【好きなもの】機動戦士ガンダムUC ep4「重力の井戸の底で」

 こんにちは。皆さんが最初にハマったロボットアニメはなんでしょうか? 私は「機動戦士ガンダムUC」でした。新作が公開される度に劇場に足を運び、原作小説を読破し、DVDを全巻購入し、アーケードゲームでずっとユニコーンガンダムを使うくらい、この作品が好きです。
「人の善意と可能性」というテーマで描かれたこの作品。機体や音楽も良いんですがそのストーリーとキャラクターが何より好きで、今のところ一番好きなロボットアニメです。
 その中でも第4話「重力の井戸の底で」が特に好きです。ご存知も方も多いと思いますが、この話には名セリフも多く、様々なキャラクターがその在り方を明確にしました。テーマを深く掘り下げた、この作品の中の転換点だと思っています。今回はそんな機動戦士ガンダムUCep4「重力の井戸の底で」について、特に私が好きな所をシーン別に話していきたいと思います。
 見た人向けの記事なので、大まかな流れなどは省いています。何言ってんだ? と思う人は一度作品を見ていただければと思います。ちなみにテレビ放映版のRE:0096では10~12話に当たります。

・ダイナーにて
 オードリーとダイナ―主人との会話シーン。アースノイドの主人の価値観と、スペースノイドのオードリーの価値観の相違が見られます。

 宇宙世紀の前の時代、その惨状、それから抜け出すための宇宙移民計画。棄民政策と揶揄されることもあるこの政策も「人類を救いたい」という善意から始まっている。会社を儲けさせたい、家族の暮らしを良くしたいという願いと同じ。そのような善意も、ともすれば「エゴ」と呼ぶべきものになってしまうが、善意そのものを否定してしまったら、この世は闇だ。ただ、どうすればいいのかは主人には判らなかった。努力はしたつもりだが、結局はツケを先送りにしただけで、次の世代に何もしてやれないことを悔いながら生きている。

 オードリーは、この話を聞いて自分のできることを確信します。
「ミネバ・サビである! 逃げ隠れするつもりはない。道を開けよ」
 このシーンは会話の内容も好きなんですけれど、それともう一つ、会話と同時進行している映像が好きなんですよね。セリフと連動したキャラクターの動きではなく、あえて連動していない動きや他の物を移すカメラワークをすることによって様々な情報を付与しています。主人の背景を示す義足や写真であったり、示唆を含めたコーヒーカップであったり。この、会話と連動させないことによって情報を増やして会話をより深める演出、秀逸です。

・砂漠
 バナージとジンネマンはガランシェールから近くのオアシスタウンまで、砂漠を4日歩く強行軍を行います。ふて腐れるバナージに、男の一生は死ぬまで戦いだと諭すジンネマン。倒れ伏したままのバナージにダグザやカーディアスの言葉が響きます。
「力を尽くせば、道はおのずと開ける」
「お前はお前の役割を果たせ」
「やりました……! やったんですよ! 必死に! その結果がこれなんですよ! モビルスーツに乗って、殺し合いをして、今はこうして砂漠を歩いてる! これ以上何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」
 一人の男子学生、一人のパイロットでしかなかったバナージは、自分の力だけではどうにもできない現実に打ちのめされます。
 フラストからジンネマンの過去について聞いたバナージは、ジンネマンとの同道の最中にそれを思い返します。
「世界を呪って野垂れ死ぬか、終わらない戦いを続けるか。俺たちは、そのどちらかを選ぶしかなかった」
 どちらを選んでも悲惨な結末しか残らないその境遇に、バナージは涙を流します。

 人が自然から生まれた生き物で、その行動の結果、人が住めなくなったとしてもそれは自然がバランスを取った結果である。自然に慈悲はない、そして昔の人間は自然の産物の本能としてそれを理解していた。だから生きるために文明を、社会を作って身を守った。だが、社会というシステムが複雑になり、いつからか人はシステムを維持するために生きなければならなくなった。挙句には、そのシステムが生きることそのものを難しくしてしまった。その本末転倒から脱するために宇宙に新天地を求め、そこで別のシステムができあがる。出自の違う2つのシステムは相容れることはなく、互いに互いを屈服させようとした。哀しくなくするために生きていたはずなのに、哀しい結果を生んでしまう。

