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働くことに生きがいを求めて~21 h君店長になる 志村店編前編

この物語は自己体験に基づいた作文(小説)です。これまでのお話はこちら

前話までのあらすじ。
高校生の時に加藤諦三の本に感銘を受け、「大好きなことを仕事にして燃えるように生きる」と決める。大学3年の時に大好きな彼女ができて結婚に猛進。大学を中退し、好きでも何でもない靴の全国チェーンに入社。しかし婚約まで行きながらドタキャンとなる。生きがいを失い仕事にも迷いが生じる。長野転勤で孤独を味わい、病気になり東京に戻される。戻ったひかりが丘店で上司のパワハラに悩み、ヤケクソで自己申告制度を利用して「商品センター」(姨捨山)希望と書き、人事部と揉める。人事課長の思いやりを無にするように本音が言えず、ひねくれた思いつきで「だったら店長にしてほしい」と言ってみたらなってしまった。超迷走中の靴販売員h君の新たなる展開がここから始まる。

その1 志村店赴任

1981年 h君 24歳 秋。

地下鉄志村駅の階段を上りきり、商店街の歩道に足を踏み出したh君は、目の前に広がる光景に思わず立ち尽くした。
「なんだ、この寂れた街は……」
商店街には昔ながらの小さな店が軒を連ねている。どの店も看板は色あせ、店先の商品は古びており、どこか時が止まったような空気が漂っていた。そんな中を歩きながら、h君の目に「星友ストア志村店」の看板が飛び込んできた。
その瞬間、h君の脳裏にひかりが丘店での記憶がよみがえった。ひかりが丘店は、駅前ロータリーの向こうにそびえる8階建てのショッピングビル。そのデパートのような堂々とした佇まいと、活気に満ちた売り場の様子は、まるで別世界の話のように思えた。
一方、目の前にある志村店は、どこか錆びれた雰囲気を纏っている。h君は店の前で立ち止まり、一歩引いて全体を見渡した。
(ここは本当に同じ星友ストアの店なのか?)
看板には錆が浮き、壁の塗装は黒ずんでいる。建物はコンパクトな二階建てで、売り場は衣料品しか扱っていない。家庭用品や食料品といった日常的な商品は一切ない――全国に100店舗以上ある星友ストアとしては異例の形態だ。
靴売り場は1階の片隅にあり、面積はわずか20坪ほど。ひかりが丘店の華やかな雰囲気とは対照的に、どこか寂しげで冷たい印象を与えていた。
「これが俺の新しい職場か……」
深いため息をつきながら、h君は店内に足を踏み入れた。


