デス・ウィッシュ
「ホステル」シリーズ、「キャビン・フィーバー」、「グリーン・インフェルノ」、「ノック・ノック」と個人的に、今、一番追ってる監督、イーライ・ロスの最新作(ほぼ同時期に公開された「ルイスと不思議な時計」はまだ観れてないのですが、これまで、エグさとグロさとそれを笑い飛ばすユーモアで売って来たイーライ・ロスのファンタジー作品ということで、なんとか劇場公開中に観たいと思ってます。)で、1974年に公開されたチャールズ・ブロンソン主演のアクション映画「狼よさらば」のリメイク(と言いつつ、ほぼ違う映画になってるらしいですが。)となるブルース・ウィリス(ウィルスじゃなくてウィリスなんですね。初めて知りました。)主演のビジランテ(自警団)物「デス・ウィッシュ」の感想です。(「Death Wish」とは、自分または他人の「死を願う」という意味だそうです。)
「グリーン・インフェルノ」=(「食人族」)、「ノック・ノック」=(「メイク・アップ」)と特殊リメイク物(作品の根幹となるテーマは踏襲しつつも内容的には全然違うという意味での特殊という言い方です。)が続いているイーライ・ロス監督ですが、今回の「デス・ウィッシュ」もその流れの作品ということで。まぁ、簡単に言ってしまえば、ブルース・ウィリス演じる外科医のポール・カージーが街のダニどもを死刑に処す!っていう、その部分が最大のカタルシスな映画なんですが。もちろん、そのエモーションがリメイクする最大の動機ではあるんですけど、それだけで作ってないと言いますか。もう一歩引いた視点、当時のリテラシーで語られていた物語を現代に置き換えて、その物語が持っていた問題意識を今の時代のものとして浮かび上がらせるということをやっているんですね。(「グリーン・インフェルノ」の環境問題とか、「ノック・ノック」の現代人が抱える精神的圧迫なんかもそうで、)映画の中のことと思って安心して観ていたものの距離がグッと縮まって、実際の自分の生活と地続きになった様に感じるんです。それは例えば、(「ホステル」の)旅行先で殺人パーティーに巻き込まれるとか、(「ノック・ノック」の)見知らぬ女子大生が突然家にやって来るなんていう普通だったらありえないファンタジーな部分までをも含んでいて。つまり、映画の中でしかありえない振り切った表現と現実社会の中でリアルに起こっていることを同列に感じさせてくれるという(虚構と現実が同居している)カオスな世界。それがイーライ・ロスだと思うんですね。
で、もちろん今回の「デス・ウィッシュ」もそのカオスが充満してるんですが、個人的には、虚構と現実のバランスの取り方がいよいよヤバイところまで来てるなって感じていて。まずは、ブルース・ウィリスですよ。(ブルース・ウィリスとてもかわいいです。「ノック・ノック」のキアヌ・リーブスもかわいかったですけどね。)「ダイ・ハード」っていうアクション映画の傑作を代表作に持ち、その後もブルース・ウィリスと言えばアクションみたいに言われてる人を使っておいて、インテリでブルジョワで上品な外科医っていうね。(で、その人が結局のちに派手な銃撃戦を演じることになるんですけど。)つまり、観客はブルース・ウィリス主演のアクション映画と煽られて観に来たのに医者の苦悩を延々見せられることになって。で、ああ、そうか、この人はブルース・ウィリスではあるけれども、今回はポール・カージーっていう医者なんだなって一度思うんですね。でも更に、待てよ、ポール・カージーって「狼よさらば」のポール・カージーだし、だからこそのブルース・ウィリスなんだよなってなるんですよ。だから、この時点で虚構、現実、虚構みたいなパラレルが既に巻き起こっているんですね。で、この感覚が作品全体にも漂っていて、それがグルーブ感となって、なんか普通のドラマ部分観てるのに何となくニヤニヤしてしまうっていう感じなんです。
