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てんかん(癲癇)とのおつきあい

てんかんとの馴れ初め

記憶にある最初のてんかん発作は、小学校1年生の時、学校の運動場で突然倒れたことです。運動場で遊んでいたところ急に目が回るような不快な感覚を覚え、先生に助けを求めに校舎に駆け寄っていく途中でバタリと倒れこんでしまったそうです。次に気が付くと、学校ではなく村の診療所の固いベッドの上に寝ており、母親と年配のお医者さんが、自分の顔を心配そうにのぞき込んでいました。

後に両親に聞くと(記憶にはありませんが)、自分のてんかんは小学校入学前から発症していたようでした。いわゆる小児てんかんと呼ばれるものです。一般的にてんかんは、脳が発する異常な電気信号によって、突然、体の制御がきかなくなり、痙攣などをおこして、意識を失ったりする症状を発症します。てんかんについては、haruna様の書かれた記事が、とても丁寧に説明されていますので、是非、ご一読ください

個人差のある症状、自分の場合

さて、自分の場合ですが、成人するまでの間は1年~2年に1回ぐらいの頻度で発作を起こして気を失って不意に倒れることがありました(発作を抑える抗てんかん薬は常用していました)。発作がおこるのは学校であったり自宅であったり、時には友人の家でということもありました。

てんかんの症状は人によっても異なるようですが、自分の場合は、まず、意識が「飛ぶ」ような不快感が何度か訪れ、次に眩暈(本当にまわりの風景がぐるぐる回る)、更に四肢の制御ができなくなり、最後に意識を失うという感じでした。意識が戻ると主に手足が(激しく痙攣したせいなのか)ひどい筋肉痛のようになり、手足に力の入らない状態が半日から一日続きました。

このように自分の場合、意識を失うまでに前兆のような症状がある為、ある程度、それを理解できるようになると、この前兆があったら、咄嗟に安全な(倒れても怪我を負わないような)場所に移動したり、周りの人に助けを求めたりするようにしていました。一人暮らしを始めてから自宅でこの前兆があった時には、倒れてもいいように布団を敷いて、実際に意識が戻ると布団の上で大の字になっていたなんて事もありました。

通院と治療

先に書いた通り自分の場合、てんかんは自分が意識するよりも前からの症状だった為、両親は赤ん坊の自分を連れて、地域の総合病院の小児科に定期的に診察に通っていました。そして病院とのおつきあいは自分が成人してもしばらく続きました

通院の主な目的は、検査と飲み薬の処方でした。薬は改善の為というよりは、発作の症状を抑え込む事を目的にしたもので、いわゆる抗てんかん薬です。検査の方はといえば、脳波を測定するものでした。脳波とは脳の活動で生じる電位変化のことだそうです。子供の頃は、この脳波検査がとても苦手でした。

今はもっと良い検査方法があるのでしょうが、当時は、病院の片隅にあった薄暗い検査室に通され、そこで頭にかなりの数の小さな電極を頭皮に取り付けられ(ちょっと痛い)、照明の消された状態でベッドに横になり、そのまま、熟睡するように指示されます。おそらく睡眠時の安定した脳波に、てんかんからくる異常な脳波が発生しないかを確認する検査だったと思うのですが「寝ないといけない」という妙なプレッシャーが、子供には余計に眠気を寄せ付けない状態になり、何度か眠れないまま測定不能で検査が終わったことがありました。そんな事が続くとある時から、母親が検査の前日になると「今夜はなるべく寝ないように(翌日検査で眠れるように)」と厳命、うっかり夜中に自分がうとうとしていると「寝たらダメだよ!!」とまるで雪山登山の遭難者のような言葉をかけてきました。しかも、そんな苦労をしても、翌日検査で緊張して眠れないこともしばしばでした。

時間の経過と症状の改善

てんかん治療には様々なケースがあり、場合によって脳の外科的手術をおこなうような場合もあるそうですが、小児てんかんの場合は、大人になると症状が治まることが多いと言われ、自分は抗てんかん薬と、定期的な検査だけで過ごしてきました。

丁度、30代前半位の頃でしょうか、しばらく発作がおこっていないなと気が付きました。医師にも相談すると、薬の量を減らしてみましょうという事で、徐々に薬を減らしながら数年が経過しました。その間も、軽い前兆が現れたりすることはありましたが、意識を失うような大きな発作は幸い発症しませんでした。30代後半ぐらいからは、薬もまったく飲まない状態で、ここ10年以上は、軽いものも含め、発作はまったくおこっていません

てんかんの場合、他の病気のように完全に治癒したことを証明することは難しいのですが、自分の中では最近になって、てんかんとの付き合いは終わったのかなと区切りをつけはじめています。

てんかんという病気に必要なもの

てんかんという病気は、症状が突然現れたり、全身の痙攣発作等の激しい症状を伴う為、患者自身、病気の事をオープンにするのに抵抗を覚える人が少なくないと思います。自分も特に幼少期には、恥ずかしいとか、周りに距離をおかれるのではないかと、できるだけ、伏せていました。

しかし、20代の前半に、社会人になり、初めての職場で発作を起こし、多くの方を驚かせてしまったことがありました。その時に、自分のなかで、これからもてんかんと付き合って生きていくのだから、どうやったら共生できるのかと考え、これからは、まわりの人たちにきちんと病気のことを事前に説明しようという結論に至りました。話を聞いてくれた人たちは、少し驚いたりしますが、ほぼ皆さん、理解してくれた上で、なにかあったら助けになるよと申し出てくれました。

てんかんはその病気の性質から、日常生活において患者自身がさけるべき行動等があるのも事実です。しかし、それに加えて重要な事は、患者が自身の病気をまわりの人たちにきちんと説明して、正しく必要な助けを求める事ではないかと自分は思います。そして、更に重要なことは、患者がそれをオープンにできる周りや社会の理解ではないかと思うのです。多くの人にてんかんという病気をもっと知ってもらい、過度に恐れず、正しい知識をもって受け入れる心構えをしてもらう事で、患者とそれを取り巻く社会の双方が良い方向に向かうことを願っています。


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