肯定しつつ、ツッコミを入れる
久々の投稿になってしまいました。あらためて、この場ではぼくが仕事で出会ったひとたちについて書き留めておくことを通じて、一人ひとりの人生にちゃんと触れること、をしておきたいと思います。もちろん個人情報に抵触しないかたちを追求するため、意図的に事実とは違う情報を少しばかり入れていくかもしれません。
20代本人の保護者との話より。本人は大学を1年留年したあとに卒業したけれども進路未定。このあたりのエピソードを聞くに、おそらく就職っていうもののイメージがつかめないし、怖かったんだと思います。ぼくもそうやったなーと思い出しながら聞いてました。
自分のなかには、未来に向かって踏み出すことがイメージできなくて、不安で、それでいて誰にも相談できていない本人像が浮かんできました。いまも継続している友人などとの関係性はなし。家族とも母だけがある程度関わることができている様子で、そんな母に対しても相談してきている形跡はない。
母から将来について急かされることを通じて、本人はある資格をとることを目標として掲げます。ただそれも、自分はやりたいことがないけれども、母に言われたから無理矢理絞り出した目標であること、自分は一歩目を踏み出すのがとてもしんどいのだ、と直接母に対して言語化しています。
本人が大事にしているのが、ジム通い。大学に入ってからハマっている様子で、いままで数年間、ほぼ毎日通う生活を継続できています。ただ親としては、この目標がどれだけ本心なのか、そしてどこまで継続できるのか、不安に思って相談に来られている様子でした。
ぼくからは、本人が生活のなかに資格をとるための勉強時間を組み込んでいるところを見ると、まったくかりそめの目標だというわけでもなさそうだが、本人が言っている通り無理矢理出したものであることも可能性として考えられるので、まずはそのあたりの本心に触れていけるだけでも関わりとして十分なのではないか、と話しました。
あとは本人が大切にしている身体づくり。ひとは、他者から自分が大切にしているものを大切にしてもらえると、安心するんだと思います。だからこの保護者に対しても、本人が継続できているジム通いを肯定するような関わりを意識してみるように伝えました。
母としては、将来のことに踏み出せない本人にどう関わればよいのか迷っておられ、そしてぼくの助言を受けて、本人の大切にしているものを肯定しつつ、親としてすべて自由にさせるのも違いますよね、と話していました。ここのところでぼくは明確な答えが出せずに煩悶します。そう、本人の人生を肯定しつつ、でも現実をふまえてツッコミを入れるのはすごくむずかしいことなんです。いつも迷います。最終的には、本人とそれ以外の家族がどう境界線を引くのか、という話な気はするのですが。たぶん時間がかかることだと思うので、本人との関わりに前向きな希望が持てるようになることや、その決心がつくまで伴走する役割なのかな、と個人的に思っております。