第35回ヤングシナリオ大賞 最終選考『亀三郎の十年』脚本公開!!
こんにちは。
脚本家の衛藤大輝です。
この度、noteを開設いたしました。
理由としましては、この記事の題にありますように、自分の手掛けた脚本を公開してみようと思い立ったからです。
本作『亀三郎の十年』は、今年度のフジテレビ ヤングシナリオ大賞にて最終選考に進ませていただいた作品です。受賞は叶いませんでしたが、愛を持って手掛けた作品がその候補になったんだと思うと、嬉しさでにんまりしてしまうと同時に、身が引き締まる思いです。
ちなみにですが、ヤングシナリオ大賞、通称ヤンシナは脚本家を志す人間が一度は夢見る賞です。第一回の大賞である坂元裕二さんを筆頭に、第一線で活躍されている脚本家を数多く輩出し、一昨年度の大賞受賞者である生方美久さんなんかは巨人もびっくりの進撃を続けています。『silent』の登場人物名が子供の名付けにまで影響しているんですって。規模感!!
ごめんなさい。
冒頭からだらだらと書いてしまいました。高校時代から10年ほど日記を書き続けているせいで駄文を連ねることばかり得意になってしまいました。
ぴえん。
本作『亀三郎の十年』が脚本家「衛藤大輝」を知っていただく入口になれば幸いです。
自己紹介
衛藤による自分語りのコーナーです。
脚本だけさくっと読みたい方は次の章へどうぞ!!
そして・・・!
僕の自己紹介に付き合って時間を無駄にしようとしているあなたは稀有な存在。眩く輝いているように見えます。さながら、子供たちにいじめられている亀を助ける浦島太郎のような。さあ、僕が竜宮城へ連れていくので息だけ止めておいてください。ちなみに僕は方向音痴のカナヅチです。
では、堅苦しいプロフィールからどうぞ。
衛藤大輝(えとうたいき)
1997年大阪生まれ。立命館大学 産業社会学部卒。高校から演劇を始め、演出/脚本/役者/広報など様々な形で舞台制作に携わる。大学卒業後は企業広報のコンサルティング会社に勤務。2021年にシナリオセンター「シナリオ作家養成講座」を修了した後、本格的に映像脚本の制作を始める。
〈脚本実績〉
・Vtuberユニットみりくるん結成2周年記念ボイスドラマ『ランカスターの魔女たち』
・オムニバスホラー『百奇夜噺』収録作品『鬼の呼び声』
・第35回ヤングシナリオ大賞 最終選考『亀三郎の十年』
以上が公式っぽさの溢れるプロフィール。
欲張りにも、僕はもっと自分の人となりを知ってほしくなってきたので、さくっと、創作活動に傾倒するに至る経緯を書こうかと思います。
せっかく始めたnoteだ。どんどん書いちゃうぞ。
脚本を読む前に疲れてしまっては本末転倒なので、この辺りで次の章へ向かっていただいて構いません。窒息しても亀だから責任は取れません。
前編:神童だった中学時代
これは、僕が創作活動に適正のある人間だと判明する少し前のお話です。
中学時代、僕は神童でした。
皆さん、大丈夫です。僕は正気です。どのように神がかっていたかと言うと即ち学力です。一年生、最初の中間テストで学年一位を取った僕は、その後卒業するまで学年一位を誰にも譲りませんでした。圧倒的学力。全学校関係者から一目置かれていました。
胸糞悪いエピソードを一つ。
学年順位を公表していない学校で自分が一位であることを確認する方法があります。そう、成績分布表です。自分の成績である五教科の合計点が、学年全体においてどの辺りに位置しているか確認できる表のことで、0点~50点は2人、50点~100点は3人・・・と50点刻みでその間に位置する人数を知ることができます。無論、神童こと衛藤は450点~500点の最上位層に位置するため、その層の常連であるライバル数人に直接成績を聞けば、消去法で一位であることを確認できるわけです。僕はテストが返されるや否や、隣のクラスに出向き、ライバルたちの点数を確認して回ったのでした。
あ、ちょっと殴らないでください。あの、石とか、投げないで。
でも、いじめられなかったのが不思議なくらい生意気なやつでした。同時に、空虚なやつでした。
