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アニメ「映像研には手を出すな」未熟さと成熟への一歩目

初めまして。
既知の方は恐らくお世話になっております。 
PlainBrainの橋本えとせとらです。

今更感が凄まじいのですが、どうしても描きたくなったのでアニメ版の「映像研には手を出すな」についての僕なりの考えや感想を描きます。

まずこの作品を僕が観賞した理由は、PlainBrainで一緒に活動しているヒラテマリノにオススメされたからです。
僕がいくつか湯浅監督の作品を鑑賞していて、凄く作風が好みかもしれないということをヒラテマリノに伝えたところ、湯浅監督作品の「映像研には手を出すな」を教えてくれました。
湯浅監督の作品で視聴しているのはまだ「夜は短し歩けよ乙女」と「ピンポン」だけで、「四畳半神話大系」はたしか4話までしか視聴が出来ていません。
しかしそれだけでもなんとなく僕は湯浅監督の作品が好きなのではないかと思っています。
それぞれの原作は未読なので、原作の力が強いだけという線も捨てきれないので、このような言い方をしました。
直感的はそのような気はしていないのですが、僕の直感は外れることも多々あるので、念のため。


僕が一言でアニメ版「映像研には手を出すな」を評するとすれば、「未熟さと成熟への一歩目」です。
どういうことかというと、この作品の重要な設定である「女子高生3人がアニメーションを作る」ということそのものが未熟を孕むことだからです。
長編アニメーション作品のエンドロールを眺めていると、途中でどこまで数えたかを忘れてしまうくらい沢山の人々が関わっています。
数分間の短編アニメーションでも3人前後の名前しか記載されていないということは少なくとも僕が観てきた作品ではありませんでした。
つまりアニメーションを作るには3人では足りないですし、更にそれが高校生では成熟した作品になることは有り得ないわけです。
もちろん主人公の浅草もメインキャラクターの水崎も僕からすれば超人的な能力を持っている天才と秀才なわけですが、それを考慮に入れても未熟な作品になることを視聴者は許容すべきだと思います。
作中に出てくる彼女たちのアニメーションの出来についての評価は個人差があるので、そこまで断定する気はありませんが、僕は少なくとも「映像研には手を出すな」の世界においてはリアリティのある出来だと思いました。
ここからは少しメタ的な話になるんですが、主人公の浅草の声優をしている伊藤沙莉さんも「未熟と成熟への一歩目」という僕の評に深く関与しています。
伊藤沙莉さんはとても個性的なお声で凄く素敵だと思っています。
演技も程よい存在感で観ている作品に出てくると嬉しくなります。
しかし今回の浅草役については、僕は完全な適役ではないという感想を持ちました。
これは別に伊藤沙莉さんの演技が酷いというわけではなくて、むしろ声のみの演技はとても上手だと思いました。
ただ浅草のキャラクター性と声が合っていないように最初に声を聞いた時に思ってしまいました。
僕はあまりアニメから入った作品で声が合ってないと思うことはないのですが、今回はどうしても違和感がありました。
これは魅力ある声の持ち主の唯一の弱点かもしれませんが、どうしても浅草が喋っているのに伊藤沙莉さんがチラついてしまったんですよね。
個人的には浅草の声は「僕のヒーローアカデミア」の梅雨ちゃんのイメージでした。
しかしある種その伊藤沙莉さんのアンマッチさ故の未熟さが、この作品の根幹にマッチしていたと後々になって思いました。


ここまで未熟の面について描いてきましたが、「成熟への一歩目」についても描いていこう思います。
今作における成熟とは、作品が制作者からの手から離れることだと僕は考えています。
例えば彼女たちの一作目「そのマチェットを強く握れ!」は、主人公の容姿からして水崎を強くイメージさせますし、浅草の好みが濃厚に出てます。
もちろん彼女たちの妥協点はこの時点で多くあるのですが、アニメに出てくる最後の作品「芝浜UFO大戦!」に比べれば、かなり好き勝手にやった作品だと思います。
逆に「芝浜UFO大戦!」は確認不足が原因のトラブルなどや、そもそも町内会からの依頼ということもあり、キャラクターデザインや世界観や表現の省略の面で水崎や浅草のこだわりが薄まったように思います。
他の方の少し批判的な感想を読んだ時に描いてあったのですが、「とてもあの3人が作ったアニメーションだと思えない」んですよね。
しかしこれこそが大切な成熟だと僕は思うのです。
彼女たちが手を抜いたという意味ではなく、良い意味で彼女たちにしかわからないようなこだわりを薄めて、依頼者や鑑賞者という他者へ寄り添っている作品なのです。
実際に作品の内容も敵対している他者への理解がテーマなわけですしね。
僕は個人的に作品内で彼女たちが作ったアニメーションで一番好きでした。
この彼女たちの成熟に呼応するように伊藤沙莉さんの演技も時折、浅草が喋っているように僕に感じさせてくることが物語が進むにつれて増えていきました。
つまり伊藤沙莉さんの手から浅草というキャラクターが離れたわけです。
その瞬間が訪れる度に僕の中でこの作品に伊藤沙莉さんがキャスティングされたことに対する納得感が増していきました。
ここまでメタ的な見方をするのは、もしかしたら作品鑑賞をする態度としては、そこまで世間一般的には好ましいことではないかもしれませんが、僕はこの作品は浅草と水崎と伊藤沙莉さんの成長譚なのだと思います。
3人とも凄く能力のある人間ですが、その能力が伸びるというよりは適した成熟をすることで、良い作品が生まれたわけです。


僕が今回の評で述べた面以外にもこの作品は素敵なところが沢山ありますし、人によっては僕のこの考え方は作品の根幹ではないと考える人も思います。
そもそも僕が一番好きな金森のことについて、全く触れられていませんしね。
それは僕から見て、金森は「未熟さと成熟への一歩目」にはあまり深く関与していないからなので、仕方ないんですけども。
今作の好きな所については、また別の機会に描くことにします。


ここまでお読み頂きありがとうございました。
幼少期の金森のエピソード大好き!


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