小説【間法物語】3 大人になることは、音を鳴らすこと。
【間法物語】
日本語人が古来より持っている「魔法」がある。 それは「間法」。
「間」の中にあるチカラを扱えるようになった時、「未知なる世界」の扉が開かれ、「未知」は、いつしか「道」となって導かれていく。
「間法使いへの道」を歩き始める僕の物語。
【PROFILE】
イエオカズキ 「間」と「日本語」の世界を探求し続けるストーリーエディター。エッセンシャル出版社価値創造部員。
サトルは、タネおじさんと話すのが好きだった。
サトルに、コトバの面白さを教えてくれたのは、タネおじさんだった。
タネおじさんは、バーテンダーをしながら、世界中を旅している、正真正銘のノマドだった。ノマドとは、遊牧民のことを言うんだけど、遊びながら旅をしている自分のことを、タネおじさんは、『遊旅民』と呼んでいた。
好きなときに、好きなところで、好きな人と、暮らしたい、若い頃にそう思ったから、だったら、世界を旅して生きていける、世界中で通用する職業を見つけようと考えて、タネおじさんが選んだのは、バーテンダーだった。偶然なる人との出会いが常にあり、期間にとらわれず気ままに移動しやすく、国籍も実績も一切関係なく、技術と人間性が通用する、バーテンダーという職業は、確かに、タネおじさんにとって、天職のようなものだった。
「いいか、サトル。世界中に、酒場がある。なぜ、人は、わざわざ酒場に行くと思う?家で飲めば安いのに、わざわざ、高い金を出してまで、バーに行く理由だ?
バーとは、「場」のことだ。イノチとイノチが出会うところ、それが『場』だ。BARって、スペルを見てごらん。そこに、「I」という人が入ると、どうなるか?BAIRになるだろう。
「I」とは、大人ということだ。
小文字の「i」じゃなくて、ちゃんと成人して、主語になるためには、大文字の「I」を使うんだ。人の通うバーには、BAとAIRがあるんだよ。人は、酒を飲みにバーに行くんじゃなくて、場の空気を求めてバーに行くんだ。
じゃあ、場の空気とは何か?それは、時間と空間という名の『間』のことなのさ。」
タネおじさんは、こんな風な感じで、時に図解入りで、英語やらドイツ語やらフランス語の説明をしながら、いろいろな話をしてくれる。どこまでが本当で、どこまでが作り話なのか、さっぱりわからなかったが、タネおじさんのコトバのシャワーは、いつも心地よく、サトルはすっかりイニシエーションを受けていた。サトルにとって、とにかく、タネおじさんは、カッコよかった。
「いいか、格好なんか、カッコつけるなよ。見た目の格好なんか、本当の大人は、スタイルとは呼ばないんだ。声、コトバ、考え方、見えないものにこそ、大人のスタイルは現れる。だから、サトル、大人になるなら、外側の格好なんてものより、内面のカッコをつけろよ。そのとき、絶対、( )は、つけちゃいけないぜ。何かを( )ツキで語るとき、そこには、必ず迷いという『間』が生まれてしまうからな。『迷い』は、『間がよい』という危険なフィールドに、人を誘い込んでしまう力があるんだ。」
「どうして、『間がよい』のが危険なの?なぜ、人は『間がよい』ところで迷ってしまうの?」
「それは、サトルへの宿題のようなものだから、俺が代わりに解いてあげることの出来ないものだけど、まあ、ヒントはやろう。」そう言って、タネおじさんは、目をつぶった。「どんなことでも、わからないときは、常にはじまりをイメージするんだ。コトバが生まれてきたときのことを、イメージしてごらん。誰か、最初に『よい』というコトバを使った人間がいるはずだよな。『よい』というコトバが生まれたその瞬間、同時に生まれてきた双子の兄弟が、実はいるんだよ。」
「つまり、『悪い』ってコトバ?」
「そうそう。サトル、話が早い。つまりは、そういうことだよ。良いということは、悪いということ。サトルが、何かに、『良い』と名前をつけたと同時に、もうひとつの『悪い』という名前も一緒に生まれているということだよ。そのふたつは、あまりにも似ているために、多くの人はすぐに間違って、どちらがどちらかわからなくなってしまうんだ。あまりに似ていて、まさか、自分たちが間違っているとは、疑いもしないから、多くの人は違うものを選んでいても、確認さえしない。だから、危険なんだ。」
サトルも、目をつぶってみた。途端に、タネおじさんの云わんとしている、双子の兄弟の微妙な縁が、イメージ出来はじめた。
「どうして、良いと悪いが似ているの?正反対だと思うけど。」
「いいか、サトル。一番遠いものは、一番近いもの、それがこの地球のルールだ。つまり、最も身近なものは、最も疎遠なものだってことだ。」
タネおじさんのコトバには、わかったようなわからないような、いつも?がつくような表現が多い。
「コトバは、一旦、名前をつけると、名前がついているものと名前がついていないものにも分かれていくんだ。名前と名後にも別れていくし、名横も名斜にも割かれていくんだ。名前というシステムは、ひとつのものをふたつ以上のものに分けていく方法なんだ。