僕が学年一位を取り続けることができたのは塾に通っていたからです。馬渕教室という近畿では最も有名な学習塾で、部活後の憩いの時間から土日休みに至るまで、全ての時間を勉強に費やしました。あの頃、僕は誰よりも勉強していました。だから「衛藤はすごいね」と褒めてくれる人は沢山いましたが、嬉しいと思ったことは一度もありませんでした。すごいのは自分のような凡才を最強にしてしまう塾の教育システムの方だという自覚があったのです。僕は勉強していたのではなく、勉強させられに塾に向かうだけの空虚な中学生Aに過ぎず、つまりは、神童なんかではなかったのでした。
後編:道を踏み外した高校時代
高校時代、僕は道を踏み外します。
最初に断っておくと、道を踏み外したというのはタイトル映えのための盛った表現であり、犯罪に手を染めたなんてことではありません。精一杯の悪事といえば、返ってきたテスト用紙を石油ストーブで燃やしたくらいです。
まず、府内の進学校に入学した衛藤は勉強をやめます。
今思えばそれなりに楽しかった中学時代も高校生の衛藤にとっては青春を取りこぼした負の遺産でしかなく、その諸悪の根源を勉強と決めつけました。勉強なんか嫌いだ。そんなことに時間を費やしている暇はない。怒涛の勢いで遊びました。衛藤、高校デビューです。
無事にデビューを果たしたイケイケの衛藤、その最大の過ちは演劇部に入ってしまったことでした。
今も鮮明に覚えているのは、各部活動が持ち時間3分で一年生全体に入部を訴える部活勧誘の時間。全くマークしていなかった演劇部がわずか3分の寸劇で会場をどかっと沸かせたときに「ここが俺の居場所だ!」と錯覚しました。当時は本当に頭がどうかしていたのでクラスの人気者を通り越し、スターになろうとしたのです。大人しく軽音に入っていれば、ああ・・・
演劇部では演技をさせられたので驚きました。当たり前だろ、と思われるでしょうが、僕は舞台上で観客を沸かせたいだけだったので、渡された台本とそこに並んだ子供臭い台詞を読み上げることはやりたい主旨と違ったのです。加えて周りはアニメだのボカロだの僕が通っていない文化で大盛り上がり。完全に選択を間違えたと天を仰ぎました。
こんな部活辞めてやろうかと考えていた矢先、先輩から脚本を書けと命じられます。演劇部には形だけの顧問が2、3人いるだけで、舞台制作の全てを生徒のみで進めます。加えて脚本も既成ではなくオリジナル。もうお分かりだと思うのですが僕は演劇の「え」の字も知らない愚か者だったので脚本なんて読んだことがありません。部室に転がるいつかのどこかの先輩が書かれた脚本が人生ファーストタッチでした。確か、生まれたときから目の見えない女の子が友達との対話を通して「桃色」の輪郭を掴んでいくお話で、同じ高校生がこれを書いたのかとぶったまげた覚えがあります。
初めての脚本は、パソコンを持っていなかったのでiPhoneのメモ帳で書きました。ト書きと台詞を並べた、脚本のようなもの。先輩が印刷してやると言うので、僕はこの脚本もどきをメールに添付して送り付けます。翌日、先輩に手渡された印刷物を覗き衝撃を受けました。先輩がWordで形を整えてくれたおかげで、そこに脚本が出現していたのです。
嬉しすぎて写真を撮っていたみたいです。
最初の読者&印刷者である先輩が一言「面白かった」と言ってくれました。それが本音かどうかはわかりません。しかし、衛藤にとっては天地がひっくり返るような出来事でした。勉強すれば点が取れる、筋肉をつければ速く走れる、何かを褒められたことはあれど、それらは全て自分の努力に応じた正当な対価でしかありませんでした。脚本は何もかも違った。お世辞じゃなく「生きててよかった」と思えました。これまでずっと空っぽだった心が、陽の下であたたかい光を浴びたような、充足感というやつです。
僕は道を踏み外し、脚本家を名乗るに至りました。
これは、高校時代から今の今まで「面白かった」と声をかけてくださる皆々様のおかげです。これからもっと面白い作品を書くので、そのときはぜひ褒めてください。
以上で前後編に渡る自己紹介を終えます。
がり勉が演劇部に入っただけの話をうだうだと失礼いたしました。この勢いで大学時代の話なんかもしたいんですが、さすがにこれ以上引っ張ると本当にメインの脚本を読む体力を奪ってしまうので、また今度書きます。
note楽しい。無限に書ける気がする・・・
脚本『亀三郎の十年』
お待たせいたしました。
長すぎる自己紹介に目を通していただいた皆様、本当にありがとうございました。あらすじに続いて、本編です!!