確かにアクション映画としてはポール・カージーが覚醒するまでが長いんですね。(というか、根本的には覚醒しないんですよね。で、僕はこの覚醒しないってところが肝なんじゃないかと思っているんですけど。)えーと、この外科医のポール・カージーって人は妻と娘の3人家族として暮らしているんですけど、急患で病院に呼び出されてる間に家に強盗が入るんです。それによって妻は殺害され娘は意識不明の重態になるんですね。で、ポールは(しつこい様ですが、ブルース・ウィリスではあるんですけど、)単なる外科医なので事の行く末を警察に任せるしかないんです。なので、娘の意識が戻るのを祈りながら何度も警察に進捗状況を確認したりしてるんですが、遅々として捜査は進まない。事件のあった家にひとりで暮らすことになってしまったポールは、流石にベッドで眠ることなども出来ずに地下室のソファでまんじりともしない夜を過ごすことになるんです。それで、気を紛らわす為に見ていたYouTubeでたまたま銃を扱った動画を見るんです。で、段々と銃があれば家族を襲った犯人に太刀打ち出来たんじゃないかって思って来てついに銃を手に入れることになるんですね。恐らく、最初は護身用の為に持ったんだと思うんですよ。家でひとりで夜眠れないと不安だと思うので。今度、また強盗が来た時に役に立つんじゃないかって考えたんだと思うんです。ただ、銃の練習(銃の撃ち方なんかもYouTubeで憶えるんですが、)しているうちに今度は実戦で試してみたいと思う様になるんです。試してみたいというか、どのくらい通用するのか知っておきたいって感じですかね。で、夜のスラム街に行って女性を無理矢理車で連れ去ろうとしていた2人組を射殺してしまうんです。と、ここまでをですね、もっの凄い丁寧にやるんですよ。ポールがどういう生活をしていて、どういう信念で医者という仕事をしていて、家族とどんな関係にあって、その家族を奪われて毎日どんな精神状態で過ごしているかみたいなことを。つまり、ここがこの映画の一番重要なところで言いたいところなんだと思うんです。(だから、前々回感想を書いた「イコライザー」みたいな"舐めてた相手が"系の映画とはちょっと違うんですね。もっとウェットな復讐の話なんです。)普通の外科医として働いていたポールがいかに街のダニどもを処刑する様になるのか。そのプロセスこそが重要で。なんですけど、それをもの凄い俯瞰で、フラットにやるんです。
つまり、一方的に圧倒的な悪に家族を奪われた男が犯人に復讐してスッキリって映画ではなくてですね。そこに行き着くまでの"被害者ポール・カージーの場合"を見せることで観客に考える余地を与えてるんですよね。で、それはポールに感情移入させて復讐による殺人を肯定しようってことでもなくて。そこに、更にみんなが正義に対して一家言持ってる現代っていう視点も入れて、そこまでを俯瞰で見ると「さて、どうでしょう。」ってことをやっているんですね。しかも、それ等を踏まえた上でなんですけど、ポールが銃を持つことによって全能感を感じて来ているってニュアンスもちょっとだけ入れてるんです。要するに殺人の快感に目覚めて来てしまってるっていうのをですね。(で、先に書いた様に、それ自体は覚醒しきらないで終わるんですよ。つまり、これは、ポールは狂人ではないってことだと思うんですよ。あくまで普通の人がこうなってるってことを描いてるんだと思うんです。)
その上で、イーライ・ロスの面白いところと言いますか凄いところは、これだけフラットな視点で時代性とか日常に繋がっていく様な構築をした上での虚構部分の描き方なんですよね。虚構は虚構で思いっきり。要するに映画でしか観られない部分というのは思いっきり振り切っていくんですね。(これがあるから全体がギャグに寄って行って破壊的なコメディの様に見えるんですけどね。)今回の「デス・ウィッシュ」なんかは、題材そのものが虚構の部分はあくまで虚構って映画なので、そのままやっても正しくイーライ・ロス的ではあるんです。だから、あの、「キャビン・フィーバー」、「ホステル」、「グリーン・インフェルノ」の流れで観てくると、確かにグロ・シーン少なめでイーライ・ロス感薄めと思う人もいるかもしれませんが、今までのホラーとかとは違うわけですからね。ジャンルが。整備工での拷問シーンや各犯人を追い詰めて行くあたりで充分だと思いますよ。僕は。(銃砲店の描き方や、その場面になるとAC/DCが流れるみたいな、ああいう虚実あいまったとこ狙ってくるの、あれもイーライ・ロスセンスですからね。だから、ラストでのブルース・ウィリスのあの行動というかポーズはポール・カージーの心情というよりは、こっちの流れのイーライ・ロス的サービスなんじゃないかなと思ってます。)はい、そういう(エンタメ・アクションとして、ギリギリのところで成立させてるという)意味で個人的にはもの凄くバランスの取れた良い映画だなと思いました。で、やっぱり改めてイーライ・ロスは上品でセンスの良い映画を作るなと思いました。