私が辛い経験を語る理由
「迷子について書いてください」
時々noteのテーマを募集していて、良いなと感じるものがあれば採用して即興で執筆をしたりする。
メッセージを読み返しながら、今回は「迷子」に決定した。採用理由は、私自身が目に見える世界でもよく迷子になるし、目に見えない世界でも迷子になりやすいタイプだからだ。
超絶方向音痴ぷんぷん丸なんたら
何を隠そう、私は極端な方向音痴である。
体の中の方位磁針が壁掛け時計になっているのではないかと疑うほどに。「〇〇前」というバス停を降りて、目の前の建物がそれなのに全く逆の方向へ30分歩き「おかんが言うには〇〇前らしいねんけど」「ほな〇〇前と違うかー」とひとりミルクボーイしながら、限界を感じて近くのお店に入って事情を話したら「あんたそれ降りた時見えんかった?」と驚かれるくらい。
そのレベルで方向が分からない。因みに、道の方向もだが
「向かって右」
「こっちが東ならあっちが南」
など、左右の説明される場合にも混乱する。向かって右と言われても「向かって?は?何に向かうの?夢?考えられへん」などといったツッコミが浮かぶ事キム兄の如し。
俯瞰で見る能力がある人からすると、イライラものだろうか?特に意味なくつけた見出しのタイトルが、まるで必然であるかのような流れ。
これは、ぷんぷん丸が出航する勢いだ。
自分でも心の迷路を広げてしまう
本題を思い出した。
目に見えない世界での迷子についてだ。そう。道を進んで迷子になる人がいるように、考え事をしながら意識が心を進む時に迷子になる人もかなりいると思う。つまり、
心の迷子
というやつだ。相談を無数に受けてきた経験から、実感としてある。迷子になる原因自体は人それぞれだが、心に何かしらの傷を負ったケースも少なくない。
説得力が一番あると思うから私自身を例にするが、今まで何度も何度も何度も「環境のせいにするな」と言われ続けてきた。環境のせいで不自由を強制される世界は確実にあるのに。
「逃げればいい」がしたくてもできない人も確実にいるのに。理解する姿勢すらない人たちから、一体どれくらい
「全部お前のせいだろ」
と言われてきただろう。そう斬り捨てられるたび、見捨てられるたびに、私は傷ついてきた。
もしもその傷が目に見える形だったなら、恐らく血の滲んだ包帯でぐるぐる巻きだと思う。るろうに剣心の志々雄の紅蓮腕(ぐれんかいな)が使えそう。使えない。ていうか縮地かっけえ。
とまあ少し流浪しすぎたが、心の迷子の原因はそういう酷い言葉や扱いのたびに感情が絡まって迷路のようになった結果だったりもする。
などを経験するたび迷路は広がり、迷子みが増していくパターン。
その上、迷路からいつまで経っても出られない自分が自分でもうざくなったりして、例えば「こうしよう」と心に浮かんでも「どうせこうだから」と自分で打ち消してしまったり。
「きっと無駄だよ」と自分で気力をがりがり削いだり。まさに悪循環。そうやって、周りだけでなく
自分自身でも迷路を広げてしまう
ようになる時もある。
これ、心当たりのある人は1人や2人ではないと思う。かつての私もそうだった。今でこそ奇跡的に「物を書く」に出会い、没頭する事で拡大は食い止められたが、かつては巨大すぎる迷路だったと記憶している。
どうすれば迷路を抜けられるのかは、私自身ができていないくらいだから分からないのが正直なところだ。
ケースバイケースだし、個々に事情も状況も状態も違う。簡単ではない。「だから苦しい」のだ。
ならば、せめて私はうなずこうと決めた。迷う心を否定しないで、貶しもしないで。
そして、自分の経験を語る事で「ああ私だけじゃないんだ」や「この人もこんな状態なんだ」「そうなんだよもがくの辛いんだよ」のように、少しだけでも共感できたり、孤独な夜を紛らわせる一瞬になれたりできたら嬉しいなと。
迷路での迷子は本当に不安で、心細いからさ。
まとめ
誤解しないでほしいのは、私は心の迷子である事に滅入っているばかりではないという事だ。子供の頃のトラウマによって自分で自分を嫌ってはいるが、自分の言葉は大好きだから。
経験至上主義ではないものの、それでも
経験しているからこそリアルに届く
といった、ある種の念のような力もある気もしている。傷ついて良かったと絶対に思えない経験だが、なかった事にできないのなら完璧に脱出するまで――いや、永遠に利用してやる。パイロンを置く役目は、私がやる。
だから、今後もどうすれば迷路から脱出しやすくなるか・生きやすくなるかのヒントや情報は探していきたいし、その都度惜しまずこのnoteでも公開しようと思っている。見つけたそれらがたとえ私に効果がなくても、他の迷子に効果があれば別にいい。私は二の次で、あなたが優先。
超絶方向音痴でも、その道だけは外れない。