その2  引継ぎと怪しい段ボール

志村店に到着したh君は、まず1階の靴売り場に向かった。そこで待っていたのは、前任の秋元店長だった。
「初めまして、秋元です」
170センチ後半の高身長に細身の体型。髪は七三分けできっちり整えられ、銀縁の眼鏡が知的な印象を与えている。秋元は少し緊張した面持ちで、h君に頭を下げた。その眼鏡の奥には、何か抱え込んでいるような陰が見え隠れしていた。
「初めまして、hです。よろしくお願いします」
h君もぎこちなく頭を下げ、二人の初対面が静かに始まった。
「まずは、ストアの店長への挨拶から始めましょうか。2階奥に事務所がありますので、ご案内します」
秋元に促され、h君は2階へと上がった。婦人服と紳士服の売り場を抜けた先にある小ぢんまりとした事務所。扉を開けると、明るい声が二人を迎えた。
「いらっしゃい! 新しく志村店に来られたhさんですよね?」
そこにいたのは、星友志村店全体を管理する女性店長だった。年齢は40代半ばほどだろうか。トンボ眼鏡をかけた丸顔のその目は鋭くも温かさを感じさせ、髪は明るい茶色のボブスタイルで整えられている。元気さと落ち着きが混じった雰囲気に、年齢を跳ね返すほどのパワーを感じた。
後にh君は、彼女が星友ストアグループ初の女性店長であることを知る。入社以来、地道に商品を畳みながら売り場の動向を把握し、売り上げを伸ばすことに尽力してきた。そして、その努力が実を結び、店長の座に上り詰めたという。
(この人はあなどれないな……)
h君は彼女の明るさの裏に隠れた芯の強さを感じ取った。
「はい、明日からよろしくお願いします」
h君が控えめに挨拶すると、彼女はにっこりと笑い、秋元に目を向けた。
「秋元さんはずっと真面目だったよねぇ~。面白味がなくて残念だったわぁ~」
その冗談めいた口調に、秋元は一瞬たじろいだが、「はぁ……」と小さく相槌を打つだけだった。h君はそんなやり取りを見て、思わず笑いそうになったが、なんとか堪えた。
事務所を出ると、秋元はふぅっと小さく息を吐いた。
「まぁ、あんな感じの人です。でも、仕事はしっかりしてますよ」
その帰り道、秋元はちらりと社員食堂を案内してくれた。食堂のドアを開けると、20人ほどが座ればいっぱいになりそうな小さな空間が広がっていた。長机が2つ並び、その周りに椅子が置かれている。決して広くはないが、この店の規模には十分だった。
「昼食はここで取る方が多いです。ここの従業員はみんな素朴でいい人ばかりですよ」
そう説明した後、二人は1階の靴売り場に戻り、秋元の案内で店内のストックや店外倉庫の確認を始めた。

次に案内されたのは、屋外の倉庫だった。店の裏手にあるプレハブ造りの倉庫は、畳2畳分ほどの狭い空間だった。外からの雨風を完全には防げていないのか、隙間から冷たい風が吹き込んでいた。
中には所狭しと靴箱が並べられている。箱の表面には薄く埃と湿気がまとわりつき、触れると微かにしっとりとした感触があった。
「雨風が入り込むのは仕方がないんですよ。店のバックヤードが狭いですからね……」
秋元は申し訳なさそうに呟いたが、h君は倉庫内に目を走らせ、ある異様な存在に気づいた。
「……あれ?」
整然と並ぶ靴箱の中で、ひときわ異彩を放つ大きな段ボール箱が目に留まった。他の靴がしっかり箱詰めされているのに対し、その段ボールだけが不釣り合いに場違いな雰囲気を漂わせている。
「この段ボールの中身は何ですか?」
h君が指を差して尋ねると、秋元は一瞬動きを止めた。そして、わずかに表情を曇らせながら答えた。
「……子供フォーマルの持ち越し商品です」
その言葉には、どこか説明をはぐらかすようなニュアンスがあった。秋元は続けて「まあ、今はあまり気にしなくてもいいですよ」と付け加えると、急いで倉庫を出ようとした。
しかし、h君はその段ボールが気になって仕方がなかった。他の靴箱とは違う扱いをされているようで、妙な違和感を覚える。段ボールの中に一体何が入っているのか――その疑問は解消されないまま、秋元に促され、靴売り場へと戻った。

こうして一通りの引き継ぎが終わったものの、h君の胸には何とも言えない不安と疑念が残っていた。
その日の夜、h君は志村店での未来を思い描こうとしたが、浮かんでくるのは薄暗い倉庫や湿気を帯びた靴箱、そしてあの異様な段ボール箱の光景ばかりだった。
「俺、大丈夫かな……」
その胸に渦巻く不安は、やがて彼をさらなる試練へと導いていくのだった。

