芸術が産業を創出する

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 良い本というのはたまにあるが、嫉妬するような本はめったにない。この本はそういう本だ。そう、本当であれば、私がこの本を書きたかった。

 本書を簡単に説明すれば、コンピュータやインターネットを誰が産み出したのかを説明した、歴史書だ。そのような本はすでにたくさんあるが、その中で特異なのは、1人のイノベーターが全てを作り出した、という物語ではなく、それを支える周辺の環境も含めた、複数のイノベーターからなる環境に焦点を合てているところだ。それが、本書の「イノベーターズ」という複数形の所以である。もちろん、どのようなところから産業が生まれたのかを、環境に焦点を合てた本もある。本書は、それを複数のイノベーターが絡み合う人間模様として書き出している。

 本書の最初は、チャールズ・バベッジとエイダ・オーガスタ・バイロンの2人の話から始まる。バベッジの名前は聞いたことがあるだろう。最初にコンピュータを産み出した人の1人で、上記で動く階差機関という機械を作った。それによって、掛け算などを演算することができた。それが一般的な理解だろう。私が以前コンピュータの歴史を調べたときに、バベッジについて調べていて、驚いたことがある。それは、彼が階差機関を発明した時期が、とても早かったからだ。1847年という日は、コンピュータ発展の歴史からすると、すごく昔だ。たとえば、よく世界最初のコンピュータと言われるエニアックが発表されたのは、1946年である。そう、ざっくりと100年前なのだ。この初期の歴史を調べていたときの、100年の空白を見て、衝撃を受けた覚えがある。

 計算機、計算をするための機械という意味では、ソロバンが最初ではないか。これは紀元前からある。また、計算尺もある。手回し計算機もある。パスカルが発明したと言われている。しかし、それらが共通しているのは、計算のための仕組みが、機械的・物理的な仕組みとして固定化されていることだ。どのような計算をするか、できるかは、機械の仕組みとして決められており、それ以外の計算はできない。それに対してバベッジの発明した階差機関は、それそのものは計算の仕組みは固定されていたが、発想としては、計算の仕組みをパンチカードによって指示し、計算の仕組みを入れ替えることができるようになっていた。つまり、ゼロとイチの組み合わせによって、計算手法(アルゴリズム)を指定し、任意の計算を行えるようになっていた。これはまさしく現代につながるコンピュータの仕組みの最初のものだと言える。

 彼はこれを、電気が無かった時代に、蒸気機関として実際に作ろうとしているのである。電気の力を使って、任意のアルゴリズムで計算できる機械が発明されたのは、そこから約100年ほどたった時代である。これは本当に早かった。

 そのようなバベッジの物語の中に、エイダが登場する。エイダはよく知られているように、バイロン卿という詩人の父親を持つ。バイロン卿は、放蕩詩人と呼ばれており、私生活は荒れていたようだ。どちらかといえば堅い母親との間に産まれ、エイダが産まれる直前にバイロン卿は去っている。そのため、エイダは一度も父親に会うことは無かった。それだけではない。エイダの母親は、エイダが放蕩詩人だった父親に似てしまうことを恐れ、詩や芸術からできるだけ遠ざけることを選んだ。彼女に主に数学を教えたのはそのような理由からだった。数学のようにかっちりとした答えの出る学問であれば、詩の世界からできるだけ遠ざけることができると。

 しかし、血の力は強い。母親の恐れていたように、エイダは父親の血を強くひいていた。社交界にデビューしたエイダは、ほどなくして年の離れた男性と恋仲になる。そのことを知った母親は、エイダを社交界から遠ざける。バベッジと知り合いになったのは、そのような中だった。エイダはバベッジの階差機関の構想を知り、強くひかれる。そして、バベッジの書いた論文の翻訳を申し出る。その際に、翻訳と共に注釈をつける。その注釈が、本文をはるかに上回る文字数となる。これが、エイダの名高い、世界で最初にプログラミングの可能性について考えた文章となった(しかし、実はその注釈の中に書かれたプログラムも、エイダのものではなく、バベッジのものだったという調査もある)。女性が論文を書くことが、到底考えられなかった時代だ。翻訳と、それに伴う注釈という形をとったのは、その意味が大きい。

 バベッジとエイダの関係は、微妙なものだったようだ。どちらかというと、エイダが自分をバベッジに売り込もうと腐心したようだ。

 詩人の血を引いているが故に、誰も見たことがない、見えない可能性を文字にして表現できる。同時に、数学の教育を受けてきたことが、それを数学の言葉で表現できる。つまり、詩人であり数学者である1人の女性が、はじめてプログラミングの可能性を文字にしたのである。私は、おそらくそのような、芸術と科学の両方の能力を持った人にしか、そのような新しい可能性を表現することはできなかったのではないかと思う。

 さて、本書は、その後はいわゆるコンピュータ黎明期の話になる。多くの人が知っている歴史だが、その中にも新しく発見するエピソードが多々あった。

 本書は、本当に人選が素晴しい。特に、フレッド・ムーアを取り上げていることが素晴しい。コンピュータ史の中で、フレッド・ムーアが取り上げられることは、めったにないのではないかと思う。イノベーションは1人ではできない、その環境を用意した人も大事である、とよく言うが、しかしそのような人に焦点が当たることはあまりない。

 フレッド・ムーアは、2つの意味で、歴史に名を残している。一つは、大学において始めてハンガー・ストライキを行った人物として。1960年代、反戦活動の一つとして、ある場所に食べ物を食べずに座り続けるということをした人たちがいる。これを、ハンガー・ストライキ(ハンスト)と呼ぶ。その中でも、大学におけるハンストを最初に行ったのが、このムーアである。その後、大学におけるハンストに代表される抗議活動は、野火のように世界に広がった。その先駆者なのである。(ちなみに、「ムーアの法則」のムーアと同じ名前だが、特に関係は無いようだ。)

 そしてもう一つは、「ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブ」の創設者である。ホーム・ブリューとは、自家醸造のことである。ホーム・ブリュー・ビールは、自家醸造ビールになる。ホーム・メイド(自家製)じゃなくて、ホーム・ブリュー(自家醸造)という言葉を選んだところにセンスを感じる。これは、当時誕生しつつあったコンピュータというものを、自分たちで作ってしおうというものだ。

 ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブが、コンピュータ史で果した役割について。長々と説明しないが、要するに「Apple I」を最初に発表した場所である。そう、ここがアップル誕生の場所なのである。これがきっかけとなって、ジョブズとウォズニアックのコラボレーションが始まる。このような、最初期のパーソナルコンピュータの文脈を忘れるべきではないだろう。フレッド・ムーアの名前も、パーソナルコンピュータを産み出した原動力の1人として、記憶に留めるべきではないだろうか。

 ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブと、「ホール・アース・カタログ」の関係も興味深い。スチュアート・ブランドが、ホールアースカタログを手放すことを決め、そのときまでに得ていた収入を全て誰かに渡すことにした。その人が、フレッド・ムーアだった。そのお金で始めた事業が、ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブだったのである。つまり、人も分野も違うが、ある意味で、ホールアースカタログの後継が、ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブになったのだと考えることができる。よく知られているように、スティーブ・ジョブズはホールアースカタログに大きな影響を受けていた。そして、それだけではなく、「Apple I」が誕生したのも、ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブという土壌あってのことだった。

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