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22/7(ナナブンノニジュウニ)がまた楽しくなる

 秋元康大先生が総合プロデュースしているデジタル声優アイドルグループ「22/7」の話をしたいと思います。

 思えば、私がこれまで投稿したnoteの中で一番読まれている「警戒心が薄くて宗教勧誘についていった話」の冒頭で触れていたのですが、具体的に記事として書いたこともありませんでした。これに加えて、長らく病気療養のため活動休止していた大好きな推しである倉岡水巴(河野都役)さんが無事に活動再開が決まったこともあるため、たくさん感情があふれてしまったので私がハマるに至った経緯などを書き連ねていきたいと思います。なお、感情が先行しているので、事実と異なる点があるやもしれませんし、ネットに蔓延る怪文書だとでも思って笑って読んでいただけると幸いでございます。

[ファーストコンタクト] (2017/9/??~)

 時は大学3年生、モラトリアムの先に就職という地獄がこちらを見つめている時期のお話。サークルにも所属せず、講義以外はバイトするか本を読むかラジオを聴くかアニメを見るかだった私は友達が少なかった。まあ少ないなりに人との交流はあって、オタクの話ができる友人もそれなりにいました。そんな緩いつながりの友人の中の一人が、大学に行く道中で話しかけてきた。友人の名前は仮にショウくんとします。
「ちょっと話聞いてもらっていいかな?22/7っていう声優ユニットがいてさ……」
 知らないジャンルの熱意あるトークを聞くのが好きだった私は話題の一つとしてそれを楽しんで聞いていました。ショウくんとしては「アニオタは秋元康ってだけで嫌がる人も多いからさ」と少し受け入れてもらえるか不安だとも言っていました。私は秋元康特有の「意味の分からない世界観と単語が説得力を持って歌われる」感じが好きだったので、別にその点にマイナス感情はありませんでしたが、特に当時はまだ1stシングルが公開しているのみで、注目度も薄かったし、正直言って、YouTubeに上がっている公式のMVも「デジタル声優アイドルグループ」と呼ぶにはCGのクオリティも低く感じた。
 正直「SonyMusicと秋元康とアニプレックスが手を組んでこの程度かよ!やっつけの企画なのかな?」という印象が頭をめぐり続けてしまいました。
 ただまあ表面上は私がおおむね好意的な対応をしたこともあってか、その後は彼から同じコマに帰る日、行く日、午後一番の講義が同じ日の昼休みなどに何度も話を聞くことになりました。ある時は悪名高き握手券商法、限定版商法により大量に買ったというCDをもらって感想を求められたりもしました。感想としては『地下鉄抵抗主義』という曲がまさに前述の「意味の分からない世界観と単語が説得力を持って歌われる」曲なので好きだという話をしたらとても嬉しそうに話を聞いてくれました。
 この時点でまず、[ショウくんへの信頼感=22/7への信用度]みたいな図式になっていきました。ショウくんは友達の多い明るいオタクだったので、別に私が特別というわけではないと思いますが、22/7を起点にかなり仲良くなっていったのも事実でした。ここから、私は一歩ずつ沼へ近づいていくことになるのです。

[セカンドインパクト] (2017/9/14~)

 ニコニコ動画(生放送)でかつて放送されていた番組(休止中扱い)に「電波ラボラトリー」というものがありました。毎回ゲストが宣伝物を持ってやってくる番組で、あの星野源や武田真治に激賞されたシンガーソングライター兼司会業鷲崎健さんと、マクロスFにおける「歌シェリル」で一躍有名になったアニソンシンガーMay'nさんの二人がパーソナリティを務めているバラエティ番組です。
 ちなみに、私はもともとこの鷲崎さんのファンであったため、なるべく忘れなければゲストが誰であっても視聴している番組でもありました。あるとき、22/7さんがゲストとして登場するというお話を聞いて、ショウくん激押しだし、感想でも伝えねばと腰を据えて見ることにしました。正直ショウくんのプレゼンと、MV・楽曲以外の情報はほとんど持ち合わせておらず、キャラ側のメンバーだけぼんやりと知っているくらいで(知ってるイラストレーターさんが書いているとかそれくらい)、話に対応するために公式サイトで一度は目にしているはずだったが、声優サイドのメンバーはほとんど覚えていなかった。
 つまり実質的に初見に近い状態でした。番組が始まり、画面に映るメンバーの皆さんについて最初は何というか、薄い印象でした。アイドルは毎年大量にデビューして、消えていく。いくら友達の熱意あるトークを聞いたとて、そういう印象はそうそうなくなりませんでした。メンバーの自己紹介、正直ほとんど記憶にありません。