その3 赤字店舗の現実

引き継ぎが終わり、翌日から店長としての業務を始めたh君。まず最初に手を付けたのは、営業成績の資料だった。店の現状を正確に把握しなければ、何も始まらない――その思いからだった。
だが、その資料に記載された数字を見た瞬間、h君の頭は真っ白になった。
年間売上目標――3000万円。全国で100店舗中99番目の売上高。
「・・・は?」
思わず声を漏らしてしまった。ひかりが丘店では年間売上目標が3億円を超えていた。たった数ヶ月前、h君がそのプレッシャーに押しつぶされそうになっていたことを考えれば、この3000万円という数字はまるで冗談のように見える。
しかし、それ以上に彼を打ちのめしたのは、「営業純利益」の項目だった。
そこには、赤々とした文字で「−10,000」と記されていた。
「……赤字店舗……」
h君はしばらくその数字を眺め続けた。冷たいものが胸の奥に広がるのを感じる。この店は、利益を出すどころか会社に負担をかけている。つまり、志村店は会社にとって「不要な店舗」なのだ。
そして、そんな店舗に配属された自分――その意味を悟った瞬間、h君の心には深い絶望が押し寄せた。
(俺もいらない人間ってことか……)
自己申告で「店長にしてください」と言ったのは自分だ。だが、そのわがままを受け入れて与えられたのは、この「いらない店舗」だった。
この店に配属されたという事実が、会社が自分をどう評価しているかを雄弁に物語っている気がした。
「やっぱり、そういうことか……」
ひかりが丘店での辛い日々から逃げたい一心で、画策した自己申告書。そして、人事課長とのやり取りの中で、やけくそで「店長にしてください」と言ってしまった――その結果がこの志村店だった。
h君は深いため息をつき、椅子に背を預けた。これから何をすればいいのか、全く見当もつかなかった。

その4  怪しい倉庫の実態

翌日、h君は気持ちを切り替え、店内の状況を改めて確認し始めた。その中でも特に気になったのが、引き継ぎの際に目にした「あの段ボール」だった。
靴売り場の在庫はすべて把握しておかなければならない――そう考えたH君は、屋外倉庫へ向かい、例の段ボールを恐る恐る開けてみた。
「……なんだこれ……!」
中には、カビがびっしりと生えた子供用フォーマルシューズが乱雑に詰め込まれていた。靴箱にも入っておらず、裸のまま押し込まれている。それどころか、革が変色し、硬いつま先部分が潰れているものまである。どう見ても商品として売れる状態ではなかった。
h君は一瞬言葉を失ったが、すぐに前任の秋元店長に電話をかけた。
「秋元さん、あの段ボールの中身、一体なんなんですか?」
電話越しの秋元は気まずそうな声で答えた。
「あれは……僕も前任の店長からそのまま引き継いだんですよ。ずっとあの状態で……」
「なんで処分しなかったんですか?」
「いや、マネージャーに相談はしたんです。でも『そのままにしておけ』って言われて……。処分するには大きな値下げが必要で、誰も手を付けられなかったんです」
「……そんなぁ……」
h君は呆然としながら電話を切った。
段ボールの中に詰められていたのは、まさに「臭いものに蓋をする」という言葉がそのまま具現化したような存在だった。誰も責任を取ろうとせず、ただ次の人へと押し付けてきた結果がこれだったのだ。
h君は段ボールをじっと見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。しかし、昼休みに気持ちを入れ直し、「まだ始まったばかりだ。頑張ればなんとかなる」と自分に言い聞かせた。
ところが、その矢先にH君は重大な事実に気がついてしまう。
自分は紳士靴以外の靴に関して、まったくの素人だということを――。
アルバイトとして入社して以来の3年間、h君は紳士靴以外を担当した経験がなかった。つまり、婦人靴も子供靴も売り方が全然わからないのだ。
特に婦人靴に関しては、紳士靴とはまるで特性が違う。紳士靴は定番的な商品が多く、流行もそれほど激しくない。客層も地味なお客さんが多く、主に中高年層が中心だった。しかし、婦人靴はまったく違う。10代のトレンドに敏感な中学生から50代のファッションを意識する女性まで、幅広い層がターゲットとなる。そのため、流行を敏感に察知して売り場に反映させなければ、すぐに顧客に見放されてしまうのだ。
売上構成比を確認すると、紳士靴20%、子供靴30%、婦人靴45%、その他5%となっていた。
つまり、自分の知らないジャンルが売り場全体の75%を占めているのだった。
ここでもまた、h君は絶望感に襲われた。
3年間紳士靴をそこそこやっていたものの、心の奥底では「本当にやりたい仕事ではない」という気持ちがずっとあった。好きでもない靴屋の仕事に興味を持てず、ただ流されるままに店長になってしまったのだ。言うなれば「わがまま小僧」が勢いだけで店長になってしまったようなものだった。
閉店後、H君は真っ暗な店内を見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。
この店を運営していく――そんな希望の光は、h君にはまったく見えていなかった。