ある大きなひとつのものを、小さく小さく細かく細かくしていくのが、名前をつけていくという行為のことだ。名前は、何かを選ぶというエキサイティングなアクションをとると同時に、その他の様々な可能性を潔く捨てるというアクションもとっているんだ。生命というのは、ひとつのことだけに専念するということが出来ないようになっている。どんなにシンプルなことでも、何かをしているとき、その裏には、様々なシステムが同時に動いているのさ。」
「名前をつけていくことって、とっても寂しいイメージがしてきたなあ。」
「寂しいがあるから、寂しくないという気持ちも生まれてくる。つながりたいという気持ちがあると、つながっていないという気持ちも同時に発生する。コトバというのは、音にして発した瞬間、無数に散らばっていくものだ。まあ、水の入った風船を、思いっきり、地面にぶつけて破裂させる・・・それが、『コトバにする』という、俺のイメージだな。」
何かと離れてしまう分離感があるなら、何かとつながっていく一体感も同時に生まれる。そして、その分離感と一体感は無数に枝分かれして、またつながり、広がっていく。そのプロセスを、迷い道の『迷路』と呼ぶか、命の道の『命路』と呼ぶか、人はそれぞれ試されている。
「僕は絶対、寂しいのは嫌だな。寂しいのは、とにかく、苦手だし、それは、なんとしても避けちゃうよ。」
「人が何かを強く思うとき、もうひとつのエネルギーも強く育てることになる。コトバはふたつでひとつの双子のエネルギー体なんだよ。全てを分けていくコトバがあるということは、全てをつなげていくコトバも同時にあるということだ。昔のニッポン人はな、ワビサビと言うコトバをよく使っていた。侘しい寂しいって感じるかもしれないけれど、俺はワビサビをこう書くんだよ。」
そう言って、タネおじさんは、『和美差微』と紙に書いた。
「和することを美しいと感じ、微細な違いにも差を見出す。
和と差・・・足し算と引き算を同時にうまく行なうテクニックのことを、ニッポンでは『ワザ』と呼ぶ。生きるのがとっても好きだという思いがあれば、それは同時に、死ぬのがとっても嫌いだという感情も育てているんだ。この双子のエネルギーをどうやって扱っていくか?それが、人間のワザの見せ所なんだ。さあ、サトルならどうする?」
生きる喜びを追求することが、死ぬことへの恐怖も、一緒に生み出している。
タネおじさんの話は、子供の頃から感じていた、あの、『間』に取り込まれていくような、だけど、包まれているようでもあるような、キモチイイまでの一種の壮大さを、サトルに感じさせるのだ。
「なるほど。これは、かなりの難問だね。どうやったら、僕のワザが使えるんだろう?」
「そうだな。ヒントは、母親を探すことだ。子供の回りに見当たらなくたって、母親はどこかにいる、それだけは間違いない。分子があるということは、必ず、分母もあるということだ。双子がいるのなら、必ず、母親も、存在する。やることやらなきゃ、子供は生まれない。それが、基本的な生命のプログラムになっているからな。」
「そこには、マホウを使えないの?」サトルがずっと知りたいと思っている『間法』には、生命のヒントが絶対にあるはずとにらんでいたので、すかさず、タネおじさんに質問してみる。
「たとえ、マホウを使ったとしてもさ、子供が生まれたのなら、そのマホウ使いが、子供の母親みたいなものだろう。生きることを喜ぶ。死ぬことを怖れる。その母親とは、何か?それが、俺からのヒントだよ。」
「わかった。考えてみるよ。」
「残念ながら、考えたって、絶対にわからないさ。」
「何だよ!!」
「ハハハ。OK。つまりさ、考えるんじゃなくて、見るってことなんだ。最初に考えては、絶対にわからない。世界をつかむために、順序はキモなんだ。大切なのは、考える前に、見ること。順序が違えば、すべてがひっくり返ってしまう。でも、今のままじゃ見えない。サトルは、まだ自分とコトバがつながっているままになっている。どこからがコトバでどこまでが自分か、その境界がまだ見えていないんだ。コトバと自分の『間』を見るためには、まずは、旅に出て、時間という『ヒマ』を作り出す必要があるのさ。そうしないと、サトルのワザは見えてこない。ヒマは暇そうに見えても、ヒマには秘密の間が隠されているから、世の中のいうことに騙されちゃいけない。」「旅に出て、タネおじさんは、いつも何をしているの?」「遊んでいるのさ。アソビながら、ワビサビを磨くのが、俺にとっての『タビ』だからね。タビは、俺の『BE』なんだ。」「僕にとっての、『BE』は何だろうな?」「それは、大人になるとき、わかるさ。」
タネおじさんは、にやりと笑いながら、ヒゲをさすり、サトルの耳元に口を近づけて、こう、つぶやいた。
「サトル、名前をつかめ。音にして鳴らせ。それが、大人になるということだ。」
(つづく)