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海の見える街

こんにちは。Natsuです。豪雨の影響、心配です。水は大きな塊となったとき、本当に破壊的な威力をもちますね。

今日の昼間は用事のために路線バスで海の方へ行きました。山を超えた先にちいさな漁村集落と市立の建物がある、むしろそれしかない、みたいなエリアです。

数年前まで、わたしはこういう景色を見るのが苦手でした。

映画みたいな美しい海辺の街は大好きなのに、薄汚れていて生活感があって道が狭くて山と海の匂いが濃くて、そういう街を見るのが、辛抱なりませんでした。

たとえば数年前に江ノ島をぐるぐる歩いた時がそれでしたし、行く先々の海辺で「ああ、これは苦手なタイプ」とか思っていました。だんだんに、寂れた漁村への苦手意識は薄れていっていて、今日なんかは他人事のように「そういえばこういう景色を嫌がっていたことがあったな」と過去に思いをはせるに至りました。

寂れた漁村が苦手な理由は、はっきり自覚しています。津波で悲惨な目にあった自分の故郷に似ているからです。

そしてその景色を見て、何を思い出すかと言えば、別に死んだ誰かの顔や、色々大変だった日々ではなく、「わたしなんかが生き残ってすみませんね」という罪悪感です。

自分が生きていることに罪悪感を抱くというのは、分かる人にはすんなり伝わりますが、わからない人はわからないということを、わたしは知っています。そもそも、みんなにわかってもらわなくてもいい、ものです。むしろ、わからない人ばかりの世の中になってほしいです。

震災後、わたしは、生き残ったことへの贖罪ばかりを考えて行動していました。自分は大罪人だから、それを埋め合わせるためならなんだって捧げようと思っていました。なんだって捧げよう、というより、何か大事なものを捧げて辛い思いをしていないと、文字通り生きた心地がしなかったんです。

実際、高校時代は津波の研究(特に実地調査)に土日のほぼ全てを費やしていましたし、とにかく人の役にたたなくては生きていることが許されない、と思って、ろくに人間に触れないくせに(この時わたしは人間に触るのがかなり苦手でした)医療職を志してそれ用の大学に行きました。むしろ、楽しくないこと、痛みを伴うことをするのが救いですらありました。我ながらヤバい発想。

大学に入学してからも、いざという時に自分の力不足で目の前で誰かが死んで自分が生き残るという「罪」を重ねる可能性を思うと怖くて怖くて、人助けに繋がりそうなら、専門領域以外の勉強もしまくりました。災害救助の関連のボランティアとか、そういうのも色々していました。

偶然は重なるもので、わたしの人生は誰かの死や喪失体験がつきものでした。アルバイト先で一緒だった一つ上の学年の女子大生が「腰がいたい」とシフトを減らしてからあっという間に病気で亡くなってしまったり、実習していた病院で、大好きだった若い先生が息を引き取ったり。その度にわたしは、医者でもないのに、何かできたんじゃないかと無限に考えてしまい、自分がもっと何かを捧げていたらこの人たちはもっと生きられたんじゃないかとか、荒唐無稽ですけど、そうやって「また生き残ってしまった」の傷を自分でえぐり続けていました。

どうやら自分が大きめの脅迫観念にとらわれていることは、大学生活の半ばで気づいていました。

絶対に、絶対に全員を救うことはできないのに、絶対にこの先も自然災害で人がゴロゴロ死ぬのに、その度に生き残っては罪を上塗りしていくんだとしたら、そんな人生地獄じゃん、と、頭ではわかっていました。

わたしがするべきは、有罪判決の後の懲役ではなくて、無罪であることを証明して好きに生きようとすることだったんですね。

誰かに「なんであの人が死んでお前が生き残ったのか」と実際に言われたことはありません。ただ自分で勝手に、どうしてわたしみたいな無価値の人間が生き残ってしまったんだろう?から始まる問答の末に、生きていていい理由としての「罪」を発見してしまっただけなのです。

年齢のせいもあったと思います。なにかひとつの物事が全てに影響してしまうような思春期だったから、ここまでこじらせてしまったのかもしれないです。

震災から7年程度経ってようやく、わたしは「無期懲役ライフやめたい」と思い始めました。ここまでが長かったなあ。無期懲役ライフをやめるにあたり、わたしは医療従事者になるのをやめてみることにしました。国家試験はちゃんと受けて、国家資格を手に、それを全然使わないで生きてみる。

