異世界へ召喚された女子高生の話-57-
▼愛する人の落とした涙
昼下がり、ストーンハースト亭は再び客で賑わい、メアリーが忙しそうに店内を駆け回っていた。
「新しいウェイトレスさんに変わったけど、美咲様はまだ休憩中なのかしら?もしそうなら、こちらに来てくださればいいのに…」と、ソナは厨房の方を覗き込みながら不満を漏らした。
言われてみれば確かにその通りだ、とフィリップは立ち上がった。
周囲を見渡すと、客の顔ぶれがすっかり変わっている。
これだけ人々に囲まれていれば安全だと思っていたが、油断していた。
彼女を守ると約束したのに…。
フィリップは彼女を「ケイリー」と呼ぶべきか「美咲」と呼ぶべきか、まだ迷っていた。
「どうしたんだ、兄ちゃん?」
と、リュークがフィリップの様子の変化に気づいて尋ねた。
「リューク、レオン、それからエドガーも。二人について、『彼女』を探してくれ。何か嫌な予感がするんだ。」
と、フィリップは指示を出す。
「わかった。目の保養にもなるし、早く近くで見たいからね。」
と、エドガーは少年二人を連れて動き出した。
「ソナちゃんは僕と一緒に、二階の宿を確認しよう。『彼女』がいるに越したことはない。ただ、いてくれれば…」
フィリップの焦りがソナにも伝わり、
「はい、すぐに向かいましょうっ!」
と、急いで階段を上がった。
ソナはフィリップに言われて、女性用の部屋を合鍵で開けた。
「美咲様〜、いらっしゃいますか?」
と、室内を見回したが、やはり彼女の姿はなかった。
廊下に出ると、フィリップが何かブツブツと独り言を早口でつぶやきながら動揺しているのが、ソナにもはっきりと分かった。
普段の冷静さは微塵も感じられない。
思い切って、ソナはフィリップの頬を平手打ちした。
「しっかりしてください! あなたにはまだ、やるべきことがあるはずです!」
その言葉にフィリップは少し落ち着きを取り戻し
「ご、ごめん。そうだ、エドガーたちが何か見つけてくれたかもしれない。彼らと合流しよう…」
と言って、一階へと戻った。
ホールでメアリーと話をしているエドガーを見つけ
「おい、エドガー! 探していたんじゃないのか?!」
と、フィリップが詰め寄る。
「フィリップさん、落ち着いて。話を聞いていたら、彼女は随分前に交代してから見ていないってことだよ。」
と、エドガーが説明する。
(メアリーがホールに出てから、どれくらい時間が経った? これだけ人がいて、誰一人気づかなかったというのか?)
フィリップの焦りは増すばかりだった。
彼はふと厨房の裏手の扉に気づき、外に出てみた。
ここから出れば、客の目につかないはずだ。扉を抜けた先で、リュークがしゃがみ込んで何かを拾っていた。
「兄ちゃん、これ…」
と、リュークが差し出したのは、真珠のイヤリングだった。
それを見た瞬間、フィリップは『彼女』の誘拐が確実であることを悟った。
この裏口からは、宿の表に出る道と、逆に馬小屋へ向かう道がある。
「リューク、向こうの馬小屋へ行って、馬車を調べてくれ。後で僕も行くっ!」
と、フィリップは伝え、再び店内へと戻った。
まだ、メアリーと話をしているエドガーの腕を掴み
「エドガー、恥を忍んで君にお願いがある。アルステッド家にいるという人たちに、彼女が誘拐されたと伝えてくれ。助けが必要なんだっ!」
と、険しい表情で訴えた。
エドガーはリリスが言っていた自分の役割を思い出し、微笑んだ。
「任せてください! 俺の出番ってわけですね!」
と、張り切って店を飛び出していった。
フィリップとソナも厨房や客席で聞き込みをしたが、何の手がかりも得られなかった。
馬小屋に向かうと、レオンもリュークと一緒に捜索していた。
「どうだ? 何かわかったかい?」
と、フィリップは焦りを隠せない。
「ご覧の通り、馬小屋は既に満員だよ。これじゃあ、馬を使ったかどうかもわからない。」
と、レオンが両手を広げて答えた。
この手際の良さは、手慣れた誘拐のプロの仕業のようだ。何が目的かはわからないが、しばらくは『彼女』の身は安全かもしれない。
プロであれば、商品として丁重に扱ってくれるはずだ。
フィリップは自分にそう言い聞かせ、冷静さを取り戻そうと努めた。
手の中にある真珠のイヤリングは、その意味する通り、愛する人が流した涙のように感じられた。