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働くことに生きがいを求めて〜16。大恋愛の巻前編。

これは自身の体験に基づいた小説です。
仕事に生きがいを求めて彷徨った青年の話です。これまでの話はこちらにまとめてあります。


主人公の佐伯(ヒデ)は、高校時代に加藤諦三の本と出会い、生き甲斐のある人生を生きたいと思った。そのためには大好きな仕事を見つけて燃えるように働こうと決めた。
人生の価値観と選択基準をそこに置いて生きてきた。しかし、思うような生き方ができずにもがいていた。
そんな時、人生の扉が予告も無しに突然開くことになった。

大学3年の春、和洋菓子専門店で販売のアルバイトをしていた。
彼女がすでにいたにも関わらず、ここで知り合った裕美子と急接近し、付き合うことになる。
一夏の経験をし、二人は熱愛に発展、もう1分でも離れていたくないほどお互いを大好きになってしまう。
佐伯の心にメラメラと火がつきはじめた。
1日でも早く結婚したい!
ということで、
佐伯は大学を中退,裕美子は予備校を退学し、共に働き始めた。
佐伯は靴の全国チェーンでの販売員。裕美子は新宿の高層ビル街にあるコンピュータ管理の会社の事務員になった。
ここで問題が起きた。
休みが合わない。丸一日いっしょにいられる日がない。そこで、二人は工夫をした。
その分を毎日通勤電車の中で会うことで埋め合わせようと考えた。
そして、
「夏休みをいっしょに取る」ことを目標にがんばって働いた。
静岡の弓ヶ浜の貸別荘で6泊7日で楽しんだ。めくるめくような夢のような時間だった。
もう離れられない。
彼らは、平常に戻ってもその感覚を求めて、週一日、彼女が休むの日の前日に外泊するようになった。
これが親にバレてしまった。
親同士が電話で大喧嘩となった。

「オタクのバカ息子がうちの娘を誘惑した。だから,こんなことになったんだ!」と裕美子の父親が言えば、
「何見当違いなことを言ってるの、あんたんちのアホな娘がうちの息子をたぶらかしたんじゃない、うちの子はこんなことするような子じゃなかった!」と佐伯の母が言い返した。
それに対して、裕美子の父親が「二度とうちの敷居を跨がせないからな!」という。
佐伯の母親も「それはこちっちのセリフだ!」とやり返した。
その剣幕に、二人はそれぞれ電話口で呆然とした。
翌日の通勤電車の中で二人は相談した。
「こうなったら家を出て二人で暮らすしかない」と裕美子は言った。
佐伯も同感だった。1週間ぐらい同じ話を繰り返した。
このまま強引に2人で暮らし始めたいのは山々だった。しかし、佐伯はギリギリのところで踏みとどまった。
佐伯の脳裏に大学を中退すると言った時の母親の姿だった。彼女は泣いていたのだ。滅多に涙など見せない人だった。その時ものすごく胸が痛んだのを覚えている。
ここで家出をしたら、おそらくまた母親を悲しませることになる。それはできれば避けたかった。
裕美子に嫌われるかもしれないとやや不安になりながら、家出しないで、両方の親を納得させる方法を考えようよと彼女に提案した。
彼女は、やはり白けた顔になった。
それでも、佐伯が,自分のことを真剣に考えてくれていることを感じたのか、渋々ながらも同意してくれた。
そして出来上がった考えが、2人で1年間で結婚資金を100万円貯めよう。本気なんだということを周りに行動で示そう,ということになった。
その決意を決めた時、ファミレスで夕食をして外に出た。
寒っ!
どちらともなくつぶやいた。
外はもう秋風になっていた。

外泊もできなくなった。
そしてデートの費用も切り詰めた。
それでも、二人は「結婚」という明確な目標があることで、毎日に希望を感じながら過ごしていた。
しかし、男の佐伯には理解できないことが彼女の中で起こり始めていた。
裕美子は不安だったようだ。
11月も終わろうとしている時、ふと彼女が漏らした言葉は
「本当に私たち結婚できるのかしら?」
だった。
佐伯は明るく返した「大丈夫だよ。毎月の7万円ずつ貯めてボーナスの時10万円ずつ上乗せすれば1年間で100万円になる。そうすれば誰にも文句は言わせないよ」
その言葉に、「うんそうだね、できるよね」と言いながら顔はすぐれない。
しばらく二人の間に沈黙が流れた。
すると彼女がおもむろに「私、婚約指輪が欲しい」と言った。
佐伯は戸惑った。
だってまだ俺たち婚約してないじゃないか。それを周りに認めさせるためにこうして努力してるんじゃないか、と思った。が口には出さなかった。
彼女の胸の内の不安が分かったからだ。
二人の間だけの約束でもいい、自分たちは結婚できる確証をハッキリと目で確認したいのだ。そして婚約指輪はその明確な証になるのだ。
佐伯は言った
「わかった。じゃあ、クリスマスプレゼントにするね」
彼女は言葉の代わりにニッコリと微笑んだ。その瞳は潤んでいた。


