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ごめんなさい人形

どこにも売っていない人形。それなのに、よくよく聞くと知っている人がたくさんいる人形。それが、ごめんなさい人形。もちろん、私も知っている。というより、何を隠そう

私がその人形の1体だ。

この人形については、以前少し触れた事がある。

その記事で語ったのと通じる部分もあるけど、シンプルに言えば責められ続けると感情が死んで、ただただその場を収めようと謝ってしまう状態になる――それを私は「ごめんなさい人形」と言っている。

人形は寄り添われたい

人間でいると恐怖に潰れるから。
人間でいるともやもやが強まるから。
人間でいると心が壊れるから。

だから、納得していないのに謝るしかなくて。反論を口にしたって、1言えば100倍で返ってくるから仕方なく。半沢直樹も青ざめるレベルだろう。因みに、そのレベルの人の多くは

声をあららげたり、テーブルを拳で叩いたり、物を投げつけたり、致命傷を負わせるためだけにこしらえた言葉を好き勝手に発したり。こっちがやりかえせないのをいい事に、あらゆる手で

「我が正しいんだから言う事を聞け」

を強要してきたりする。そんなもの、一糸乱れぬ行動を取らないと満足しない独裁者と変わらない。

どこかの女医のように「いたしません」と突っぱねられたらいいけど、現実そうもいかない。「御意」と返すまで終われま10だから。

これを言うと

「立ち向かわなきゃ」

と叱られたりもするけど、被害者側がなんでそんな行為をしなければいけないんだとしか思わない。そもそも、それができないから苦労しているのに。

そうしないとなかなか変わらないのは、言われなくても分かる。分かるけど、言い方というものがあるだろうと。世の中は何かあったら立ち向かえる人ばかりじゃない――ここにまずは寄り添ってほしい。私はだけど。

弱いのはどっちだよ

他にも「弱い奴だ」とレッテルを貼る人も中にはいるけど、はっきり言って弱いのは怒鳴ったり脅したりするほうだ。受け続けているこっちは、あえて強い弱いで言えば

断然強い。

そこまでされても生きている事自体が、ものすごいんだから。

舐めてもらってはマジ困る。

本当は人間でいたいのに人形でしか生きられない苦悩は、いかばかりか。個々に状況が違うから「分かる分かる」なんて軽々しく言うつもりはないけど、その気持ちを考えると自分の事のように痛みを感じる。

「いい加減にしておけよ」と思うよな。「なんでこっちがぺこぺこ頭下げなきゃいけないんだ」と思うよな。「むしろ一度くらいこっちに額こすりつけて謝れ」と思うよな。「いつまでも支配されてると思うなよ」と思うよな。心の中でだけど「くそが」と思うよな。

いろいろな気持ちを抱えながら、それでも今日も人形として謝ってしまうかもしれない。そんな自分に嫌気がさして、自分で自分を責めてしまうかもしれない。

したくなくても、無意識にそうするシステムに頭がなっていたりするから。

でも、これだけは覚えてほしい。

変えたくても変えられない今この瞬間の現状で、人形になって痛いのを我慢したり、暴れそうな自分を押し殺したり、その場で泣けない涙を誰にも見えないシャワーの中で流して誤魔化したり、枕に顔をうずめて大声で叫んだり、行き場のない気持ちを文字に起こして吐き出したりするのは、悪い事じゃないからねという事。そして、あなたが読んだこの文章を書いた人も、人形になったりしているから世界で1体だけの1人ぼっちじゃないよという事。それより何より、

「今日も本当に本当に本当にお疲れ様」

という事。

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エトナシ サラ
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