唯一、後に推しになる倉岡さん以外は

倉岡さんは自己紹介で、「私、鷲崎さんのファンなんです~」と言い放った。ゲスト出演しているメンバーの中で唯一の関西弁のトーンも印象的だったと思う。でも私だってそこまで単純じゃない、自分と同じものを好きだというだけで簡単にファンになったりはしない。
 問題はこの次のゲームコーナーだ。古今東西テレビでもなんでもいろんな企画がありますが、その中でも定番中の定番ななゲーム、「絵合わせゲーム」が始まりました。要はお題に沿った絵を個々人が書いて、メンバー同士で一致させるというゲームである。その中のお題で「世界的名画といえば」というものが出た。相場はモナリザかひまわりといったところか、と思いました。それと同時に、
「黒マジック一色で書くならラッセンはイルカを書くだけで書きやすいし絵合わせで選ぶには突拍子もなくて面白いな。まーラッセンを選ぶ意味がないしありえないか」
と考えていました(フラグです)。シンキングタイム終了、一斉に絵をカメラに向かって向ける。フリップの真ん中にイルカを書いた人がいた。
えっラッセンじゃん!
思わず声に出た。書いたのはそう、倉岡さんだった。この時の強烈な印象がのちの自分に響いてきます。
 後日大学でショウくんに会ったので、感想を話しました。「この前の電波見たよ。いや名前忘れちゃったけど関西弁の面白い子がいたねー」当時私はまだ名前を憶えられていませんでした。ショウくんは「おっ!見てくれたの?そっかお前わっしーのファンだもんなぁ。俺らもオタク連中で相談して生放送に応援のコメントたくさん流してたんだよー」と言う。確かに好意的なコメントがたくさん流れるなと感じましたが、統率の取れたファンのプロパガンダだとは思いませんでした。今も続いているかは定かではありませんが、当時はファンの総数が少ない新興グループだったため、オタク同士の連帯が強く、ライングループなどでの交流があったらしいのです。声優陣の芸名をファンが決めたという特異性(企画性)が成せる技だったのだと思います。
<ちなみにこの辺の情報は当時ショウくんから聞いた情報を私が思い出しつつ総合的に勘案した結果であるため、間違いがあれば教えてほしいと思います。>

[フィニッシュホールド](2018/2/27~)

 沼へ落ちた最後の一打が2/27に開催された2ndシングル発売記念ライブです。ある日ショウくんにチケットがあるので行かないかと誘われたのですが、「特定の通販サイトで全バージョン予約した人に抽選でペアチケットをプレゼント」といったものだったらしく、強制的にペアなので誘ってくれたらしい。先ほども書いたが、当時はファンの総数も少なかったこともあり、相当運が悪くない限りチケットが当たったファンがほとんどな上に、外れてもファン同士がつながっているので、誰かのチケットで行くことができたそうです。そんな感じでショウくんにはペアの相手がいなかったらしく、晴れて私は初の現地参戦を果たしたのです。思えば「熱心なファンがみんな当選し、ファンじゃない興味を持っている人を連れてくる」という思惑もあったのかもしれないですね。
会場はプロレスの聖地で今は亡きディファ有明。運命のゴングが今、打ち鳴らされる。

 すごいな。素直にそう思いました。CG側の22/7からスタートし、1stのMVよりもモーションキャプチャの技術などが格段に向上しており、もうのっけから感動してしまいました。はじめに22/7を知ったころからライブに至るまでの1年足らずの間にVtuberが台頭してきたことを考えると、何か技術革新的なものがあったのは想像できるが、内心見くびっていただけにとても驚かされた。セトリはすっかり忘れてしまったが当時のライブレポートを読みつつ書くと、まずは代表曲『僕は存在していなかった』。2曲目が好きだと言っていた『地下鉄抵抗主義』、そしてこの日が初お披露目だった2ndシングル表題曲『シャンプーの匂いがした』(部活の先輩後輩の憧れを超えた百合を描いているとても良い曲なのでぜひ聞いていただきたい)とヴァーチャルサイドの22/7が歌い上げ、この時点で既に心が持っていかれつつありました。