 人の可能性を信じるバナージは、地球連邦やジオンそれぞれの根底に「生きるため」「哀しくなくするため」という善意があることを理解します。そしてジンネマンや、周囲の人々に起きてしまった悲劇を想い、人を想って涙を流します。
「人を想って流す涙は別だ。何があっても泣かないなんて奴を、俺は信用しない」
 主人公とヒロインが同じような薫陶をそれぞれアースノイド、スペースノイドの大人から受ける。これが4話の肝です。人の根底にはアースノイドもスペースノイドも、連邦もジオンも関係なく善意がある。それでもなお悲しい出来事は起きてしまう。ならばどうすればそれを解決できるのか。そのために何ができるのか。ここから話は動いていきます。

・トリントン基地周辺
 ジオン軍の進行が始まります。動く戦争博物館と称される旧世代機を含むジオンモビルスーツの活躍とか、名もなきパイロットによるバイアラン・カスタムの戦闘作画とかも非常に素晴らしいんですが、そこはここでは一旦置いておきます。
 ロニの操るモビルアーマー「シャンブロ」がサイコミュの暴走を始めてしまい、意識を悪意に汚染されたままサイコミュ兵器で市街地を蹂躙していきます。作画上の話をするのなら、演出として「一般市民が死んでいく様」を描写しているのがガンダムUCのいいところだと思うんですよね。ep4では暴走が始まった瞬間の「ビルの非常階段から落下する親子」のカットですよ。ここの描写で手を抜かないことで「惨劇がはじまってしまった」ことを明確に描いているんですよね。残酷なのがいいって話ではなくて、シーンにあった演出ができている、という話です。あのカットは「哀しいこと」の象徴で、見るだけで心が壊れてしまいそうになる。

・ジンネマンvsバナージ
 蹂躙を目の当たりにしたバナージはそれを止めるためにユニコーンガンダムを出撃させようとします。
「関係ない場所を撃って、逃げる人を踏み潰して……こんなの戦争ですらない。ただの怨念返しですよ!」
「怨念返しの何が悪い! 俺たちの戦争はまだ終わっちゃいないんだ!」
「哀しいから……哀しくなくするために人は生きているんだって、あんたはそう言った!」
 取っ組み合いの末、足蹴にしてジンネマンを振りほどいたバナージ。砂漠での会話のなかで、ジンネマンの苦悩や痛みを理解できないながらも、その奥に善意があることを知っているバナージはそれを訴えかけます。
「でも……判らないからって、哀しいことが多すぎるからって、感じる心を、止めてしまっては駄目なんだ。俺は……人の哀しさ、哀しいと感じる心があるんだってことを、忘れたくない! それを受け止められる人間になりたいんです! キャプテンと同じように!」

・RX-0
 私はこのep4の出撃シーンが、この作品全体で最も格好いいと思っています。勿論、比較に上がるのはep1の初出撃とep7の最終決戦だと思いますがそれを抑えて私はここを推します。
「構わん。好きにさせろ……ですね、キャプテン?」
「……ふん」
 ここでかかる「RX-0」がめっちゃくちゃかっこいいんですよね。「UNICORN」ももちろん素晴らしい曲なんですけど、ここの出撃シーンが良すぎて私は「RX-0」の方が好きです。あと、通信を聞いてるときのバナージの表情にも注目してほしい。ほんの少しなんですけど、ジンネマンの声を聴くまで不安が見えるんですよ。この細かい表情芝居、最高じゃないですか?
「キャプテン、ガランシェールの皆さん、お世話になりました。バナージ・リンクス、ユニコーンガンダム、いきます!」
「俺は『箱』の鍵じゃない、人間だ。そしてお前は、人の力を増幅するマシーンなんだ。お前はそのために作られた。人の心を、哀しさを感じる心を知る人間のために。だから、怒りに呑まれるな……!」
 バナージが自らの意思でロニを止めたいと思い、やらなきゃならないことだと決めてガンダムに応えろと叫ぶ。ジンネマンとのやりとりの後、自分のできること、やるべきことを見つけたのです。バナージ・リンクスという主人公を好きになったのは間違いなくここです。