その5  辞表と新たな決意

なんとか1週間をやり過ごしたh君。休日の昼近くに起きて、机に向い漠然と何かを考えるように、ただぼうっと壁を見つめていた。
(やっぱり俺には無理だ……)
h君は引き出しから便箋を取り出し、おもむろに辞表を書き始めた。
書きながら、いろいろなことが頭をよぎった。
この3年間の記憶が次々とよみがえってきた。大学3年の夏、大好きな彼女ができ大学を中退。結婚を夢見て職を転々とした日々。ようやく星友シューズに入社したものの、彼女に結婚をドタキャンされ、長野に飛ばされ孤独に耐え切れずピーピー泣いて過ごしたあげく病気になり東京に戻された。戻ったひかりが丘店で上司のパワハラに合い自信を失い、自暴自棄的な自己申告書を出したら店長として志村店へ配属された。振り返るほどに、自分の人生が逃げと挫折の連続だったことを思い知らされた。
「なんなんだ、俺の人生は……」
ふと、目頭が熱くなり、スーッと涙が頬を伝い落ちた。せっかく書いた便箋の文字が滲む。
(あぁ、書き直さなきゃ・・・・ほんとにドジだな俺は)
ペンを机の上に投げ出す。
しばらく椅子に座ったまま放心していたh君だったが、ふと我に返る。窓の外には夕暮れが広がり、部屋の中は薄暗い影に包まれていた。
その時、h君の胸の奥で、何かが小さく燃え上がるのを感じた。そして、口の中でかすかに「クッソー」と呟いた。
「このまま辞めるのは悔しい……!」
悔しさがじわじわと湧き上がり、h君は歯を食いしばった。
(もう一度だけやってみようかなぁ……)
この半年間、自分の全てをかけて売り上げを作りに行こう。入社以来、上司や先輩から学んだことをすべて出し切ってみよう。それでもダメなら、その時こそ辞めよう――そう心に決めた。
書き終えた辞表をどうするか、h君は少し迷った。破り捨てるべきか、持ち続けるべきか。
結局、辞表はそのままビジネスバッグの奥底にしまい込んだ。それは彼にとって「最悪の時の保険」だった。
だが、それ以上に心には新たな決意が芽生えていた。

その6  決断実行そして

翌日、h君はマネージャーに電話をかけ、問題の段ボールについて相談した。
「マネージャー、あの靴を処分するには20万円以上かかります。店の値下げ予算を大幅に超えてしまいますよ……」
しかし、マネージャーは意外にも冷静だった。
「お前に聞くけど、あの靴を定価で売り切れる自信はあるか?」
「ありません!」
「だったら値下げするしかないだろう。それに……“臭いものに蓋をする”時代はもう終わりだ。この店舗を立て直すための第一歩だと思え」
その言葉にH君は背中を押された。そして、ついに問題の靴を処分する決断を下した。
だが、値下げ伝票を本部に送付した翌々日、営業部長が店に直接やってきた。
部長は顔を真っ赤にして、まっすぐH君の前まで歩いてくるなり、送ったばかりの値下げ伝票の束を突きつけた。
「貴様、俺を舐めてるのか?」
部長の怒鳴り声が響く。
「月の値下げ枠を見て仕事してるんだろうなぁ? こんな伝票を切ったら、この店、いくら売ったって利益が出ないんだぞ! ちゃんと計算して仕事してるのか!」
その後、h君は1時間にわたって延々と続く部長の怒りに、頭を下げ続けるしかなかった。
人生とは、うまくいかないものだ――。
情けない気持ちで部長が帰った後、h君はマネージャーに電話をかけた。
「めちゃくちゃ怒られました……」とh君が言うと、マネージャーは軽い口調で返した。
「言わせておけばいいよ」
「勘弁してくださいよ! 話が違うじゃないですか。マネージャー、責任取るって言ったじゃないですか!」とh君が嘆いてみせると、マネージャーは笑い飛ばした。
「頭なんかいくら下げたってタダだよ。それで店がキレイになって、売り上げが上がりやすくなるなら万々歳じゃないか!」
そう言って、マネージャーは「はっはっはっはっはっ!」と豪快に笑い声を響かせた。
最後にマネージャーは「俺に任せておけ」と力強く言ったので、h君はわらにもすがる思いで「よろしくお願いします……」とだけ答え、電話を切った。
しかし、電話を切った後、h君の心には虚しさが広がった。
「今期のボーナス、出ないかもしれないなぁ……」
そんな思いが、じわじわと胸の内に湧いてきたのだった。

