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うなだれる選手たち・手を叩く私たち

 天皇杯1回戦は延長後半にFKのこぼれ球を決められ、1-2で敗れた。今季、リーグ・天皇杯あわせて11試合、90分での勝利はわずか1度。うち続く敗戦に、試合後バック芝生席のサポーターエリアに挨拶に来た選手たちは、一度頭を下げた後、幾人かが芝に膝をつき、あるいは崩れ落ちて立ちあがれず、憔悴の濃さがうかがえた。拍手に応える選手も明らかに覇気を欠き、見ているこちらが目をそらしたくなるほどの痛ましさだった。


 一体どんな気持ちなのだろう。私は選手じゃないから分からない。悔しさ、情けなさ、恥ずかしさ、申し訳なさ、無力感、怒り、ひょっとしたらあきらめのような思いもあるのだろうか。そんなことを思いながら、ただただ、うなだれる選手たちに拍手した。しばしの間を置いて、会場の片付けが進み、先刻までの熱気がすっかり抜けたピッチで、選手らのクールダウンが始まった。バックスタンドのサポーター席前とメーンスタンドをゆっくりと往復する選手たち。クールダウンとはいえ、やはり伏し目がちで、肩がすっかり落ちている。足取りも悲しくしょげかえっている。


 なんとなく、選手たちに向けて芝生席からまた小さく拍手した。ジョギングを折り返す前、2人が立ち止まってこちらに頭を下げた。うなだれていた。遠くて定かではなかったが、もう泣き出しそうな顔に見えた。コロナで声はだせない。出せたとしてももう胸が詰まっていて、声なんて出やしなかった。


 だから、拍手した。着ていたユニホームの胸のエンブレムを幾度か叩いた。3度拳を軽く突き上げて、また拍手した。この間10秒にも満たなかったろう。大丈夫、落ち込まなくていい、申し訳なく、情けなく、恥ずかしく思わなくていい、顔上げて、次にやってやろう、ジェスチャーにそういう思いを込めたつもりだが、伝わったかどうかは分からない。


 人によって色々、としかいいようがないが、負け試合でがっくりと頭を下げる選手に対して、私はいつも「顔を上げて、上を向いて、胸を張って」という思いで拍手する。そういう時には、選手たちが感じているだろうと同様に、私にも悔しさ、情けなさ、恥ずかしさ、申し訳なさ、無力感、怒り、ひょっとしたらあきらめのような思いもある。拍手せんとこうかな、と思うことさえある。

 でも頭を下げる選手の姿を見ると自然に手を叩く。敗戦にまつわる感情を背負って重たい足取りを目の当たりにすると、手が動く。原則どちらかが必ず敗者となるピッチで、息を切らし尽くして、なおも敗戦を背負おうとする姿をみると。


 情けなさや悔しさがでるのは、本気でピッチで戦ったから。怒りや申し訳なさがあるのは、選手たち自身がなんとか出来た、出来るはずだ、と思っているから、ではないか。真剣にサッカーしたからこそ、真剣にサッカーした選手のみが持ち得る感情ではないか。

 ならば私は手を叩く。「上手くいかなかったけど真剣にサッカーしたじゃないか、恥ずかしい、申し訳ない、情けないなんて事は何もない、あなたたちをそう思うなんてことはない。だから上を向こう、次の試合でまたサッカーしよう、MIOのみなが本気でサッカーする姿をまたみせてほしい」そういう思いを込めているつもりだ。


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