脳でしか食べられない話(1)
全てのはじまりにして、10年が経った今もなお私を苦しめている病は13歳の時になった拒食症だった。
中学生になって、初めての係決めで「学級委員長」になった。偏差値そこそこの私立中学に合格して、クラスではみんなに「委員長」と呼ばれた。成績はつねに学年5位に入るくらいには良かった。部活は、合唱部に入った。関東地区ではかなりの強豪校だったが、母親譲りの歌唱力と、外国人の父親譲りの日本人離れした音域の広さを、先生や先輩が褒めそやした。
みんなが私を尊敬してくれたり、期待してくれたりするのが嬉しくて、何もかも上手くやらなきゃいけない、何もかも完璧じゃなきゃいけないと思いはじめていた。
今思うといささか早いが、思春期を迎えて「ダイエット」をし始める子も周りに増えてきた。かわいい子にはすぐに彼氏ができる。お人形さんみたいに細くて、お洒落な女の子もいる。私は、小学校の卒業アルバムに載った自分の写真を見て始めて、客観的に見る自分を意識した。
痩せるとか太るとか気にしたこともなかったし、どちらかというと男勝りでボーイッシュだった私。体操服から伸びる男子みたいに逞しい脚、短髪、酷い猫背。当時の体重は45キロくらいだったけど、周りには40キロもなさそうな女の子もいる。
いいなぁ。華奢で女の子らしくなれば、私にも彼氏とかできちゃうのかな、モテちゃったりするのかな。
そんな時に、なんかの番組で「キャベツダイエット」みたいなのを観た。毎食前に、キャベツをひと盛り食べると食べ過ぎが抑えられるし、食物繊維豊富だからお通じも良くなって痩せるとかそんな感じのやつだった。何気なく、母親と一緒にはじめてみることにした。母親は気づけばやめていたけど、私はやめるどころかこれを皮切りにエスカレートしていった。
勉強でもなんでも、頑張ったら頑張っただけわかりやすく結果がでるものが私は大好きだった。お米をいつもの半分にすれば、簡単に1キロ減った。お菓子を辞めればまた1キロ減った。お肉を避けたら、お魚を辞めたら、カレーライスの時にご飯の代わりにサラダにカレーをかけたら、どんどん痩せた。彼氏もできた。嬉しくて嬉しくて、部活の筋トレも、周りの何倍も頑張った。気づけば中学1年生の夏には、45キロあった体重は35キロになっていた。
家族もさすがに焦りだしていた。母親は食べない私を叱った。頑張っているのに叱られて私は混乱したし、食べなさい!と言われると努力を否定されたような気がして腹が立った。毎日母親の目の前で体重計に乗せられるようになって、測定の前は2リットルの水を飲んで乗っていた。でも、ハードな部活と勉強のせいで体重は減っていく一方だった。
私は、自分のことを痩せているとは一度も思わなかった。鏡を見るとすごく足は太く見えるし、顔も丸い。もっともっと頑張らなくちゃ。でも実際は認知が歪んでいるだけで、夏でも骨の芯まで冷えるように寒くて長袖のカーディガンを着て、すぐに立ちくらみもした。私の身体は、死の危険を感じて悲鳴をあげていた。
夏が終わる頃に、彼氏に振られた。明確な理由は告げられることはなかったが、この頃の私の写真を見れば明白だった。骸骨みたいな姿。女の子らしさとかアイドルのような華奢さとかいう次元の細さではなく、病的な痩せ体型になっていた。月経も止まって、それまで毎年7cmくらいずつ伸び続けていた身長の伸びも止まった。
母親はお願い、食べて、死んじゃうと私に泣きすがりついた。母親は親戚から、お前がついていながら何でこうなったんだ、ちゃんと食べさせていないのかと酷いバッシングに遭っていた。ようやく私は、自分は異常で、病気なのかもしれないと思い始めた。
そこから少しずつ、「食べられるもの」から量を増やしていったが、反動からそのまま過食期に入り、これまで我慢していたお菓子やお米をとにかくたくさん食べて、2,3ヶ月で体重は42キロくらいまですぐに回復した。しかし運動量と若さのおかげで向こう2年ほどそれ以上にはならず、私も周りも、あっという間に拒食症を「克服した」と思っていた。
結論から言うと、全く克服してはいなかった。拒食症や過食症などの「摂食障害」は、食欲など欲求の病ではなく、「食べること」の量や欲求をうまくコントロールすることができなくなる「脳の病」であり、それは病たらしめている「本質」を突き止めて改善していかないと、一度はおさまったように思われても、ふとしたきっかけでまたその扉が開くことがあるのだ。
現に23歳になった私は、今も「脳で」食事することをやめられない。ふと、一体どこに、一日に食べるカロリーや栄養バランスをグラム単位で計算して、調整する動物がいるのだろうかと情けない気持ちになるが、13歳の私が発した病の根幹は自分や周りが思っているよりもずっと深い所にあったということを、当時は知る由もなかった。