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宮本から君へ

とにかく凄い熱量というか圧というか。この人間の発する圧みたいなものが苦手で、原作を読んだ当時の僕は宮本のことを受け入れられなかったんです。なんですけど、この新人営業マンが奮闘するってだけのストーリーにもの凄い惹きつけられもしたんですよね(それはもう時間を忘れて読み耽るくらいには。)。その理由が一体何だったのか、今回の映画で少し分かった様な気がしました。前回感想を書いた「惡の華」に続いて青春のエモーション全快の映画1日で一気見の2本目。新井英樹さん原作で、真利子哲也監督の最新作「宮本から君へ」の感想です。

原作の連載が’90年~'94年なので、連載終了から考えてももう25年も前の作品なんですね。25年前というと僕が23歳の年なので、ちょうどその位の時に読んだのかな(学生の頃だった様な気もするのでもうちょっと前だったかもしれません。)。飲んでたかなんかで友達の部屋に泊まりに行ったらそこにあったんですよね。何巻かは忘れてしまったんですけど中途半端な巻数が一冊だけ。で、それが今回の映画のストーリーにもなってる中野靖子との回だったんです。しかも、あの強烈なセックス・シーンが出てくる巻で。いや、ほんとに、その当時の友達の部屋の雑然とした雰囲気とか(それが誰で、場所はどこだったかなんてことは全部忘れてしまったんですけど)、飲んだ後の倦怠感の中で、まだ今より自由で明日のことなんか考えてなかった頃、友達同士が雑談してる中で読んでたあの雰囲気。それを読んでいる間の記憶だけ今だに克明に憶えてるんですよね。とにかくとても衝撃的で夢中で読んだんですけど、同時に「この主人公嫌だな。」とも思っていたんです。嫌というか、苦手だなと。で、その時は、こういう直情的に行動出来るヤツには適わないという気持ちでいたんだと思うんですよね。好きになった人の為に勝ち目のないケンカをしたり、勢いまかせで「この女は俺が守る。」なんて言えちゃうヤツ。そういう人間としての圧が自分にはないから、そういうヤツが思う様に行動していくのを見るのが辛かったんだと思うんです。自分にもこの行動力があればって嫉妬してたんですよね。きっと。しかも、宮本ってすぐ泣くんですよ。なんていうか、感情的になって人前で笑ったり泣いたり簡単に出来るヤツっていうのも、なんか信用出来ないというか(これは今だにそうなんですけど。)。そうやって感情をストレートに出すことで周りの人間は萎縮させられるじゃないですか。僕がその萎縮させられる側の人間だったんで、そういう憤りみたいなものがあったと思うんです。まぁ、やれるもんならやりたかったわけですが自分も。

で、それから20年だか25年だか経って映画として観返すことになったわけなんですけど、そしたら、相変わらず宮本はウザくて人の気持ちに鈍感でバカで、やっぱり受け入れられないという気持ちはあるんです。あるんですけど、何となく分かったんですよね。何か起こったことに対して宮本がどんな気持ちで動いてるのかとか、その時の感情の流れみたいなものが。あの、今回の映画、俳優の人たちの演技がとにかく凄くて、後半はほぼ怒鳴りあってるだけなんですけど、その爆発に至るまでの感情の動きの部分がほんとに繊細なんです。で、それが登場人物たちの表情のみで語られていくんです。言葉はそういう感情のいろいろを経たあとの結論(もしくは暴言)を喋っているだけなんで、そこからはほとんど何も真意は読み取れないんですね(ストーリーを追ってさえいないです。)。あの、漫画って起こってる事柄を一コマごとに落とし込んでストーリーを作っていくものじゃないですか。何かのアクションを起こしたコマがあったら次のコマではそれに対するリアクションがあってという風に。「宮本から君へ」は、漫画でありながら登場人物たちの表情の多彩さは革新的なレベルだったと思うんですけど、やっぱり、どうしても前のコマから次のコマへ移る間のその途中の変化って描けないですよね。だけど、それが実写になると、例えば、中野靖子がある独白をして、それを受けている宮本の表情の変化がそのまま全部画面に映ってるんですね。何も知らずに笑ってる顔から話を聞くにつれて怒り顔になり必至に泣くのを堪えてる顔になっていったりと。で、僕はこの表情の変化の中にこの映画のほとんど全てが入っていると思っていて。最初に書いた様に、宮本っていうのは何も考えないで直感的に行動してる(それが正義だと思っている勝手なやつだ)と思っていたんですけど、それが映画を観てたら間違いだったんじゃないかと思えてきたんです。つまり、宮本が怒鳴ったり暴れたりするまでの心の動きっていうのはじつはきちんとその表情の変化の中に描かれていて。しかも、それは弱くて繊細な人間が社会の中で生きる為に必至で身に着けた処世術の様に見えて来たんです。宮本って何か起こったことに対してとりあえず一旦全部飲み込むんですよね。で、その上で考えられるだけ考えて、その考えぬいた結果を(それが正解か間違いかは別として。)喋るべき言葉としてなんとか絞り出していると思うんですよ。それが表情の変化から情報として伝わって来るんです。だから、宮本はすぐ泣くから信用出来ないって書きましたけど、じつは宮本が泣いてる時って自分でも受け入れられない様な現実を必至に飲み込んでる時なんですよね(だって、よくよく考えたら、映画の中で宮本が自らやりたくて動いてることなんてひとつもないんですよ。)。