 そして肝心な倉岡さんを推しと定めた決定的な瞬間をようやく書いていこうと思います。ライブの中間で、「朗読女王決定戦」が開催されました。これはこれまで動画の企画として開催されていた同大会の決勝戦でした。(正直まだまだ興味が薄かったので予選会はこの日家に帰った後に初めて聞きました。)推しになる倉岡さんのほか、西条和さん(滝川みう役)・花川芽衣さん(元・斎藤ニコル役、卒業されています)が決勝戦の参加者だった。題材は『銀河鉄道の夜』のラストシーンで、三者三様でみなさんとても上手でした。声優アイドルの名は伊達じゃないなと感じました。特に私は倉岡さんの朗読の仕方がとても良いと思いました。ファンによる投票が終わると、結果発表の時間になりました。
 結果、優勝したのは花川さんでした。後日ショウくん曰く、「当時メンバーで一番人気だったこともあるので優勝したのではないか(俺もみずはんが一番よかったよ)」という話ではありましたが、それでも上手だったし、事実優勝しました。沸く会場の中、あんなに上手かったのになと倉岡さんの顔を見た私は、心を打たれてしまいました。普段の倉岡さんの顔は何というか、えびす顔で、常に柔和な表情をされているのだが、そのときの表情は歯を食いしばって目が鋭くなり、悔しいという感情をむき出しにしたような表情をしていました。その時、今まで自分が思っていた
「やっつけのアイドル」「力が入ってない」「クオリティが低い」
と自分が内心で思っていた感情がすべて刃になり、自分に降り注ぎ切り刻まれ、鳥肌が立った。心震えたのだ。本気で頑張っている倉岡さんのその表情に打ち震えたのだ。
 その後、演者側のライブに移行した。2ndシングル収録曲の『やさしい記憶』『叫ぶしかない青春』が圧巻のパフォーマンスで歌われました。叫ぶしかない青春では、自由になり切れない学生時代を描く歌詞に思わず涙が出てしまいました。心が完全にひれ伏したオタクはエモーショナルな攻撃に対してあまりにも無力だと思う。カーテンコールでメンバーがそれぞれ挨拶をして、壇上から去っていった。ショウくんからは「オタクたちでアンコールするから手伝ってくれ!」とあらかじめ聞いていたので、ほかのファンと一緒になって叫んだ。アンコールを受けたのが初めてだったと言っていた(はず)メンバーたちは少し涙を流しながら1stシングルより『11人が集まった理由』を歌った。今度こそ退場になって、我々も順に会場を出ていきました。アイドルのライブなど初めてだったから、メンバーによるお見送りという制度があることも知らず、油断していたところに至近距離でメンバーを見てしまうともう、かつて「印象が薄い」なんて言っていたのはどこへやら「か、かわいい!みんなかわいい!倉岡さん!美人!わわわどうしよう目が合って俺に手を振ってくれた!」と大変気持ち悪い感情でいっぱいになってしまった。こうして私は沼へと沈んでいったのでした。

[Under The 沼]

 その後、2ndシングルが発売されたのだが、自分が買うよりも先にショウくんが全バージョン渡してきてしまって、3rdまでお金を落とすことができませんでした。ただ、当時は盛んにメンバーによるShowRoom配信が行われていたので、倉岡さんにギフトを送り付け続けることにはなってしまった。1度だけ、課金でアイコンにしていたゴモラに言及されて、めちゃくちゃ舞い上がったので、オタクとはちょろいもんだなと我ながら思ってしまう。

