なぜTsukuba Mini Maker Faireか
つくばでMaker Faireをやる。なぜこんなことを思いついたのか。なぜイケそうだと思っているのか。その理由を書いておく。
つくばは、とても特殊な街だ。研究学園都市として人工的に作られた「人工都市」だ。いわゆる普通の人が感じる街とはだいぶ異なっている。その違いには、日々苦しめられている。
いわく、やたらとでかい。車社会が前提である。1街区がでかい。徒歩での移動がしにくい。賑いが分散している。人の気配が感じられない。
つくばは、人工都市の中でも、官製の都市である。日本の人工都市がだめというより、実は世界中どこの人工都市も(官製都市は)、だいたいだめなのである(アレグザンダー「都市はツリーではない」)。
とはいえ、人工都市だけど成功している都市はないものだろうか。実を言うと、シリコンバレーがそれに近い。やたらと広い。車前提。歩いている人をみかけない。賑いが見えない(パッと見は)。実をいうと、シリコンバレー周辺の街も、ほとんどが人工都市と同じように作られているのだ。NASAやスタンフォード研究所など、官製の研究拠点が作られ、それに伴って街ができ、発展していった。グーグルが、NASAの跡地を(SGIから引き継いで)使っていることは有名な話だ。
そして、実はスタンフォードの街並は、つくばの街並に大変近い。いや逆か。つくばの街並は、スタンフォードの街並を参考に作られている。だから、スタンフォードの滞在したことがある人がつくばにくると、あまりに似ていて驚いたりする。
シリコンバレーは、言うまでもなくシリコンの街だ。半導体を製造する街として誕生・発展し、コンピュータ、ソフトウェア産業、インターネットの普及と、次々と連鎖し、今のシリコンバレーへと発展していった。
半導体はハードだが、ソフトの割合が強い。ソフトウェア、インターネットと発展するにつれて、さらにソフトウェアの割合が高まる。それにつれて、サンフランシスコがインターネット産業の中心地となったのは、文化との距離が近さが理由だろう。
Maker Faireを立ち上げたデール・ダハティーは、Webの発展に強く貢献した人だ。Webサーバでは、httpdと呼ばれるソフトウェアが動いている。このhttpdを一番最初に作り上げた一人が、彼なのである。そのような、インターネットで発展・成功した人が、次のステップとして考えたのがMakeなのである。その背景には何があるだろうか。1つには、インターネットの発展は必然的にソフトウェア価格の低下につながり、最終的には実質的にゼロになるということ(『限界費用ゼロ社会』ジェレミー・リフキン)。世界がソフトウェアに飲込まれる(アンドリーセン)と言われており、むしろそうならば、逆にハードウェアの重要性が高まる。こう考えたのではないだろうか。
この考え方は、現在ではIoTという言葉で表現されており、インターネットと物(ハードウェア)の組み合わせに価値があることはすでに認識されているが、これを何年も前から予見していたといっていいのではないだろうか。
その過程では、オープンソースムーブメントの影響があるだろう。インターネットはソフトウェア開発に大きな影響を与えた。Webを支える基幹的なソフトウェアは、その多くがオープンソースソフトウェアである。Apache httpdもサンフランシスコを拠点として発展していった。(ちなみに、WIREDがその誕生のきっかけとなった。)
デール・ダハティーによる「自分で開けられないもの(オープンできないもの)は、オウンしていない」という言葉は、ストールマンによるフリーソフトウェア運動を想起させる。
オライリーは、シリコンバレーにおけるトレンドセッターとして著名である。Web 2.0という言葉を作ったのがオライリーであることを思い出そう。オライリーは、FOO Camp(Friends of Oreilly Camp)を定期的に主催している。フレンズといっても、ジミー・ウェールズ、Google CEOなど、業界著名人の集団を意味している。彼らが二泊三日でひたすら議論をする場を主催していた。ここで、自由に議論するための場として考え出された方式が、現在はアンカンファレンスという名前で呼ばれている。会議内容は非公開であるため、話された内容が伝えられることはない。しかし、その議論の結果がシリコンバレーに与える影響の大きさは、容易に想像できるだろう。
オライリーの有名な言葉に、未来がどうなるかを予測したかったら賢い人が日曜日になにをしているかを見ればいい、というものがある。FOO Campで定期的に先端的な人の興味を吸収していた彼らしい発言だと思う。
トレンドセットの方法として、雑誌とイベントの組み合わせがある。特に近年はイベントの重要性が高まった。それが、MakeとMaker Faireだったのだろう。
孫正義の最初の仕事は何だったか。ソフトバンクは、文字通りとらえれば「ソフト」「バンク」、つまりソフトウェアの銀行である。元々ソフトバンクは、ソフトウェアの流通業者だった。ソフトバンクは次に出版社を立ち上げ、雑誌を発行するようになった。その次には、イベントを開催した。COMDEXを買収し、大型のソフトウェア関連のイベントを開催した。孫正義の言葉によれば、COMDEXのようなイベントを開催することは「コンパスを手に入れた」ということだった。彼がイベントを開催するのをやめたのは、次に何をすればいいかはっきりとわかったからだという。
つまり、雑誌を出し、イベントを開催することは、イノベーション創出に繋がる正しい方法論なのだ。
さて、Maker Faireの生まれる過程に目をむけていたが、その発展にも目をむけておく。
2014年、オバマ政権では、アメリカにおけるものづくりの復権が唱えられた。その中で、STEM教育というキーワードがうまれ、全小学校に3Dプリンタを導入するといった施策につながった。その変化を象徴するイベントとして、ホワイトハウスでMaker Faireを実施した。もちろん、Maker Faireという名前が同じでも、誰でも出展できるわけではないし、規模もまったく違う。とはいえ、象徴的な存在として大きな影響を与えた。