つまり、その繊細さというか弱さが滑稽なんです。(あ、映画観てますます思ったんですけど、これってコメディですよね。映画もそういう風に作ってると思うんですよ。何か起こったことに対して主人公が奇抜な考えで突飛な行動するってギャグですよ。で、最後の非常階段のシーンでそれが爆発することになるんだと思うんですけど。ただ、現実が酷過ぎて笑えないっていう。構造はまるっきりコメディだと思うんです。)で、その滑稽さって宮本に対してどうにもならない感情を抱いていた当時の自分の滑稽さじゃないかなと思ったんです。つまり、こういう人間苦手だなと思っていた宮本が自分と同じ側にいたんだっていう。そのことに気づいたんです。では、原作を読んだ時に感じた圧というか、拒絶反応を起こしたものの正体は何だったのかというと、それって宮本を通して見えていた現実社会そのものだったと思うんです。時代遅れなマッチョイズムだったり、圧倒的な力の差だったり、好きな人に拒絶されるとか。どうすることも出来ない現実社会の圧。それが宮本を通して見えていたんだと思うんです。だから、宮本が戦っていたのは馬渕でも、拓馬でさえもなくて、それを内包した現実社会全てだと(だから、靖子も含めて全員敵なんですよね。)。そう考えたら、馬淵も拓馬も靖子もそれらが存在する全てを一旦飲み込んで、考えぬいた挙句に(とりあえずの)答えを出すっていう宮本の生き方が凄く理解出来る様に思えたんですよね。だって、それが現実社会で生きるってことでしょって。そのことをジワジワと、でも確実に理解させられたんです。なぜなら自分も社会に対峙して生きてきたし、少なくとも宮本よりは上手くやれてると思うから。

ああ、そうか、だから「宮本から君へ」なんですね。最初に原作を読んだ時からこのタイトルに引っ掛かっていたんですけど、それが何なのか分からなかったんです。宮本から何を伝えられているのかっていうのが。現実とは、社会とは、その中で生きるってことはどういうことかっていうのを伝えてくれていたんですね、宮本は。この映画の中で最も好きな場面のひとつに、ある事件が起こって、靖子から、宮本が怒っているのは傷付けられた靖子の為ではなく自分のプライドの為じゃないのかって突きつけられるところがあるんですけど、その時、宮本が泣きながら靖子を抱きしめて言う言葉が「頑張れ」なんですよ。好きな相手が傷付けられて、最も側にいたい時にその相手から完全に拒絶されて、考えを見透かされた様なことまで言われて、その全てを事実として飲み込んだ宮本が言うのが、「確かに、自分にはどうすることも出来ないし、その資格もないかもしれない。じゃあ、靖子、お前がお前自身の力で頑張れ。」ってことなんですよ。絞り出して出て来た言葉がそれしかなかったってことなんですよ。でも、普通に考えたらそうですよ。何も掛ける言葉ないですよ、そんな時。それでも何か伝えようとするのが宮本なんです(もう一度言いますけど、それが合ってるかどうかは別としてです。)。で、今は僕、宮本のこの戦い方とてもよく分かるんです。現実を現実として目を逸らさないということと、飲み込みはするけど決して受け入れてはいないということが。

ということで、原作同様とにかく凄い熱量で、今の時代には到底合わない価値観で生きているバカしか出て来ない話ですが、だからと言って、今観るべき映画じゃないとは僕には思えないんですよね。宮本はたぶん今を生きる僕たち以上に現実を現実として受け止め、事実を事実として解釈して、その時々で深く考え、そして、懸命に生きていると思うんです(それは時代のリテラシーを超えると思うんです。この映画で描かれてる様な男社会は今の世の中ではありえないと思いますが、それとは別の社会の圧というのは今の時代にも確実にあるわけで。)。だから、これを受けて今の時代をどう生きるかってことに思いを巡らす様な、そういう映画なんだと思うんです(えー、本当は池松壮亮さん、蒼井優さんを始めキャストの皆さんがほんとに素晴らしかったので、そのことを書くつもりだったんですが、いや、もう書き出すと、それはそのまま宮本や靖子のことを書くことになるのであえて俳優名は出さずに書きました。そのくらいリアリティのあるドキュメンタリーみたいな映画だったと思います。原作にあるエキセントリックなところを増幅して見せてるのに画面から伝わる空気がリアルで。これは真利子哲也監督の資質の部分だと思います。「ディストラクション・ベイビーズ」に続いてほんとに素晴らしい。あと、エンドロールの宮本浩次さんの歌は是非聴いてから帰って下さい。あの曲で宮本と靖子が昔から知ってる友人の様に思えて、そのことによって救われます。あ、それと脇の人もほんとにみんな良くて、1シーンしか出て来ないですがほっしゃんがほんとに凄かったです。これも表情が惚れ惚れするくらいにいいんですよね。)

(ついでにもうひとつ、劇伴をやってるのが"あらかじめ決められた恋人たちへ"の池永くんなんですけど、ドラマ版の制作に入る前に偶然ライブハウスで会って、じつは今度「宮本から君へ」の劇伴をやるんだけどって、雑談程度に相談されたんですね。その時に僕が言ったのが、"あら恋”の初期にやっていた様な美しいメロディーとノイズや不協和音が共存する様なのが原作のイメージに合うんじゃないかって話をしたんですけど、劇伴もの凄く良かったですよね。サントラあったら欲しいくらい。)

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