 私を沼に沈めたライブ後のアンケートの要望欄に「ヨルナイト×ヨルナイト出演 ヴァーチャルYouTuber化」と記載したのですが、読んでか読まずかほどなくして2つとも達成されました。ヨルナイトとは序盤で書いた鷲崎さんのラジオ番組で、グループ22/7として1回、倉岡さんがその後鷲崎さんへの熱烈ラブコールの結果、単独でマンスリーアシスタントとして出演した。どちらもとても面白かったし、倉岡さん単独の回では「DJ阿弥陀如来」というパワーワードも登場した。抜群に面白かったので、クリーンな手段では皆さんが閲覧することができないのが残念だと思います。Vtuber化も、現在は停止してしまっていますが、ゲーム実況を行ったりコントをやったりと、しばらく行われていました。同時進行で、冠番組の『22/7計算中』も始まりました。三四郎のお二人が司会で、見られたことがない方はAKB系アイドルの冠番組の流れを踏襲されているような番組だと思っていただけるとよいです。現在は2期が放送中。ぜひ見てほしいです。この番組の1期と2期の間の期間にはアニメも放映されていました。前述の「初めてのアンコール」がオマージュされていた(のだと都合よく信じています)。Amazon Prime Videoなら無料で見られます。贔屓目ですが、おススメです。(番組ページへ)

 私の推しとなった倉岡さんは持病の治療を理由に活動をしばらく休止していました。コロナもあり、このまま卒業してしまうのではないかと気を揉む日々ではありましたが、この度活動再開が発表されました。コロナ禍で一番元気になった瞬間です。これからまたあのかわいい声と素敵なトークを聞けると思うと万感の思いです。

 先日、「無宗教・無思想であると自覚している人間が一番怖い」というような話を聞きました。いままで、二次元にハマっていた人間なので、三次元の女の子にここまで心酔するとは思っていませんでした。でも精神的支柱があるというのはすべての行動に責任感が出るのでとても良いと思います。例えば私が何か事件を起こして、倉岡さんのファンであることが知られてしまったら……などと考えると滅多な行為はできません。「神が見てる」は信用ならんが「推しに被害が及ぶ」は確実に自分が規範を守るくさびになると思います。

22/7さんの楽曲は各種サブスクでも配信されています。利用されている方はぜひ聞いてみてください。

PS:私を沼に引きずり込んでくれたショウくんとは大学卒業を機に疎遠になってしまいました。まだファンを続けているのかも定かではありません。ここまで読んでくれたあなた、心当たりがあればお教えください。
本人へ、連絡してください。LINEはつながっています。

ご拝読誠に感謝いたします。皆様もそれぞれの推しとのオタ活を楽しんでください。ありがとうございました。

[追記「Anniversary Live 2020」 視聴しました]

 9/20がデビュー日(知りませんでした。初めてナナニジを紹介されたときはまだCDの発売もされてなかったようで、公開済みの文章を少し修正してしまいました。)の22/7は三周年を記念してライブを開催しました。観客を入れてのライブはかなり久しぶりでした。そして倉岡水巴さんの活動再開の瞬間でもありました。細かいライブの流れはもっとお金をもらったライターさんが理路整然と描かれているので、書きませんが、とにかくよかったです。

 倉岡さんは終始笑顔でした。シリアスな楽曲の多いナナニジでは苦しさを表現するためにライブパフォーマンスの中で表情を作るのも特徴の一つなのですが、ある意味で場違いなほどにニコニコ笑顔で、とても可愛らしく、心待ちにした倉岡さんの楽しそうな表情は私の心を大きく揺らしました。トークパートでキツめの突っ込みを入れてしまい、少しだけ沈黙が生まれると「ごめんなさいほんとに口が悪くて」すぐに弱ってしまう姿など、とてもキュートでした。突っ込みなのだから引いたらいけないと思うのですけどね。キツい突っ込みは彼女が好きな関西芸人さんや鷲崎さんの影響が如実に表れているんじゃないかなとも思いました。

 そして特筆すべきは初披露のユニット楽曲です。ファンの投票でいくつかの組み合わせの中から最終的に決定されたセクシー・ハッピー・ゆるふわのグループ内ユニットの各楽曲が披露されました。倉岡さんはハッピータイプのユニットに所属しており、正式なグループ名は「晴れた日のベンチ」になりました。この先の秋くらいになると昼休みの晴れた日のベンチでご飯を食べるのも気持ちよくなりますね。楽曲はネットで大いにバズった

『半チャーハン』

とても良い曲でした。耳に残り、意味が分からない、けれどもなんか元気になれる秋元康コミックソングの典型例ともいえる曲です。アイドルには欠かせないタイプの曲なので「ようやく来たな!」という思いでいっぱいです。貼り付けておくので是非聞いてください!


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玉瑛
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