クリスマスイブの夜、佐伯は社員通用口を足早やに通り過ぎた。
その背中に「さえき〜」と声がかかった。ギクリとしたが、振り返るしかなかった。
そこには上司の藤山がニンマリとして立っていた。右手はおちょこをクイっと傾けるような仕草をしていた「軽く行くか」の合図だった。
佐伯の頭に裕美子の顔が浮かんだ。しかし、口元は即座に「はい」と答えていた。
居酒屋で、1時間が経過していた。
佐伯の心は落ち着かなかった。新宿に8時の約束で、今はすでに9時を回っている。そんな佐伯のそわそわと落ち着きのない素振りに、上司の藤山は、「おい、お前、もしかして、今日デートだったのか?」と言った。
佐伯は恐縮しながらも「はい」と答えた。
「馬鹿か、お前は!」といきなり手に持ったおちょこをテーブルに叩きつけるように置いた。酒がこぼれた。
「なんで先にそれを言わないんだ」
酒の加減で赤くなっていた顔をさらに真っ赤にして、怒るように言う。
(そんなこと言ったって、上司に言われて断れるわけないじゃん)とサエキは思った。
「すみません、なんとなく悪くて言い出せませんでした」
「もういい、すぐ帰れ」と人を指差し、仕事を命ずるように言う。
佐伯が財布を取り出すと「ばか、そんなもんいいから、さっさと行け」
佐伯はバックとスーツの上着をつかんで荻窪駅までダッシュした。新宿に着くなり歌舞伎町に走った。歌舞伎街の入り口に小さな貴金属店が軒並み立ち並んでいた。
直感で選んだ店舗の店主に「クリスマスプレゼントに婚約指輪をあげたいんだけど」と早口でまくし立てる。その親父はまるで、いつもやっているかのように、はいはいじゃあこれなんかどう、みたいな感じでガラスケースから指輪を1つ取り出した。やや不審げな顔の佐伯だった。
とりあえずその指輪を覗き込んだ、
シンプルなデザインのシルバーリングだった。
「指輪の内側を見てごらん。日本の国旗が刻印されているだろう。それは歴とした国が認める確かな証なんだよ。国の保証付きの指輪なんだ。貴金属に疎い佐伯は親父の言うままに、信じ込み、シンプルなデザインのその指輪を買った。
そこから、新宿駅の京王線改札口までまたダッシュした。
改札口はクリスマスのイブの夜にふさわしい喧騒の中にあった。駅の時計は午後10時を指していた。
約束した場所に着いた。
目印の大きな柱のところまで行き、正面から反対側までぐるりと回ってみた。しかし彼女はいなかった。
あぁやっぱりもう怒って帰っちゃったかー、と肩をがっくりと落としうなだれた。佐伯はそのまま
目をつむって無念さをこらえた。
その時突然何かがまぶたの上を塞いだ。
驚いたものの一瞬でそれが冷え切った人の
手の平だとわかった。
その両手を抑えて振り返った。
「ばーか、何時だと思ってんだよー」と裕美子の声がした。佐伯は鳥肌が立った。
「ごめん、ごめん、ごめん、本当にごめん」とひたすら謝った。
土下座しそうな勢で頭を下げた。その頭の上から「嘘だよー、全然怒ってないよ」と裕美子が言った。
キョトンとする佐伯に向かって裕美子は続いて言う。
「だってヒデだって待っていてくれたじゃん。しかも、5時間もここで待ってくれてたじゃん。だからこれでおあいこだよ。だから、もう頭を上げてよ」
佐伯は何かに救われたように、力の抜けた泣き笑いの顔になった。

その30分後新宿のとあるレストランの一角で、怪しい貴金属店の親父の推薦で買った指輪を見て、裕美子は目に涙を溜めていた。

半年後の6月下旬のこと。
裕美子の家の茶の間の畳の上で父親と対峙する佐伯の姿があった。
佐伯は、厳しい顔をして座る裕美子の父親の前に1通の預金通帳を差し滑らせた。
「この1年間で1,000,000円を貯めました。2人の結婚資金です」
父親は無言でその通帳を拾い上げると、通帳を1枚目からめくっていく。数ページを見た後、閉じる。その手の平で抱えて拝むような仕草をした。
「どうやら私はあなたを見誤っていたようだ。ふつつかな娘だが、どうかよろしく頼む」と軽く頭を下げた。
佐伯はコチコチに固まったまま正座して、完全に足がしびれて動けない。何とか首だけ前に倒して「ありがとうございます」とだけ言った。
胸の内でガッツポーズをしたのはもちろんだった。
ふと父親の背後に座る裕美子と目があった。彼女はニコニコと満面の笑顔のまま小さく頷いた。

この日から2ヶ月後、両家合わせて六人が出席し開催された食事会で,二人の婚約が確認された。

後編につづく。

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