【好きなもの】末次由紀『ちはやふる 42』

 今日の記事はマンガ『ちはやふる』42巻です。内容に触れているので、未読の方は上のリンクで購入して読んでから、進んでくださいませ。

 二一四首の冒頭にある、かなちゃんと千早の十二単の話。この伏線は本当に見事だと思いました。一つの短編、一つの話の演出としてオチにきれいに繋げてある十二単の話は、秀逸以外と言う言葉を向けるほかない。
 これは割と全体を通しての演出なんですが『ちはやふる』はキャラクターを多面的に描くのが良いですよね。例えば千早は、主人公としての視点を得ている場合は「ちょっと抜けた女の子」が描かれ、他の人から見た場合は「飛びぬけた性質を持った存在」として描かれる。凄そうに見える人でも別の視点ではただの人間だよ、と。そういう描かれ方がかなちゃんと千早のシーンからも読み取れます。
 かなちゃんの「危なくない…っ!」に込められた感情とか本当に今までの積み重ねた伏線の総まとめって感じしますね。名シーンの一つとしてしっかりと大ゴマで描かれています。

 二一五首で見える『ちはやふる』の魅力は、「繋がり」をしっかり描いていること。
 それのまず一つは人と人との「横の繋がり」。同じ時を生きる人同士が広く繋がっているんだよ、そしてその繋がり方は千差万別でそれによって受ける変化も変わってくるよ、と。それをまず綺麗に描いている。特に変化の大きい詩暢に関しては42巻に限った話ではありませんが。
 そして横だけではなく「縦の繋がり」があることを逃さないのが素晴らしいんですよね。特に二一五首ではそっちがメインになっていて、「あの子たちの番に間に合ったのよ」というセリフに込められた想い、往年の選手たちが競技かるたに掛けた年月を逆算させるように描いているのが『ちはやふる』の素晴らしさ。

 二一六首はね、まずお姉ちゃんのとこのインパクトがすごい。本当に良い。「それで間に合う?」のセリフ選択とコマ割りの演出が素晴らしすぎて。千早が一つ前のページで浮かべている涙とこのセリフを受けて次のページで浮かべている涙は、物理的には変化がなくとも意味合いとしてはまったく違うものなんだよなぁと思いつつ、後者と同じ性質の涙を浮かべることになります。
 周防名人の視点で語られる千年の昔と今が桜で繋がるシーンと、過去の参拝と今が繋がるシーン。これは一つ前で触れた「繋がり」のシーンなんですよね。千年の昔と今、人の世の広く深い繋がりという『ちはやふる』の根底に流れているテーマ。

 二一七首は緩急がすごいんですよね。くだけたyoutubeチャンネルの紹介をしていたと思ったら次のページはこれ以上なく引き締まる祝詞のシーン。入場シーンまで引き締めてやった後、応援団の到着シーンでほっこり。熊野さんと丸井さんの存在を紫式部と清少納言に対比させつつ、屈指のシーンに進みます。

「この未来をおもしろがってないはずないんです」

 私がこの巻で一番好きなのこのシーンなんですよね。かなちゃんの解説における紫式部と清少納言の解釈。いや、つい最近枕草子に触れる機会があって清少納言を改めて株上げしてた時にこれを読んだものだからってのはあるんですけど本当に最高なんですわ。千年の昔から、この未来絶対に面白いと思うだろうなぁ。そして次のシーンに繋がる。

「強い敵は、強い味方です」

 互いを、不尽の高嶺へ到達させるために。
 ここ、配信サイトでのシーンだから「世間への認知」に関しての話とも解釈できるんですよね。あるいはダブルミーニング。ライバルが知られるようになれば、近い位置にいる自分のことが視界に入りやすくなる。より人に知られるためには敵が目立つ位置にいた方が都合が良いって話もあるので。

 という、最高に面白い『ちはやふる 42巻』でした。43巻は12月13日発売予定とのこと。楽しみ!

kindle版はこちら↓


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