況を作れたのだと思っている。
それによる、副産物は習得スピードがマニュアル式講義を実施する以前よりも格段に上がり、さらに、生徒それぞれの個性的な部分が早々に開花し始めることにも気が付いた。

そして、何より課題の独自視点での構築をためらわずに進めることで、私の視野が広がる効果があると感じた。

常に指導の大元はマニュアルの行程として維持し、枝葉のランダムな伸び方を想像し続けることで、指導内容自体も格段に質が上がっていった。

結果的に一つの方向性や画材の選定だけではない、全般的な絵の書き方を意識し続けるという講師にとっての「学び」へと昇華していったのである。

生徒の「学び」と講師の「学び」が釣り合った時、お互いの質は想像を超えたところで帰結できるかもしれないという希望、それこそが講座を常に運営し続ける糧となるということがマニュアル式講義の大きな成果となったのである。


今回はここでおしまいにします。

ありがとうございました。

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