中国でも似たようなことが起こった。2014年8月に、私たちは深圳に行った。メイカースペースと呼ばれる小さいスペースで、ハッカソンみたいなイベントをやった。その翌年の2015年1月に、その同じメイカースペースに、李克強総理が来た。李首相が狭いメイカースペースでロボットアームと戯れる様子はテレビで繰り返し放送され、強いメッセージとなった。
その後、2015年、政府は中国製造2025戦略を発表した。深圳市は、メイカー発展3年行動計画(2015〜2017年)をまとめた。その戦略には、MIT FabLabとMaker Faireの誘致、200ヶ所のメイカースペースの設置が含まれていた。
以前から深圳でMaker Faireを開催していたEric Panはさぞかし驚いたことだろう。2015年からのMaker Faire Shenzhenは政府肝いりの大規模なものとなった。2012年のMini Maker Faire Shenzhen 2012は数百人規模だったが、Maker Faire Shenzhen 2016は参加者数12万人を超えた。
メイカーフェアのために深圳の一区画をまるごと再開発して「メイカー街」にしようという構想もあった。工科大学、コワーキングスペース、インキュベーションオフィス、催事場、ホステルなどが一カ所にまとまっていて、ドローンが飛ばし放題、ロボット使い放題の場所という構想。残念ながら、この話は無くなった(万科企業が建設する話だった)。
このような大規模な政府による後押しは、かならずしもポジティブな効果を生むばかりではない。現場で活動としていた人にとっては、迷惑と感じられる側面もあったことだろう。とはいえ、深圳人ならメイカーという言葉をだれでも知ってる状態を作り出せたのは、とても大きいことだと思う。
実際のところ、深圳における動きにおいては、いわゆるメイカーよりも、HAXが支援するハードウェアスタートアップの動きの方が重要と思う。とはいえ、また別の話である。
さて、なぜつくばでMaker Faireなのか。私は別に、つくばをシリコンバレーにしたいわけでも、深圳にしたいわけでもない。そもそもそれは無理だ。どんな街もその拠ってきた土台があり、そこからかけはなれたものを実装しようとしてもうまくいかない。もちろん人工都市として生まれたベイエリアがシリコンバレーへと発展したような事例もあるが、それにはいくつものきっかけがあった。無理に違う都市のやりかたをあてはめようとしてもうまくいかない。(どちらかというと、ボストンのような街に近いと思うので、それはそれで参考にできそうに思うが。)
とはいえ、アメリカも中国も、Maker Faireをある種のシンボルとして、ものづくりの復権を試みたことは注目に値する。その背景となった思想は、私がMaker Faireを誘致しようとした理由そのものだと思う。(逆に言えば、日本でMaker Faireを産業振興のシンボルに使おうとした事例が少ないのは、日本がもともとものづくり大国で、その色をいまだに失っていないからだと思う。)
特につくばで言えば、イノベーションワールドフェスタがあった。大変力を入れたイベントで、私も1参加者として楽しませていただいた。もともとはSXSWのつくば版として発案され、G7の関連イベントとして実現したが、昨年から六本木に場所を移し、今年も六本木で開催されることとなった。おそらくもうつくばに戻ってくることは無いだろう。
つくばにイノベーション創出の場を作ろうという試みは、失敗し続けている。多くの人が可能性を感じ、取り組み、失意の元に去っていった。理由なきことではないだろう。いろんな意味で、条件が厳しすぎるのだ。まるで砂漠に水をまくような行為。それでも続けてやろうというのであれば、せめてどのようなタイプの作物なら芽が出るのか、見極めてからやりたいものだ。
私が考えるに、Maker Faireがそれだと思う。Maker Faireの利点は、完全なボトムアップだということだ。作りたいものしか作らないし、見たい人しか見にこない。そのような場は、実はつくばにはほとんど存在していない。官製都市だけあって、ほとんど全ての場には、存在する理由がある。何を目的に予算を使うのかがあらかじめ検討され、その目的を達成するために使われる。その場合は、その目的を設定するところが鍵になるのだが、それは多くの人が納得する理由ということにある。「ただ単に楽しいからものづくりしているだけ」「それを見るのが楽しいから見に来ただけ」というのは、どうやら理由としては設定できないようなのだ。
イノベーション創出には何が必要かをいろいろ調べてきた。その中でも、最初の一歩というところにフォーカスして調べてきた。どんな発明も発見も、その最初の段階には、暗い水の底から何かを引き上げるような行為が存在する。それが無い限りは、何も新しいものを産み出すことはできない。ものづくりにおいて、そのような先が見えない領域を模索する試みに手が差し延べられなくては、続けることはできないのではないだろうか。
(念のため付記しておくと、ものづくりという言葉は広い意味で使っている。前述のように、インターネット上のいわゆるアプリというのは対象外となっているが、しかしMaker Faireに行けばそのようなものが展示されているのを見ることもあるだろう。ものづくりという言葉を非常に幅広くとらえて、可能性の奥行きに着目して見るのが、Maker Faireという場だと言える。)
つくばは東京と比較的近い。出展するのも見にくるのも、それほど支障はないだろう。それならば、なおさら、単なるMaker Faireのコピーではなく、新しい可能性を感じさせたい。
つまり、今私が取り組んでいるのは、「Maker Faireを作る」ということである。もちろんMaker Faireがもともと持っていた良さはそのまま保持したい。それに加えて、そういった場を支援することに魅力を感じている人に集まってもらい、ものづくりだけでなく、研究や学術、教育など、さまざまな領域をつなぐ場として、Tsukuba Mini Maker Faireを作り上げていきたい。