その7  半年間の結果

h君は覚悟を決めて取り組んだ。前任の秋元が整えた売り場は、真面目な彼の性格が反映されたものだった。整理整頓はきちんとしており、一見問題はないように見えたが、現状維持の精神が色濃く滲む売り場づくりだった。これは従業員たちの証言からも明らかだった。
「秋元さんは真面目でコツコツ仕事をされていました。だけど、正直なところ、あまり商売人らしさは感じませんでしたね」
「そうそう。淡々としていて、なんていうか、"事務的"な感じでした。悪い人ではないんですけど……」
パートさんたちのそんな声を聞いて、h君は秋元の置かれた状況を理解した。小さな店の宿命として、本部から送られてきた商品を売り切る力が足りなかったのだ。特に婦人靴や子供靴は、季節感があるため販売期間が短く、売れ残りやすい。その象徴的な例が、あの「子供フォーマル」の在庫だったのだろう。
h君は不良在庫を減らすために頭をひねり、そして一つのアイデアを実行に移した。吉祥寺店時代の上司である大峰店長が現在、巣鴨店の店長を務めていることを思い出したのだ。巣鴨店は標準店の中では最大の売上を誇るパワー店舗だった。h君はこのつながりに賭けることにした。
星友ストアには、「店間品振り」という制度があった。売り切れない商品を他の店舗に送って売ってもらうという仕組みだ。ただし、相手店舗にとっては負担となるため、依頼するには人間関係や信頼が必要だった。h君は大峰店長に頭を下げ、不良在庫を引き取ってもらうようお願いした。
その代わり、巣鴨店で催事がある時はタダ働きの応援に行った。早朝から深夜まで残業することもあったが、h君は不満ひとつ言わず働いた。こうして少しずつ、不良在庫を減らしていった。
そして、店の客層をつかむために「正札管理・単品管理」を実施した。
レジのすぐそばに小さな箱を置き、売れた靴の正札をすべてそこに入れた。閉店後、それを家に持ち帰り紳士婦人子供すべてのジャンルの正札をカウントして売れ筋をつかんだ。さらに翌日それを店に持ち帰りパートさんに単品ごとのサイズ管理をお願いした。これをするとより一層商品の売れ方がわかるため、補充するときの重要な参考になった。
この両方で、店の客層に合わせた商品構成と安定した在庫バランスが取れるようになっていった。
実はこの管理が接客が苦手なh君の唯一の得意技だったのだ。
半年間、h君は自分ができる限りのことを考え、実行に移した。しかし、それでも売上目標を達成することはできなかった。
販売は結果がすべて。いくら努力しても、数字が伴わなければ意味がない――それがこの業界の冷たい現実だった。
「やっぱり俺には向いてないんだ……」
h君は自分の中で結論を出し、辞表を書いた。そしてついに、それを本部に送ろうと決めた。

