彼の人生を変えた「S友シューズ志村店」
彼は、青色申告を作成しながら、自分のこの一年を振り返っていた。
何も成していない一年だった。
コロナ禍の中、基礎疾患がある我が身が不安で、極力人との接触を避け続けた。
ほとんど市内から出ていない。
しかし、青色申告書を提出した日に、今度の一年は動こうと思い始めていた。
人生最後の勝負がしたい、その思いが沸々と湧いていた。
そんなことを考えていたら、YouTubeで全国的書店組合が作成した動画を発見した。
個人商店主たちが、その店の歴史や本屋にかける思いを語っていた。
動画を何本か観ているうちに、
本屋巡りをしたくなった。
たまたま観ていいなぁと思った本屋があった。
新板橋にある大地屋書店と志村坂上にある書林朝日書店だ。
どちらも、個人書店として生き残っている本屋さんだ。
両店とも店内がきちんと整備された、やる気を感じるとてもいい本屋さんだった。
二軒目の書林朝日書店を出た時、その駅が昔自分が勤めていた商店街の近くであることがわかった。
彼は、自分の青春の1ページに記された、S友シューズがテナントとして入っていたスーパー「S友ストア志村店」の跡地を見たくなった。
懐かしの志村商店街は、記憶にある風景より幅広くかつ明るく感じた。
歩けども歩けども、覚え知ったお店が見当たらない。
当たり前だ、もう四十年近く経っているのだ。
ほとんどの店が新しいビルに立て直されている。
駅からの距離で推測したS友志村店の跡地は、パチンコ屋になっていた。
土地のスペースから推測しておそらくそこだろうと思われた。
ここにS友ストアがあったことなど、今は誰も知るまい。
彼は、少し感傷に浸った。
その前をゆっくり通り過ぎた二軒先に、立ち食い蕎麦屋があった。
んっ❗️
あっ!ここ知ってる!
ほぼ毎日食べていた蕎麦屋だ。
カウンターの大きさも多分同じだ。
そのカウンター上で、天玉うどんを食べながら泣いたこともあった。悩みながら食べて、味がしなかったこともあった。そして、売上絶好調で快進撃を続けていた時は、笑いながらうどんを食べていた。
25歳から26歳の頃だ。
全てが熱い毎日だった。
まだ学生気分が抜けきらない、文学青年上がりだった彼は、多彩な言葉で自分の理屈をこねくり回して生きていた。
文学青年だった彼が、ビジネスマンへと精神的に変化させられた店だった。
1年で店長になれると言われて入ったS友シューズだった。
ところが、理屈は達者だが仕事はできない男は評価されなかった。
入社して3年が過ぎたある時、たまたまその会社の店長クラスが他の靴屋から大量にヘッドハンティングされた。
店長が足りなくなった。
ダメ社員の彼にお呼びがかかった。
しかし、彼は売上の取り方がわからない。
店のレイアウトが作れない。
パートアルバイトの使い方がわからない。
そこで初めて自分の能無しぶりを自覚した。
ほんとうに苦しい時期だった。
しかし、そのもがき苦しんだ2年半が彼の人生を生き抜く土台を作った。
蕎麦屋のカウンターに、白いワイシャツ姿の若者がいるように見えた。
いや、違う。
彼は、ほんの一瞬だけ、四十年前の自分の幻を見たのだ。
カウンターで少し背中を丸めて、美味しそうにうどんを啜る自分の姿の。
彼は、ほとんど昔の風景がわからなくなった志村商店街の中で、微かに自分がいた痕跡を見つけることができた立ち食い蕎麦屋に感謝した。
そして、四十年以上続く立ち食い蕎麦屋の、凄さを知った。
数分後、じんわりとしたものを胸に感じながら、彼は、志村商店街を後にした。