自らもホロコーストの生き残りという作家のイェジー・コシンスキさんが1965年に発表した『ペインテッド・バード』を原作に、ホロコーストから逃れる為に田舎に疎開した少年が受ける暴力と差別を、暴力の地獄めぐりアトラクションとして描いた映画『異端の鳥』の感想です。
えー、まぁ、噂通りエグい内容ではあるんですけど、ホロコーストものということでその辺の描写が凄いことになってんのかなと思ったら、いや、もう、ナチスとかホロコーストとか関係ないですよね。ただただ暴力。人間というのは暴力を振るう生き物だというのを前提として(もちろんその背景には戦争とかナチスが行っていた差別やら迫害やらというのがあって、そういうことが原因で)この映画に出て来るような人たち(恐らくは何もなければその暴力性を表出させずに済んでいたであろう人たち。)の様になってしまっているんだろう(から、やはり忌むべきは人々をそういうとこまで追い詰めた戦争であり政治なんだ。)とは思うんですが、思いながらも人間とはなんて利己的で残酷な生き物なんだということを突き付けられる(というか、改めて思い知らされる)んですね。まず。まず、これが前提です。
で、そういう世界を(基本的にはホロコーストから逃れる為に疎開させられているのでそこそこちゃんとしたお家のお坊ちゃんだとは思うんですが、その)普通の少年が生きる為にそこで暮らす普通(であろう)大人たちを頼って彷徨うって話なので、描きようによっては心温まる戦争ヒューマンドラマにもなりそうなシチュエーションなんですよね(それにこれ、初めてひとりで社会と対峙した少年がその中で現実を知ったり恋愛したりする成長物語なんですよ。)。シチュエーションとしては。それをこの話は、その世界はすでに狂っていたっていう話にしていて、少年が出会う(利己的で残酷な)人々ひとりひとりを章立てて、まるで様々な暴力の見本市のような、地獄巡りアトラクションのような映画にしてるんですが、それをモノクロのとても美しい映像で見せるんです。この地獄の様な光景を美しい映像で見せるというのは、アレクセイ・ゲルマン監督の(野蛮で汚らしい生活を送る星の住人たちを美しいモノクロ映像で描いた)『神々のたそがれ』と同じなんですが。その時も思ったんですけど、世界の美しさというのは人間の残酷さとかいやらしさというのを内包してあるもので、人間は汚い。でも、それを内包している世界は美しいって見方なんです(で、それをこの映画では人間のエゴとして、『神々のたそがれ』では野蛮さとして描いているんです。そういえば、去年観た『ボーダー ふたつの世界』もそういう映画でしたね。野蛮であることを内包した美しい世界。)。だから、この残酷で美しいというのを見せられるとそれは=世界であると直感的に認識してしまうというか。寓話的であればある程、ああ、これは真実を描いてるんだなと感じてしまうんですよね(なので、この映画が暴力を完全に否定しているとは思えないんです。事実としてすでにそこにあるものとして、さて、これは地獄なのか。それとも慣れてしまえば美しく見えてくる天国なのかっていうね。)。で、それはちょうどこの物語の少年が暴力に順応していくのと似ていて。美しいと感じていた世界が残酷さで彩られていたということを知ることで成長するというか。なので(スプラッター映画なんかに比べたら)、実際にはそれほど直接的なグロシーンがあるわけではないんですけど(いや、あることはありますけどね。)、観終わるとなんかとてつもなくえげつないもん見たなって感じるのは、子供の頃に美しいと感じていた世界の記憶が呼び起こされるからじゃないかと思うんです。そして、その美しい記憶が汚されて行くことで自分が生きて来た経験とリンクするからだと(この話に感じるじっとりと冷や汗をかくような感覚って、単純に少年が可哀想っていう同情じゃないんですよね。確かに世界はこのくらい酷いよっていう共感なんですよ。その共感が怖いんです。)。
なので、少年が地獄巡りしている間は全く泣けないんですけど、約3時間地獄を見せられ続けた最後の最後で僕はめちゃくちゃ感動したんです。泣くのを抑えられないくらいに。それは少年の旅の終わりが(特に救われたわけでも報われたわけでもないんですけど)人としての尊厳を取り戻すことだったからなんです。あの、僕には2歳になる娘がいまして、2年程前に初めて人に名前をつけるということを経験したんですけど、僕が人の親になったというのを最も実感したのが名前をつけた時なんです。この子にこの名前の持つ意味を一生背負わせてしまったというか。名前というのは人が人生で一番最初に手にするアイデンティティなんじゃないかと思ったんです。この映画のラスト・シーケンスを観た時に、ああ、そう言えば、劇中で出会う大人たちはこの子の名前を誰も知らなかったんじゃないかと思ったんですよね。で、少年自体もそのことを忘れようとしていたと。つまり、自分が人だということを忘れようとしていたんだと。何者でもない自分が経験によって生き方を手に入れて行くことが成長するってことなのかもしれないんですけど、このラスト・シーケンスでこの子はまだ親から与えらえた名前で呼ばれるべき存在だったんだって、誰からも守られるべき存在だったんだってことをもの凄く感じたんですよね(これだけ地獄を見せられてなんなんですけどとても優しい終わり方だなって思ったんです。現実をきっちり描いた上での最上級の優しさというか。イェジー・コシンスキさんめちゃくちゃ優しい人だなって。)。
3時間掛けて様々なやり方で普通の人が持つ暴力性(ここで描かれてるのって被害者意識から来る暴力性だと思うんですよね。ある意味、加害者としての暴力というのは目的を達成させる為なのでゴールが決まってると思うんですけど、被害者側の暴力は目的がないので天井知らずというか、理屈が通用しなくて恐ろしいなと思いました。コロナ禍でみんなが被害者意識を持ってる今ととても似てます。)と人が生きていく為に必要な尊厳(つまり、差別を描いた映画でよくあるテーマなんですよね。これ。)をこんな描き方で見せてくれるんだというクリエイティビティに対する感動と、人が生きる為の尊厳ということに関しては今まで観たどの映画よりもダイレクトに刺さりました。辛い内容なので全員が観ろとは思いませんが(途中退席した人もいましたので。)、僕は今観れて良かったなと思いました(少年の成長物語として人間の尊厳ということをここまで説教臭くなく感動的に描けているんだから、ぶっちゃけエンタメ作品としても傑作だと思うんです。)。
サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。