海の虫

大学2年の夏、短期バイトで海の近くで働きたいと思ったAくんは、仲の良いB君を誘って求人に出ていた、○県○市にある、旅館の短期バイトを受けることにしました。
前任者が体調を崩して辞めたとの事で少し身構えていた2人でしたが、2人のする仕事は特に変哲のない接客の手伝いです、慣れない仕事でありながらも、気のいい仕事仲間に囲まれながら、美味しい賄いに舌鼓を打ちながら充実した日々を過ごしました。
女将さんは最初は怖い人だと思っていましたが、仕事に厳しいだけで、クタクタになったAとBを労いながら、頑張ってくれたお礼と軽食に煮付けを差し入れしてくれたりもしました。
それは赤茶色の虫のような見た目をしていて、最初は手をつけられなかった2人でしたが、意を決して食べてみるとこれがなんとも美味しく、あっという間に全て食べてしまいました。
3日目には仕事にも慣れてきて、海の近くということもあり、自由時間には海に遊びに出ていましたが、サーフィンが好きな2人は人の多い浜辺は避けて、岩場の近くの少し波の強い場所でサーフィンを楽しんでいました。
するとそれまでは目に入らなかった小さな祠の様なものが見えてきました。
なんでこんな岩場に?と思った、2人は好奇心で様子を見に行くことにしました。
何の変哲もない祠でしたが場所が場所だけに気味が悪くすぐ立ち去ろうとします。
ですがBがあるものに気づきました。
「おい、ここにいる虫って?」
「あぁ…女将さんが出してくれた…」
もう既に口にしているものだったので、別に抵抗もありませんでしたが、見つけた場所が気味が悪かったので、2人はもうあれは出されても食べたくないな、と思いました。
その後もサーフィンを続けて遊び疲れた2人は、さっきの事なんか忘れて旅館に戻りました。
ですが女将さんはまたニコニコしながら「この前美味しそうに食べてくれたでしょ、今日は多めに作ったからたんと食べな」とこの前の煮付けを出してくれました。
その場では、ありがとうございますと言って受け取った2人でしたが、その後こっそり2人は煮付けを海に捨ててしまいました。
女将さんの善意を無駄にするのは罪悪感がありましたが、どうしても食べたくなかったのです。
出される度に捨てていた2人でしたが、申し訳なさもあり、次出された日には断ろうと思いました。
その次の日、いつもの岩場近くでサーフィンをしていた2人は祠に人がいるのが見えました。
不気味さもあり最初はサーフィンを楽しんでいた2人でしたが、こんな場所に人がいるのは珍しいと思い、思い切って話しかけてみることにしました。
するとそこに居たのは70前後のお爺さんでした
するとお爺さんは祠に黙祷を捧げているようでした。
黙祷が終わるのを待ってBはお爺さんに声をかけました。
「こんにちは、少し前から気になっていたのですが、この祠は何のためにあるんですか?」
「ここはね、海で亡くなった御霊を鎮めるためにあるんですよ」
Bは少し考えた後「お爺さんはどうしてここに来たんですか?」
急にそんな事を聞くのは失礼だと思ったが少し興味があったので、お爺さんがなんていうか口を開くまで待っていました。
少し考えた後、ポツリポツリと話してくれました。
友達と海で遊んでいた孫が、沖に流され溺れて亡くなった事、娘が未だに亡くなった子供に執着している事、その娘を救ってあげてほしいと祈り捧げているとの事でした。
話終わるとお爺さんは少し涙を浮かべていました。
2人は何も言えず、静かに手を合わせることにします。
お爺さんも同じ様に祠で手を合わせると暫くしてそれでは、と一言だけ残して帰りました。
旅館に戻っても、さっきお爺さんから聞いた話が頭から離れませんでした。
いつも出してくれるわけではありませんが、女将さんはまたあの煮付けを出してくれました。
Aは食べるつもりはありませんでしたが、Bは今日は煮付けを食べる事にしました。
美味しかったですとお皿を返しに行くBに女将さんは凄く喜んでいた様に思います。
そんな事があっても仕事をして、自由時間にはサーフィンをする毎日でした。

