原神 エピソード 放浪者「灰燼」 考察
あくまで個人的な感想であること、ご承知おきください。
専門的な知識はあまりもちあわせておりません。ご理解いただけると幸いです。
今回は、原神のPV 「エピソード 放浪者「灰燼」」について童話と重ねながらお話していこうと思います。
童話「すずの兵隊」からみる「心」
「じゃあ、この物語はきいたことあるかな?」
このように始まるPVですが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンによる童話の1つ「しっかり者のすずの兵隊さん」または、「鉛の兵隊」をモデルに制作されていると考えられます。
この童話とPVを重ねながら、今回はお話をしていきたいと思います。
(「すずの兵隊さん」のお話は下記より↓)
「人形」である放浪者
放浪者/スカラマシュの正体は、雷電影によってつくられた人形(試作品)でした。
物としてみるならば欠陥品、人としてであればハンディキャップがあるような存在として、放浪者は描かれているのでしょうか。「すずの兵隊」に登場する兵士は片足がない状態で、ハンデを背負っています。また「おもちゃ」の兵隊であるため、こころはありません。
両者とも人形らしからぬ「こころ」があるような描き方をされます。
「こころ」なくとも
人形など「モノ」はこころを持たないはずです。しかし、彼について書かれる文章のなかに、彼を1人の人間としてみる周囲の姿をみることができます。また、PVの最初には「ぼくはまたこころを失った」とあります。
すれ違うそれぞれの想い
「おもちゃ」で遊ぶ子どもの心情というのはめまぐるしく変化し、時には残酷なものです。童話では、兵隊は持ち主の男の子に暖炉に投げこまれてしまいます。スカラマシュ側からみると、これに似た扱いをうけたと考えているのかもしれません。
一方、様々なゲーム内資料を読んでいくと、スカラマシュ本来の姿と雷電の考えがみえてくるような気がします。雷電側は、彼を破壊できずにいたのです。
「生まれた時より涙を零せた人形..」など、無生物に息を吹き込んだような描き方が、「すずの兵隊」と似ています。
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございました。またよろしくお願いいたします。