多岐多端なんていう使わなそうな言葉を知った、10月前半の振り返り。
怒涛の10月前半が終わろうとしている。
それはちょうど、海外のハリケーンが猛烈に家々を吹き飛ばしていくのと同じくらいの怒涛だった。
んーー、それは少し盛りすぎでした。
まず、10月1日にヨルシカのライブを観た。
ここに書いたことがあるのかないのかはあまり覚えていないが、僕はヨルシカが結構前から好きだ。大学一年生の春頃から聴いているから、3年半といったところだろうか。
ベースラインからメロディ、そして歌詞に至るまで、僕の好みをドストライクで突いてくる。ドストライクというよりもド真ん中と言ったほうがいいかもしれない。例えるなら、トリプルAでギブソンジュニアを打ち取った時の茂野吾郎の100マイル直球ど真ん中くらいど真ん中だ。
感想をここに書くと、あり得ん長い上に支離滅裂になりそうなのでやめておくことにする。が、一つだけ言わせてほしい。ナブナが痩せて格好良くなっていた。弾き方も容姿も、見違えるほどに格好良くなっていた。スイは相変わらず可憐で、加えて歌声が透き通るくらい綺麗で明瞭で、そして凛としていた。楽器隊も多少の乱れは見えつつもそれぞれが半端なく上手い。そして、、、やめておこう。
10月4日、5日には旅行に行った。それほど遠くには行っていない。所謂小旅行というやつだ。これは本当に個人的すぎるので、本当に何も書かないことにする。
10月6日、ライブをした。
これは自分自身のライブだ。以前バンドをしていると書いたことがあると思うが、楽曲を制作して、サブスクに配信した。それに際して、というわけでもないのだが、配信を開始したミニアルバムの中の楽曲を演奏した。
やっぱりライブハウスのきちんとした音響でライブをするのは楽しい。そして何より、楽器は披露してなんぼなんだと再認識した。
練習をしていると、「上手くなりたい」という気持ちが先行して、メトロノームの檻に閉じ込められるようにして意識が内側へと収束していってしまう。でも、僕たちがやっているのは「上手くなる為の音楽」ではなくて、「人々に感動してもらう為の音楽」なんだと、久々にライブをして思うことができた。
これは良い収穫であった。
そして先日、10月8日、2度目のワクチンを打った。
今回は倒れなかった。そりゃそうだ。ベッドに寝た状態で打ってもらったのだから。
そして例に漏れず、熱が出た。久々の感覚に体が驚いたのか、高熱というよりは中熱と言ったほうがしっくりくるような体温であったにもかかわらず、全く動くことができなかった。
わりかし苦しかったのだけれど、いいこともあった。
幼少期の良い記憶が蘇ってきたのだ。小さい頃の僕にとって、病熱は、背中にある重荷は降ろすための免罪符だった。僕はそんな、「寄りかかってもいいんだよ」と言ってくれているような体の火照りが好きだった。
普段食べさせてもらえない桃の缶詰を食べさせてもらったり、学校を休んで笑っていいとも!を観たり、そしてそれらの状況に不調ながらも少しワクワクしていたり。
そんな純粋な気持ちが少しだけ蘇った。
この気持ちは忘れないうちに言語化して、メモ帳にでも書き留めて、幼い頃の記憶の残滓として心の周りに漂わせておきたいと思う。
こんな風に、僕の10月前半は驚くほどスピーディに、そして多岐多端に過ぎて行ったのでした。
なんかいつの間にか長袖着れるし、授業付いていけてねえけど、これから頑張ればいっか。
との言い訳を添えて。