あらすじ
子供たちにいじめられた亀は、浦島太郎が来なければどうしていたのか。
神奈川区のマスコットである亀三郎の着ぐるみと共にエレベーターに閉じ込められた塩田あゆみ(24) はそんなことを考えた。
今日は散々な日だったのだ。「自分さえ我慢すれば万事上手くいく」と職場でのセクハラをやり過ごしていたらぽっと出の出入り業者に「価値のない我慢」と一蹴され、再会した恩師・石崎真帆(34)は教師を辞め、イベントスタッフとして上司に媚びへつらっていた。夢も希望もない社会で心を無にして日銭を稼ぐ。あゆみは、子供たちに殴られっぱなしの亀、そして区としては浦りん・乙ちゃんに続く三番手のキャラクターとして冷遇されている亀三郎と己を重ねた。
到着音と共にエレベーターの扉が開くと、あゆみは亀三郎を被っていた。
どう足掻いても脱げず、声も発せない。そんなあゆみの前に、中学教師であり24歳の真帆が現れる。
そこは十年前の神奈川区だった――――
本編
物語の舞台「神奈川区」をちょっと紹介
さて・・・
脚本『亀三郎の十年』はいかがだったでしょうか。
自分の手掛けた作品が誰かに読んでいただけることほど嬉しいことはありません。
本当に、本当にありがとうございました。
ここからはクールダウンの時間です。
今回の作品を書く前に、僕はロケハンならぬシナハン(シナリオハンティング)を決行しました。例えば、あゆみがイオンに走るクライマックスは実際にあるイオンスタイル東神奈川から着想を得ています。
よくよく考えれば今回のnoteでは僕の自己紹介を聞き、僕の書いた脚本を読み、と、ただ衛藤を知ってもらう場になっているので、自分なりの地域貢献として、浦島太郎伝承の残る地「神奈川区」をシナハンで撮影した写真と共にご紹介します。
れっつら浦島!!!
神奈川県 横浜市 神奈川区。
古き良き木造家屋が並ぶ町に、潮の香がふわっと漂います。
上の写真は子安漁港です。
浦島町と埋め立て地である新浦島町の間は水路のようで、そこにずらっと並ぶ船たちは壮観でした。なんだか物語を感じる場所。ちなみに、『亀三郎の十年』の主人公あゆみは浦島町出身で丘の上の区役所まで自転車を押して通っているという設定です。
脚本中でも言及していますがこの辺りは浦島太郎に由来する土地の名前が多いですね。
浦島太郎の足洗井戸。
竜宮城から帰った浦島太郎はこの井戸で足を洗った、と僕は思っていたのですが他の方が撮影した写真と見比べると若干見た目が違います。それもそのはず、この辺りにはたくさんの井戸が点在していて僕は撮る井戸を間違えたのです。ごめんなさい!!
浦島地蔵です。
元々は観福寿寺にあったのですが、その寺は火事でなくなり、慶雲寺に移す最中に牛車がこの場所で動かなくなったため仕方なくここに置かれたという逸話があるそうです。ちなみにその慶雲寺は「うらしま寺」という愛称で親しまれていて、浦島太郎が乙姫から貰ったとされる観音菩薩像が安置されています。
物語の中であゆみが作成している広報誌はこのイメージです。
ここに描かれているマスコットキャラクターは「かめ太郎」と言い昭和58
年から40年に渡って愛されているそうです。この世界線ではずっと大切にされているんだね、良かった・・・!!
神奈川区をちょこっと紹介させていただきました。
魅力、伝わりましたかね。他にもたくさん巡ったのですが写真を取り忘れるなどしました。このポンコツめ。
浦島太郎の物語が息づく町、神奈川区。
僕の地元にも「鉢かづき姫」という物語が言い伝えられており、江戸時代に刊行された「御伽草子」の中で浦島太郎とともに収録されています。なんだか不思議な縁ですよね。だから、僕にとってこの町は遠い親戚のようにも感じるのです。また行きたいなあ。
最後に
ここまでnoteを読んでいただきありがとうございました。
何より『亀三郎の十年』を読んでいただきありがとうございました。
僕がこの作品で最も伝えたかったのは「我慢して偉い!」というメッセージでした。今まさに我慢している人には、解決策に耳を傾ける余裕はありません。だから、その一つ手前の作品を書こう。例え綺麗事であったとしても、まず、何より先に、今頑張っているあなたを肯定したい、そんな思いを込めました。真帆があゆみに声をかけたように、あゆみが真帆に声をかけたように、この作品が今頑張っているあなたに届いてほしいと、願います。図々しくてごめんなさい。
脚本家としてはまだ無名の衛藤ですが、これからも真摯に脚本作りに取り組む所存ですので、ちょこっと応援いただければ幸いです。
全然方向性は定まっていませんが、noteも続けていきます!!
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