見出し画像

<前書き>
土曜日、愛媛FCは松本山雅に敗北。6ポイントマッチを落とし、昇格は相当厳しい状況に追い込まれました。
同時にSNSにネガティブな書き込みが激増しています。
昨日突然発生したような不満ではないのは自覚を含めよく理解できます。中には自分にはわからないことを御存じでいらっしゃる方も少なからずおられるため、根拠以上の確信を感じます。
他のことに比べたら愛媛FCに関する期待は「淡い」「ささやか」なものばかりなのに、それすら裏切られ続けているここ数年。
同じ愛媛FCの歴史を共有している方々の発言は軽いわけがなく、説得力も充分です。

今回突然noteを立ち上げたのは、周りはともかく、富山松本と雨の2試合のアウェイで声出し応援をし、不織布マスクが顔に張り付いて何度も窒息死しそうになりながら結局勝ち点0の私めが思うところを勝手に書き連ねるものとなっております。
いわゆる「おじさん構文」で大変恐縮です。
だって老害なんだもん。。。

試合後の写真は今後も撮っていきたいものです。


<自分のスタンス>
自分のいる場所はゴール裏。選手が「闘っている」ならば素直に応援していきたい。逆に選手が「闘っていない」と感じたなら容赦なく文句を言う。それがかわいいU18出身選手だろうが同様です。
これは昔からですが、「例えgive-and-takeとはいえ、愛媛の為に闘ってくれる選手は精いっぱい応援」したいんです。

次に、試合会場の空気は中継では伝わりません。
なので、それを正確に言語化する試みはチャレンジし甲斐はあっても私は成功した試しはありません。
人間の感情はみんな違うからです。
視覚情報からどのような感情が生まれるかは人間の主に後天的な経験により千差万別だという実体験もこの思いを補強します。
こんな自分に現場の空気感のレポートを求められても、切り取りの対象になったりミスリードになる可能性がありますので、あまりどうこう言うことはしないようにしています。「魂を受け取って」「自分の分も応援してください」という言葉をかたくなに拒否するのも、これらが理由です。
 応援したきゃ何とかして自分で行き、自分の言葉で思いを伝えていただきたいです。それがJリーグであるはずです。

「推しは推せる時に自分で推せ!」

<今自分が思うこと>
J3に長年いることは大変危険だということを少なからず感じている方は多数いらっしゃるのではないでしょうか?
経営面、競技レベル面、エンタメ面他様々なものがJ2とは大きな開きがあります。
対戦相手のクオリティなどで勝ってもがっかりする試合をいくつも見てきました。
そんな中、サポーターの中でどうやって楽しんでいくか、「行動する方々」によっていろんな試みが行われています。
勉強会。
ウォーキングバトル。
増え続ける選手ゲーフラやパイフラ。
フラッグで選手を迎える。
最たる行動はボランティアさんであることはいうまでもありません。
どうやって長く愛媛FCを楽しんでいくか。
あなたの心の中の愛媛FCは、上記に限らず行動されている方たちの愛によって形作られています。

 一方、その中で20~30代の輝く時間をサッカーに費やしている選手たち。
生活を賭けて(中には浪費している選手もいるかもしれませんが)愛媛FCで戦う選手。
松本では「絶対勝つ」「昇格は逃せない」という、溢れんばかりの選手の熱い思いが、普段の愛媛FCには見られないラフなプレーとして出た面を私は感じました。
(「最初からやれよ」とも思ってしまったくらい)

重要なことですが、「現場に来た人がどう感じたか?」
私は上記以外に理解をする必要性を感じません。
Jリーグは過去も現在も集客を前提としたエンターテインメントであり、未来もそうあってほしいと思うからです。
誤解を恐れずに言うと、私はオンラインで見るサッカーにあまり魅力を感じません。
もしJリーグも現地観戦という選択肢が無くなった場合、現地観戦を楽しめる別の何かを求めるでしょう。
元々自動車レースが大好きな自分です。
F1やMotoGPを見るためにあくせく働く生活だってイヤではありません。
Jリーグは年間に国内で1回しかないような世界選手権とは違い、敷居はそれらに比べて明らかに低いのですが、敷居が低い分、休日の1日を無駄にしてしまうリスクは高いものでもあります。(コスパが悪い、という言葉になるのかも。。。)