学費のことを考えるとマジでもったいないし、かけてきた時間も戻らないけど、一世一代の賭けとして、わたしは誰の役にも立たない人間の時間を過ごそうと決めました。いわば脱獄です。内定先の病院に辞退の連絡する時は、ものすごくドキドキしました。

慣れ親しんだ贖罪生活は、ある意味では楽でした。行動選択の基準が明確だったからです。でもずっとそこのぬるま湯に浸っていることはできません。自分はかわいそうで悪いやつだと現実から目をそむけて卑屈の洞穴に閉じこもっていては、自分の求めるものは一生手に入らないのです。

なんやかんやあり、今の所、脱獄は成功しています。わたしは診療放射線技師の資格をもちながら、全然使わず、会社員として働いています。医療機器のメーカーとか、そういうのでもありません。そもそも、学生時代の実習以降、臨床経験ゼロです。

自分の半生を振り返ると、大事な10代後半から20代前半を、罪の意識で生き急いで棒に振った自信があります。

こういうの、サバイバーズ・ギルトって言うそうです。

さて、なぜわたしがここまで恥ずかしい自分語りをしているかというと、いま、自然災害を目の当たりにしたり、大切な何かの喪失体験をしている10代が、わたしみたいになってほしくないからです。わたしは完全にダメな例です。

こうやってこれを人に言えるようになるまで、9年かかってますからね。いまわたし24歳ですけど、そのうちの9年ですよ。今15歳の子は、自分が24歳になっている姿なんて想像できないでしょうけど、「生きていてごめんなさい」とか変なこと考え始めると、いい年になっても抜けないですよ。イタい大人になりますよ。嫌でしょう、イタい大人になるの。一時的にメンタルがヘラって「自分はなんで生きてんだろ...」とか考えるのは誰しも通る道ですけどね、それは中学2年で卒業しておくべきです。

「災害を経験して人の役に立ちたいと思って医療職を志しました」みたいなキレイな話は、小論文や面接でだけ使えばいいです。入試の小論文や面接なんて、「おとなの前でちゃんと話せるコミュ力あるかな?」の試験ですから、本心である必要なんて全くないです。適当なこと喋って行きたい大学に行って楽しく暮せばいいですよ。

あなたの周りで、何かをなくした後に「自衛隊入りたい」とか「医療職就きたい」とか言い出した若い人がいたら要注意です。そういう人がいたら、何も考えないでいい楽しい場所に連れ出しましょう。喪失体験は場所の思い出とリンクしていることが多いので、遠くに連れ出すのは結構有効かもしれません。(わたしは16歳の時にニューヨークに連れ出されていますが結果としてこじらせましたので例外はもちろんあります)

なんでここまでしてくれるの、と聞かれたら好きだからだよ、一緒に居ると楽しいからだよ、と伝えましょう。すぐには受け入れてくれないかもしれませんが、この世にこれ以上頭がイカれた若人を作り出さないためです、皆様ご協力ください。

それから、今避難所で暮らしている子とか、ブルーシートだらけの街で過ごしている子とか、そういう「張本人」たちで、お金も保護者の理解もなくて罪の意識から逃げる方法がわからない人がいれば、とりあえずわたしに連絡してください。欲しいものあれば数千円くらいなら買ってあげられるし、誘拐してほしければ数日誘拐してディズニーランドとかロッキンとか連れてってあげるから(ロッキンてチケットとれないんだっけ?)。やりたいことあるのに家にお金なくて大学行けないなら、国公立大であればお姉さんが学費出すからとにかく勉強頑張ってくれ。LINEも住所も教えるから、誕生日にお金振り込むから、どうか無期懲役ライフを突き進まないでくれ。なんでそこまでしてくれるのってキモいでしょうけど、「生きててごめんなさい」とか自分で思っちゃう10代過ごしている時点で(本人自覚ないでしょうけど)人生つらすぎるので、誰かから最大に甘やかされていいくらいなんですよ。マジで。

人間みな、人に迷惑かけないようして、あとは楽しいことだけして好き勝手生きたほうがいいに決まっています。「本当に好き勝手生きていいのかしら」などと殊勝なことを考える人間にとっての「好き勝手」など、そもそもたかが知れています。別にコンビニのシュークリーム買い占めて食べきれず捨てたっていいんです。どうせ死ぬまでしか生きられないんだから、好き勝手生きよう。

あなたの大事な人を幸せにする一番の方法は、自分が自立して幸せに生きることです。

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