元気のない女性たちへ (戦い方をかえよう)
私が
フラメンコを踊っている理由は一言でいうと
「私が元気でいるため」
そして
フラメンコ教室スタジオアウロラを主宰している理由も
「元気のない女性を元気にして一緒にフラメンコで元気になる」
(そう言えば
「テセウスの船」というドラマの中で
「元気があればなんでもできる」ってセリフがキーワードでしたね。
昨日で最終回で終わりましたね)
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おそらく
フラメンコを始めようと思って始めたとしても
本当に元気のない人は
続けるには難しいかもシレナイ。
やはり
新しい事を始めて人生を変えていきたい、と思っても
エネルギーが必要だったりする。
それは
エネルギーが高ければ
いわゆる「不純な動機」でも全然いい。
というか
むしろ
「不純な動機」というか負から正へのエネルギーっていうのかな。
「このままじゃ私、終われないのよ」的な
「見返してやる」的なエネルギーの方が
初動のエネルギーとしてはむしろいいかもしれない。
それは
ある意味
「人生をプラスに持っていきたい」というような
ポジティブな想いの裏返しのような感情だからです。
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しかし
もっと元気のない女性たちもいると思う。
長期にわたるストレスで
戦う気力もない状態、といいますか・・・
何かと戦いすぎて
もう
なにがどうなっているのか
どす黒いものに自分が覆われてしまっているかのような。
元々は
純粋で繊細だったがゆえに発生したさまざまなドラマの積み重ねと言いましょうか・・・
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私の個人的な観察結果なのですが
そういう女性は
「正論」を振りかざして愛を失っている場合が多いように感じます。
例えば
小さなドラマの1つとして
ダンナの帰りが遅くなる場合
晩ご飯がいるのかいらないのか」
ダンナが連絡をしてこない。
晩ご飯を作って待っていたら
電話・もしくはMailがあり
「やっぱりいらない」というこになる。
晩ご飯を作ってしまってもったないし
その時間も費やしたのに
無駄になってしまった。
怒りが収まらず
かえってきたら
いわゆる「正論」まくし立てる。
作った食材がもったないでしょ?
アナタが稼いできたお金を大切に使っているのに、
アナタ自身がこれでは
私の頑張りはどうなるわけ??
男女でおこる
小さなドラマ1つ取り上げても
女性の方が正しいことを言っているような気がしますよね??
でも
私は「正論」って可愛げが無くて
愛からは遠ざかってしまうな~って思うのです・・・・
真面目に正しいことをすれば
オンナが愛されるわけではなかったりするのが
実に理不尽な話ですよね。
ただ
私も正論で追い詰められるのが
大嫌いな
社会不適合者なので
わかるのです。
まず「正論」って自分が言う人って
なんか関わりたくないな~って思っちゃうのです。
結局
自分のルーティン通りに相手をコントロールしたいだけの場合が
多いと思うのです。
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女性が元気がなくなっている時って
結局
「誰からも愛されていない」
そんな風に感じて
長い時間を過ごしているからじゃないかなって
私は思うのです。
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本当に疲れて元気がなくなっているとしたら
まずは
たくさんの睡眠をとること。
許される限り
ゆっくり
眠って
眠って。
脳みそをクリアにしたら
何も考えずに
散歩したり
キレイなお花でも観て。
そして
「正論」に自分自身が振り回されていないか考えてみる。
「正論」と言う名の
フリルのついた暴力(相手をコントロールするための行動)
をふるっていないか考えてみる。
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「私の言うこと間違ってないよね?」というセリフを言うとき、
間違ってはいないかもしれないけれど・・・
愛される人からは遠ざかるんですよね、残念ながら。
とにかく「勉強しないと大人になったら苦労するよ」と
勉強してこなかったお母さんが子どもに叱るのと同じように
逆に理不尽だったりするんです。
本当に元気になりたかったら
やっぱり愛が必要で。
オンナは愛されてナンボってところがある。
「正論」より「可愛げ」が大事です。
「ぶりっ子してキャラを作ってかなり寒い」そんなとらえ方をされると
全然違う話なんだけど
女性の最大限の特性を生かして
どんどん可愛がられるのが1番トクでかしこいってことなんです。
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もしまわりに
多少鼻につくけれど
愛されていて楽しそうな女性がいたならば
視点を変えて観察してみてください。
何か
ヒントがあるかもしれません。
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