でも現地観戦した観客は、「時間の犠牲」という投資があるからこそ、さまざまな喜怒哀楽がスタジアムで発生し、その場にいる観客間で濃密な共有が発生し、そのことがスポーツ観戦が好きな人を一定数発生させることになっていると考えています。


松本駅の近くにある十割そば屋さん。十割そばでこんなにツヤツヤなのは初めてです。

話がだいぶ逸れました。。。
土曜日にアルウィンに行った私は、選手の躍動する姿や情熱に心と脳を動かされるのを自覚しながら闘うことが出来ました。
私の中ではこれがすべてです。
これだけの「配当」を得て松山に帰って来た自分に、諦めの感情を生む余地は全くありません。
「現状や結果にあえて目をつぶれば、J2のような試合だった。」いつもゴール裏で共に闘う仲間がDAZNで見た試合の感想は、私の感覚を保証するには充分すぎるものでした。
仮に遠征車が最後の最後にパンクし、ドナドナされていく姿に多少の哀愁と相応の爆笑を読んだとしても。


改めて思うのは、行動しなければ「やる気」は起きないということです。
「やる気がないので行動出来ない」のではありません。
これについては断言してもいいです。行動こそがやる気の源流です。
何かを犠牲に行動し、何らかの「配当」を得られる。
人生とはこの連続じゃないですか?思い当たる節はありませんか?
その「配当が「結果」や「形あるもの」であることよりも、もっと形の見えないものであることの方が貴重と感じ、より求められるものであるという感覚は、第1歩目を回避していると見えてこないものじゃないでしょうか?

何らかの理由で今年を諦めた方や、もっとクラブ内で深刻な問題を抱えていて「改善されないうちは困難」な事実をご存じの方の感情も否定はしません。自分もU18の試合が予定通りに行われ、アルウィンに行っていなければおそらくそっち側です。


試合後の夕食。通称「戒め飯」

令和の愛媛FCを楽しむ価値、というより、あなたが令和の世を楽しむための愛媛FCはまだ終わっていません。
週末の伊予決戦。
レディースの試合とのダブルヘッダー。
アオアシ聖地巡礼バスツアー。
スタジアムイベント。
楽しみにしています。
ベネフィットワンさんはファミリー含めて1200人以上の動員をされるとのこと。
何とか価値を創出し、何らからの配当を共有したいという思いを受け取りに行きます。

そして何より、選手が敗戦を受けてどう闘うのか。その「配当」が見たい。
今週もニンジニアスタジアムに向かいます。
選手が諦めたと感じた時点で諦めたらいいんじゃないですか?
あなたが愛媛FCに期待した、淡い淡い「配当」すら受け取っていないということであれば、試合後に諦めてもいいんじゃないでしょうか?

14時半  球技場でレディースキックオフ
16時半  レディース試合終了
17時過ぎ スタジアム前芝生広場でトップチームバス入場待ち。オレンジフラッグの海で選手を迎えましょう!

このころになると場内駐車場はいっぱいのはずです。
みんなで愛媛FCを支えましょう。あなたが愛媛FCに心を動かされたように、今辛い状況の選手の心を動かすことはできるはずです。


<おわりに>
試合後、最近ゴール裏前部に増えてきた20歳前後の情熱的なサポーターたちが流す大粒の涙や漏らす声を聞いていて確信しました。自分の仕事はもうすぐ終わると。彼らが土曜日に得たものを、週末の伊予決戦でどのように表現してくれるのでしょうか?本当に楽しみにしてます。


サックスブルーの空に映えるのはオレンジ
僕らの色は強い。さて僕ら自身はどうだろう?

とまあこんな感じで思うことをダラダラと書きました。
ここまで読んでいただいた奇特な方がいらっしゃいましたら是非ともご感想をお聞かせいただければと存じます。
貴重な時間をありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?