ですが日に日に、Bは様子がおかしくなっていきました。

普段仕事をしている時に苦しいと言い出します。
仕事を休む日も出てきて、周りも心配してくれたのか、色々気を使って話を聞いたりしてくれました。
前と同じだねぇと、仲居さんがいうので話を聞くと、前にバイトに来ていた同じ年頃の学生が、同じ様な様子で仕事が続けられなかったというのです。
Aは話を聞いている間、虫の煮付けの事がずっと気になっていました。
思い切って祠の事や祠であったお爺さんのこと、そこでみた虫のこと、そして女将さんが出してくれた、虫の煮付けのことを話してみました。
すると仲居さんが、少し驚いた様な表情をした後少し考え込んで、そうか、まだ…とポツリとこぼしました。
分からないから何とも言えないけど、女将さんはね、息子さんを亡くしているんだよ、海でね…
本当に何を考えているか分からないけど、私から女将さんに言っておくから早めにBに連れて帰りなさい、と言いました。
厚意に甘えて荷物を纏めていると、女将さんが挨拶に来ました。
バイトは半分程しか出来ていないですが、給料袋を持って来ました。こっちの責任もあるから、と多少色を付けてくれています。
寂しくなるね…という女将さんは、言葉とは裏腹に少し冷たい表情をしていました。
お世話になりました、とだけ伝えるとタクシーを旅館まで手配して、体調の優れないBをタクシーに乗せて出発しました。
病院に行こうかと進めても、気丈なBは断り続けるので、無理にでも連れて行こうと近くの病院までタクシーを走らせました。
が、病院で診てもらっても体調が優れない以外、特に異常のないBは心配しすぎたってと戯けます。
Aは地元に帰るとBを家族の元に送り届け、事情を説明し帰宅します。

Bは夏が終わる前に亡くなりました。

Aは言いようのない後悔や怒り、恐怖に身を悶えました。
バイトに誘わなければ、気味の悪い煮付けを食べなければ…食べるのを止めていれば、あの女将さんは何を考えていたんだ、ずっとそんな考えが逡巡します。

Bのお葬式が終わると、お斎(法要の後の食事)の時間になります、親族が和尚さんの周りを囲っていますが、何とか時間をいただき話を聞いてみました。
お坊さんは、ここでは…と言うので後に話を伺う約束だけ取り付けてその場は終わりました。

皆んなが解散してBくんのお母さんが、こちらに来ました。何かを察しているのか私にも一緒に話を聞かせてほしいと言うので、2人で話を聞きに行く事にしました。

和尚さんに事情を話すと、少しずつ話してくれました。
Bくんは、女将さんの息子さんと同じ場所にいます。
呪いが強すぎてどうにもならない、せめてもう少し早ければと、項垂れています。
貴方は少量だから今は危害を加えられる事はないかも知れないけれど、これを持ちなさいと御守りを持たせてくれました。

Bのお母さんはずっと泣いていました。

今思えばこの時、子を亡くした親の気持ちを深く考えていればと思いました。
Bのお母さんはBの死から一ヶ月もしないうちに亡くなりました。
その亡骸は壮絶でお葬式も親族ですら、見れないほどだったそうです。
Aは、BとBのお母さんにお線香をあげるために家に行きましたが、家に上がる事ができませんでした。
代わりにBのお父さんが近くのファミレスで話そうと言うので、それを承諾しました。

「AくんBと仲良くしてくれてありがとう、今は家の中がめちゃくちゃで家に入れてあげられないんだ」

事情を聞くとBのお母さんは何か呪術なのか儀式なのか分からないものをやっていたらしく、血は飛び散り、釘は色々なものに刺さり、よく分からない臓物や、動物の亡骸が至る所に飛び散っていると、何とも言えない苦い顔をしながら話してくれました。

もしもBのお父さんが事情を知ったらと思うと、何も言えず

「ご冥福をお祈りします、もしも手伝える事があったら遠慮なく言って下さい、家が片付いたらまた線香を上げに行ってもいいですか?」

何度もありがとう、と涙ながらに言うBのお父さんに頭を下げて帰りました。

今、あの女将さんが何処で、何をしているのか、どうなっているのかも知りません。
ただし人を呪わば穴二つ、決して幸せな生活は送っていないでしょう、最近ではそんな事を考えています。


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