・シャンブロvsユニコーンガンダム
 父であるマハディ・ガーベイの連邦に対する恨み、シャンブロに染み付いた怨念をサイコミュで感じ取ってしまったロニは、連邦への憎しみを募らせ、今回の襲撃を積年の恨みを晴らす機会だと確信する。ラプラスの箱の開示という目的すら見失い、淀んだ黒い感覚に突き動かされるままに蹂躙していく。バナージは、ロニの行為が生む憎しみの連鎖の危険性を訴えます。
 ここなんですけど、本当に理想論だとは思うんですよ。解っていても止められない、その程度で晴れるほど浅い恨みではないのだと。理不尽には怒るのが人間だ。人は神じゃない。
「それでも……止めなきゃ駄目なんだ……!」
 バナージは人の善意を確信しているからこそ、憎しみの連鎖を止められると信じて暴走するシャンブロの前に生身を晒します。おそらくはニュータイプの感応でロニのサイコミュ汚染を感じてのことだとも思うんですけれど。実際にロニは一旦シャンブロを停止させます。
 そしてここで問題なのはリディ・マーセナス。血の呪縛に縛られ、思考が狭窄している今のリディはニュータイプの感応を得られず、ロニとバナージ双方の行為が理解できません。というか理解してはならないものだと思っています。ep4ではリディの立場に変化はありません。血の呪縛は決して解けないと確信してしまっています。
 停止しかけたシャンブロですが、戦況が悪い方向に作用します。ロニの最後の心の支えだったカークスが戦死。起こった感応派によってロニの精神が再度汚染されます。
「私の居場所はもう……ここだけだッ!」
「俺は……俺は彼女を止めたい。止めなきゃならないんだ。ガンダム! 俺に力を貸せ!」
 サイコミュが暴走し、シャンブロのファンネルが反応。NTDを発動したユニコーンガンダムのサイコフィールドと反応し特殊な力場を生み出します。周囲を破壊しますが、バナージはニュータイプの感応でロニとガンダム会話を開始。
「子供が親の願いに呑まれるのは、世の定めなんだよバナージ……! 私は間違っていない!」
「それは願いなんかじゃない、呪いだ!」
「同じだ! 託されたことを為す、それが親に血肉を与えられた子の……血の役目なんだよ! お前のその力も、親の与えたものだろうに!」

これは、私の戦争なんだ!

 伊瀬茉莉也さんをUCep4で初めて知ったんですけど、ここ魂の演技ですよね。ロニ・ガーベイの魂が叫んでる。いや、厳密にはマハディ寄りなんでロニの魂ではないんですけど。RE:0096の12話のタイトルは「私の戦争」が良かったと思ってます。

撃てません!

 バナージ・リンクスの魂の叫びはこれ。ロニの魂のセリフはこの直前の「悲しいね」です。
 バナージの精神感応及びカークスの魂の発意によって自分の戦争の「終わり」を感じ取ったロニ・ガーベイ。完全に戦意を喪失し、最後の攻撃指令としてユニコーンに向けて放ったビーム砲も自らのファンネルバリアで軽減します。自分の境遇、今まで行った行為、失ってしまった物、様々な感傷を抱えたロニは、それを理解していたバナージに向けて「悲しいね」と感情を発します。直前に「捨てちまえ!」と言われてなお、ロニがこの局面において理解してくれたことを理解してしまったバナージに、引き金を引けようはずもなく。このセリフには万感の思いが込められています。
 そして、ここでリディは「撃てる」んですよ。ニュータイプとしての覚醒をしてないのでロニの感応波を受け止めることはできていませんし、戦意を喪失しているなんて判ろうはずもない。そもそも、リディにとってロニは「血の呪縛に捕らえられたまま復讐を行うはず」なのですから、そんな「あり得ない可能性」に殺されるわけにはいかない。だから、破壊するしかないんです。
 そして放たれたビームマグナムによって散っていくロニ。そのシーンもまた、しっかりと描かれます。リディ・マーセナスのこの行為とロニの末路は「哀しいこと」そのものであり、このエピソード全体の象徴になっています。

 といったところで、ep4「重力の井戸の底で」は善意と可能性がテーマのガンダムUCにおいて非常に重要な話であり、見どころが山になってます。原作小説を読んでいる方はご存知だと思いますが、ここ原作からアニメになるにあたってかなり改変されているんですよね。私はその改変は大成功だと思ってます。この話を一旦ここでやっておくことでリディのこの時点の立場であるとかを明確にできたのは本当に良いと思います。繰り返すところがあるんですよね。全体としても非常に面白い作品なので、ガンダムUC。是非一度見て欲しいです。見たことのある人は、見返してほしいです。


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