見出し画像

「自由」をもたらすことができる人


5月は私の一番大好きな季節です。

吹く風は新緑の香りがして心地よく
お庭の木陰では、最近よく来る野良猫のクロがお昼寝を。

そしてひばりのさえずりが空高く響くから
私の心まで空に広がっていく。

何もしなくてもただただ幸せになれる
そんな5月に私はまた一つ年を重ねました。
お手入れ不足のお庭だけれど
ところどころに花を咲かせてくれていて
まるでお庭からお誕生日のプレゼントをもらっているよう。
ありがとうの気持ちを込めてもっとお手入れしなくては。

歳を重ねるごとに思うのだけれど
歳をとると、だんだん生きるのが楽になっていっています。
子どもの頃から感じてきた苦しさや辛さが
少しずつ溶けていくようです。

でもそれは私が少しずつ、自分を縛っていた
固定観念や思い込みを、もういいやって
手放してきたから。
「こうあるべき」や「〜するべき」を
一つずつ、やめてきたから。

たとえば

ちゃんときれいな部屋にしておかなくちゃ
毎日、掃除機をかけなくちゃ
ちゃんと手作りごはんを並べなくては

こういう、いわゆる良き嫁、良き母であろうとする自分を見つけては
そうじゃない自分、そうはいられない自分であることを許してきました。

たとえ「愛されないかもしれない」という恐れがでてきても、それに震える自分に寄り添いながら心が明るくいられるようにと歩を進めてきました。

「やりたいことをやる前に人生が終わって、
それで幸せだったと思えるの?」と問いかける。

そうすると
「そんな人生で終わる自分がかわいそう。
動けないでいる自分を、今こそ自由にしてあげよう」と心の中にかすかに響く声。

そうやって
やりたいこととやるべきことを天秤にかけ
その時とるべき行動を一つ一つを選択してきました。

誰かの役にたつ人間であることや
完璧にやりこなす自分を捨てて
自分の「自由」を選んできました。

「まあいいか」のおまじないを
味方にしながら。

こうしながらここまできて
今、はっきりと言えることは

この世界で自分を自由にできるのは
最終的には自分なんだということです。

畑がプチお花畑になりました


2月にはなんとエジプトに行くために
5泊?も家をあけたり。

「母ちゃん、ごはん作れなくてごめんよ〜。
夜、父ちゃんが帰ってくるまで一人にしてごめんね〜」と息子に言いながら
家がゴミだらけにならないかと不安を抱えつつも「良き母」であることを捨て海を渡りました。

ピラミッドの中は
やはりエネルギーがすごかった。

そして
ツタンカーメンのミイラに対面した時は
彼(ツタンカーメン)のエネルギーが胸にドンっときて
胸がかーっと熱くなり、涙がポロポロとこぼれ落ちる…という体験をしました。

ここだけの話…
「ミイラ」は生きてるっていう話もあったりするようで。

不思議だけれど
一瞬、心と心でつながった感覚が確かにありました。
ツタンカーメンさんと(笑)

こんな体感は、行かなくてはできなかった。


そして何よりエジプトへ行き
「行ける自分」に気がつけました。
どこにだって行ける自由を持っている自分に。
「私は家にいなくてはいけない」という自分の思い込みで縛られていたということに。

新しい職場の学校の桜


4月からはお仕事の日も一日増やしました。
お声がけをいただいた時は
やっぱり家事との両立、体力に不安があって
少しだけ迷ったけれど
「やってみたい」を優先しました。

今はまだ新しい生活に
心と身体を慣れさせているところ。
私にとっては家族との生活もお仕事も
どちらも大切だから、
私なりのバランスをみつけているところです。

散らかり具合を日々更新するお部屋を横目にみつつ、かたづけは週末やればいっか!と心でつぶやきながら

「おいしいもの食べに行こう!」と家族に明るく言い放ち

いろんな自分をぶっ壊しながら
新しい自分がひょっこり出てくるのを楽しみつつ日々を進んでいます。

そんな私に巻き込まれながらも
あたたかく見守ってくれている家族たちに
時々、ありがとうってつぶやきながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?