たまに取り出せる -20240216
届いたよー
室木おすしさん著『たまに取り出せる褒め』!!
オモコロ記事の時点で一つ一つの「褒め」が心暖まらせてくれるとても素敵な観点。
自分のたまほめと、たまほめの真逆について考えたことがあるので書いておこうと思った
*マイたまほめ*
中学のテニス部の大会での話、
弱小中学で3番手という立場にいた自分。
中学最後の大会の個人戦、2回戦で負けた後、
相手の顧問の先生がふと自分を呼び止め、話しかけてきた。
『君に勝てて良かったよ。僕は〇〇中では1番君を警戒してた。フォアのドライブとロブがいいから、バックはもったいないけど、、、
君が3番手なのが不思議だったんだよね。』
これです。
中学生の自分にはすっごい嬉しかったし、
今でもこれを思い出してはほくそ笑んでる。
中学の時は顧問がマトモに部活に参加してなくて、
番手は適当に決まっている感があって自分の評価に不服を感じていた中、
「自分のことをちゃんと見てくれている人がいるんだ!!!」
と思えたのがすごく嬉しかったのだと思う。
大会にはあっさり負けたけど清々しく引退できたのはこの言葉のお陰だった。
▪️たまに湧き上がる怒り▪️
たまほめを読んでいて常々思っていたこととして、
「些細な一言がその人に刺さって、人生のなかでふっと思い出される瞬間があるんだなぁ」
というところだが、
これには良い面の「褒め」もあるがその真逆のこともある。
例えば自分の例として、
またも中学時代のことだけど、
学校祭の司会を務めた後、なかなかに大好評で友達や普段接することのない先生からも褒められ、シンプルに上機嫌になった。
しかし、問題は数学のS先生。
学校祭の数週間後、
総合の時間かなんかで何かを発表するための最中、
白紙の前で頭の中だけでで考えをまとめていたところ自分の横をSが通り、
S「何してるの?」
ぼ「いやぁ、今頭の中でイメージまとめてたんですよ」
S「全然、進んでないじゃん。だから学校祭の司会も失敗するんだよ。」
パァ⁇⁈
何言ってんのコイツ。
いや、百歩譲って自分の司会が良くなかった可能性があったとして、生徒にそれ言う????
いや、流石に割と多めの人が賞賛してくれたし逆張りだろコイツ。
こいつ一人が異常なんだろうから無視すればまぁ別にええねんけど!?
これが私の「たまに取り出せる怒り」です。
自分の怒りはかなり小さいものだと思う。
他にはもっともっと古くに心に突き刺されてその痛みが大人になっても時折痛む、そんな人が多くいるだろう。
自分も仕事上、小さい子どもと接する立場にある上で指導もしなければならないわけで、
ただそんな中時に精神の未熟さ故に苛立ちのあるまま言葉や態度をぶつけてしまうことがある。
相手にとってどんな影響を与えるのか、よく考えて接さないといけないと戒めを受けている。
ともかく、
「たまに取り出せる褒め」は最高である。
その人にとって存在を認めてあげられる、
「褒め」をできる限りばら撒いていきたいと心に刻む。
たまほめが世の中に広まりますように!!!!!
そして、
『貴重な棒を持つネコ』の2巻が出版されますように。
終わり。