その8   ボーナス評価

まさに辞表を本部に送ろうとしたその日、一通の封筒がh君の手元に届いた。それはボーナス査定の通知書だった。
(どうせD評価だろうな……)
期待する気持ちは全くなかった。それでも念のため封筒を開けたh君は、次の瞬間、自分の目を疑った。
「……えっ!?」
そこには、「S」の文字が記されていた。最上級評価だ。
(なんかの間違いだろう……)
h君は信じられず、すぐにマネージャーに電話をかけた。
「マネージャー、どうして俺がSなんですか?」
電話の向こうで、マネージャーは呆れたように笑った。
「おまえもめんどくせぇ奴だなぁ。素直に喜んでおけばいいだろうが!」
「でも、俺は一度も売上目標を達成できていません。そんな俺がS評価なんて……間違いですよね?」
h君は食い下がった。すると、マネージャーは静かにこう言った。
「あのなぁh、店は生き物なんだよ。まず土を耕して種をまいて水をやって育てていくことが必要なんだよ。その店はお前が行くまでは本当にひどい状態だった。まさに荒地だった。それをお前が1から土を掘り起こすように耕した。在庫の悪いものを思い切って申告して、部長に怒られながらも、値下げ伝票を切って、何年前の靴だかわからないフォーマルシューズを捨てた。あの行動が土を耕すこと、お前のなんとかしようと言うその気持ちがあるからこそだ。店と言うのは店長が変わって、次の日から売り上げがポンと上がるものではない。そうやって土地を耕して種をまいて育てていって結果が出るのは半年後、1年後もしかしたら2年先かもしれない。でもお前は着実にこの半年間、お前のできる範囲で一生懸命やっていた。それを俺は見ていた。だから俺はお前にSをつけた。文句あるかぁ? 文句あるなら金返してもらってもいいぞ(笑」
h君は電話を握りしめたまま、言葉が出なかった。
h君は喉の奥から何かがこみ上げてきて、声が詰まった。
「いえ……ありがとうございます……!」
絞り出すようにそう答えると、h君は深々と頭を下げた。電話の向こう側が見えるわけではないのに、それでも彼は心から感謝の意を伝えたかった。

電話を切った後、h君はしばらくその場に立ち尽くしていた。

前の店、ひかりが丘の店では店長にメタくそに言われ続け、どんだけ自分が仕事できないのか能力のない人間なのかと思い知らされた1年間だった。本当に辛かった。苦しかった。仕事辞めたいと何回思ったことか。
それで会社の自己申告制度を使ってめちゃくちゃなことを書いて、人事課長が飛んできて心配してくれて、それでも自分の中で本当のこと(店長が怖い)が言えずにごまかすために、だったら店長にしてくれと言ってしまった。その結果ほんとに店長になってしまった。実際に店長になってみたら、とんでもなく仕事は難しかった。販売員の時には想像できないような高度な仕事を要求された。赴任して1週間で絶望を感じて即座に辞表を書いた。しかし書いているうちに自分が恥ずかしくなって、もう半年間だけ必死になってやってみよう。とにかく自分の持てる力を全部発揮して売り上げを取るために努力してみようと気持ちを切り替えて頑張った。その半年間の結果が売上げ予算未達だった。だからやっぱり自分は才能がないんだ、仕事できないんだと思って改めて辞表書いた。
そんな時にいただいた言葉がマネージャーの上の言葉だった。本当に嬉しかった。一生懸命やれば見てくれる人がいるんだなと、神様っているんだなと思った瞬間だった。とにかく自分のことを初めて認められたと言う喜びが満ち溢れた瞬間だった。

その日、自宅に戻ると、自分の部屋でビジネスバッグを開き、辞表を取り出した。
「……もう、必要ないかな」
そう呟きながら、辞表を細かく破り、ゴミ箱に捨てた。そしてゴミ箱をじっと見つめた後、ふと笑みがこぼれた。

「もう少しだけ、この会社で頑張ってみようかな……」
h君は新たな決意を胸に、志村店での挑戦を続けていくことを心に決めた。そして、その中にかつてないほどのワクワク感があることに気づいた。

つづく。


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