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スパイダーマン : スパイダーバース

えー、スパイダーマンの映画と言えば、世代的に2002年のサム・ライミ版があって(これは、ホラー監督としてのサム・ライミのファンだったので観たんですが。)、その後2012年から始まる「アメイジング」シリーズはそれほど興味なくてDVDのレンタルで1本くらい観たのかな?ただ、2017年の「ホーム・カミング」 はそうとう好きな作品になりました。というくらいのスパイダーマン歴ではあるんですが、今回のアニメ化、挑戦的でありながらも改めて「スパイダーマンてこういう話だったのか。」という根源的なことを感じられる映画になってたと思うんです。「スパイダーマン : スパイダーバース」の感想です。

えーと、まず、映画の外側の話なんですが、スパイダーマンてマーベルじゃないですか。てことはディズニー傘下にいるわけですよね。で、ディズニーっていうのはもともと(ていうか今もですけど)アニメ映画製作のスタジオなわけだから、スパイダーマンのアニメ映画化って言ったら(2017年にM.C.Uに参加してるので)"ディズニー / マーベル"でやるもんだと思いますよね(ソニーは実写版を作ってるわけだし)。そしたら今回、"マーベル / ソニー"ということで。(つまり、M.C.Uとは関係ないユニバースでの話ってことなんですね。)で、結果的に今回のアニメ映画化は、このソニー製作だったってことが凄く良かったんじゃないかと思っているんですが、それはなぜかというと、これだけ自由でメチャクチャな世界を描くのはディズニーだったらちょっと難しかったんじゃないかなと思ったからなんですね。えーと、つまり、揺ぎない主流(正解と言ってもいいかもしれません。)があった上での亜流というか、そういうオルタナティブ精神というかパイオニア精神というか、そういうところが今回の「スパイダーバース」の最大の魅力になってると思うからなんです。

あの、(更に映画の内容とは関係ない話ですが、)「スパイダーマン」の映画化権てソニーが持っているじゃないですか。ただ、これってマーベルが最初に話を持って行った時には、「スパイダーマン」を含めた「アイアンマン」とか「ソー」とか、「ブラック・パンサー」までの(要するに後のM.C.Uを形成する)キャラクターたちをまとめて売りたいって話だったらしいんです。なんですけど、当時、それ程人気じゃなかった「アイアンマン」とか「ソー」なんかはソニーとしてはいらないわけです。それで、マーベルの看板キャラクターだった「スパイダーマン」だけ買うってことになったらしいんですけど、そうなるとマーベルとしては仕方がないので、「スパイダーマン」以外のいわゆるザコキャラで映画製作を始めるんですね。で、それがその後の大ヒットシリーズのM.C.U(マーベル・シネマティック・ユニバース)になっていったってわけなんです。一方ソニーはというと、最初のサム・ライミ版は当てたんですが、その後の「アメイジング」シリーズは不振。その間にマーベルがディズニーに買い取られて更にメジャーになるM.C.U。その力関係の変化が関係してるのかは分かりませんが、結局「スパイダーマン」は「シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ」から遅れてM.C.Uに参加することになるんですね。で、その流れがあって2017年に公開された「スパイダーマン : ホームカミング」はマーベル、ディズニー、ソニーの3つのスタジオで製作するっていう特殊な形式になったわけなんです。ソニーの言い分としては、それまで様々な「スパイダーマン」の物語を作って来たので、ここらでM.C.Uに参加することで「スパイダーマン」にとってより深い物語を語れるんじゃないかと言ってるんですが、なんか、やっぱりモヤモヤしてるところはあったと思うんですよね。(「スパイダーマン」のヴィランである「ヴェノム」を単独製作で映画化したりしてますしね。しかも、その評判はイマイチだったりして…。)なのでソニーとしてはここらでやっぱり『「スパイダーマン」はソニーだな。』っていうのを印象付けておきたかったんじゃないかと思うんです。起死回生のカウンターみたいな。意味がね。あったんではないかと。

(はい、ここからやっと今回の「スパイダーバース」の話になります。)つまり、今回のアニメ化がM.C.UやD.Cに対するカウンターになってるってことなんですが。上で書いた様にアメコミ映画の新たな流れを作りたかったというのがあると思うんですけど、その内容とか作りそのものがメインストリーム(M.C.UやD.Cですね。)に対する(それまでとは違うやり方を提示するという意味でのニューウェーブ、つまり、)カウンターな作りになってると思うんです。えーと、オルタナティブなもののクールさというか、自分たち独自のやり方で押し通してる風通しの良さというか。例えば、日本で言ったら手塚治虫や宮崎駿なんかに対しての(いや、たぶん本人は対してっていう意識はなくてリスペクトしてる上でのニューウェーブだと思うんですけど、)大友克洋的なものを感じたんですよね。「スパイダーバース」の中の演出で、いわゆるアメコミ的な表現(擬音を文字で画面に出しちゃうとか)を最新の技術で描いた細密な絵の中にぶち込むっていうのをやってるんですけど、大友克洋の漫画を初めて読んだ時も、こういう漫画的なものとリアルさが融合してる違和感みたいなのを感じたんですね。だから、ストーリー的にオーソドックスなことをやっても何かおかしい。逆に実験的なことやっても絵的に完成度が高過ぎてポップだと感じてしまう。そういうのが新鮮さというか新しさになっていて。そこから発生する違和感がとても大友的だなと思ったんです。

で、その上で主役級のキャラクター(ていうか全員スパイダーマンなのでみんな主役であることは間違いないんですけど。)を6人も集めて、そのそれぞれのバックボーンも(さらっとではありますが)紹介して(それがあることによって、ちゃんと各キャラクターの魅力も伝わってくるし。)、ストーリー的にも、家族のこと、学園生活、思春期あるある、あとニューヨークのブルックリンの地元感。(これを実写よりも強く感じるとは思いませんでした。ここ凄く良かったです。)そういうのをひっくるめた実存感(ていうか、90年代にあった実写の学園モノ感)と、そこまで緻密に作り込んだ上でのパラレルワールド設定ていう荒唐無稽さ。(こうやって書いてると大友克洋よりも高橋留美子感ありますね。)で、中でも僕が一番「ああ、スパイダーマンてそういう話だった。」って感心したのは、超能力(人より秀でた才能)を持つことを"呪い"として描いてるところで。それを分かち合う仲間の存在が今回のテーマになっているところも見事だなと思いました。

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