わたしが絵画講師になるまで その2
その1では私の絵画講師になりはじめた時期の混乱を書きました。
それは、今の状態のためには必要不可欠な混乱だったわけですが、当時は本当に混乱に次ぐ混乱の連続でした。
2回目の本項では混乱をどう切り抜けたかを書きたいと思います。
わからないことがわからない
「意味がわからない」と言われたことで現実に引き戻されたのはそれはそれとして、問題は何の「意味がわからない」かであった。
わからないことがわからない、それが生徒さんもそうだが何より講師もそうであったわけだ。
まずはどこから始めるべきか考えたが、それすらもわからず、投げやりに、乱暴に、無計画にそのすり合わせをすることから始めたみたのだった。
わからないの内容で初めにわかったのは予備校で「感じ取れ」と教わった陰影。陰影を見るとは、基本として「観察する」しか方法がないのだが、石膏デッサンなど白くて形が複雑なものを長時間見続けない限り、たとえ観察を続けてもどれが陰影なのか分かりにくいのだった。
予備校時代、石膏を齧り付くように観察し、教官に「考えるな感じろ」を定期的に投げつけられた結果、備わった技能は、陰影の判別には『よく観察すること』よりも前に決めてかかることから始めるということだった。
上から光が降り注ぐなら側面や底面には必ず影がある。それをろくに観察もせず、感覚的に描き込んで、その上で観察し、考察、見比べ、試行を続け、描き進んでいく。
もとより感覚的な裏打ちがあっての技能で、たとえ知識があったとしても簡単にはいかない部分だったのだと今では感じている。
それらを、趣味で絵を描きたい、何か身につけたいと思い絵画教室に通い始め、技能や知識をこれから学ぼうとしてる生徒さんに、講師の主観的な技能として教えたとしても、私と同じような感覚はならない。基本に忠実によく観察してから描き込む、くらいしかできるわけもないのだ。
この部分に大きな違いがあることがわかった。
そして、これこそが生徒さんの「わからない」だったのだ。
では、この項目をまず解決しよう。
陰影の有無を感覚的に決めてかかる最初のアプローチの仕方に匹敵する、誰でも実践することができそうなものとはなんだろう。
例えば、モチーフをカメラで撮影し、白黒変換コピーをして灰色と黒の部分を見つけ、それがどこにあるかをまず観察してもらえばよいのではなかろうかと考えた。
結果的に、「とてもよくわかったし、それまで先生がおっしゃってたことに裏付けができて、もっといろいろと学びたい」というありがたいお言葉をいただけた。
あぁ、良かった、わかってもらえて。
いやいや、事はそう単純な話ではない。
プロセスの違いと結果論
理解できたとしても、その解決方法は元の考え方とは全く違うというものだった。着地点は同じようなところかもしれない。
だが、プロセスは全く違うのだ。
これは困ったぞ。新たな難敵の出現に身震いした。
理解はしてもらえるが、今度は教えそのものの軸がブレてしまうような気がしたからだ。
どうしたものかと、しばらく考えたが、結果が同じようであれば問題ないのではないかと思うようになった。
この気づきが第2の大きな転換点だった。
ここまでをまとめてみる。
講師が持つ技能を直接教えるのではなく、噛み砕いて、やり方自体をより分かりやすい方法に変換、代用して教える。
『これだ。これしかない。これが講師として教えるための心得なのだ』と確信した。
その上で思ったのは、常に、やり方の試行錯誤は続けて行かなければと思ったし、その方法論はちゃんと記録し、生徒各位にも同一の認識を与えるために配布できる何かを作った方が良いだろう、とあらかたの指導要領が決まったのである。
マニュアル配布式の考案
その頃、市の企画で同時に30人近い未経験の方に教える機会があった。
一人一人のやり方を見ていては埒があかないと安易に予想できた。
それまで受け持った講座では5、6人。多くても10人前後で、ほぼ何も教えられず、ただただ対症療法を試みるだけの状況だったからだ。
そこへマニュアル配布式を試してみようとなった。多人数を同時に見るための方法として十分な性能で、何よりも内容の伝達を口頭と紙面で同時に済ませ実践してもらい、後ほど補足をするやり方ならばきっと乗り切れるだろうと。
正直に言えば他に良案が思いつかなかったのもあった。
結果的に、このやり方は30人を毎週2時間で、1ヶ月半の期間内にちゃんと完結させる講座にバッチリハマり、それはそれはヒットした。
このマニュアル式講座はその後定期的な講座として立ち上がり、その後十年間続くことになり、その方法論こそが、講師としてのその後を予感させるものとなった。
同じ時期、都内にある絵画サロンの受付事務のバイトをしていた。
そこには講師として様々な先生方が居られた。
私は、そういったマニュアル式の方法で教えるのはどうなのかを、大先輩方にリサーチすることにした。
ほとんどの大先生は「そんなやり方はまどろっこしい、もっと感覚的に教えたほうがいいのではないか」という意見だった。
しかし、お一方、同じような方法をとって教えたことはあるが、教える内容のマニュアル化が物量があり過ぎて、結局やめてしまったという先生がいた。その時、もしかしたらとても有用なものなのかもしれないと純粋に感じた。
マニュアルを使うと、ある程度のところまでは自動的に教えることができる。しかも、受講者の力量や理解度に合わせて柔軟に対応することができる可能性がある。
しかし、作成をやめてしまった先生が仰ったように、物量が果てしなく、どのくらいできるかは全く予測不能だった。
マニュアル式は便利だが、初心者が描くために必要な要素一つ一つをマニュアル化するのでは作るのが難儀になるだけだった。そこには何か仕掛けが必要だと思った。その仕掛けは独自の感覚で作らねば、という気持ちも同時に沸き上がったのだ。
今回はこれで終わりにします。
次はマニュアル式を作るにあたっての根幹の精神性からお話ししたいと思います。
長々読んでいただきありがとうございます。
次回もどうぞよろしくお願いします。
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