ニート生活5
年齢を重ねるのが怖い。
21歳の誕生日に初めてそう思った。
僕の周りの大人達は皆「立派」だ。企業で働き、子供を2人か3人育てるだけのお金を稼ぎ、そして僕よりも2倍以上長いこと生きている。
そんな「立派」な大人達に囲まれて生きてきたからかどうかはわからないが、僕の中には「立派」に生きなければならないという強迫観念がある。
この「立派」というのは、お金を稼ぎ、結婚し、子供を育て、何年も何年も生き続けていること、とここでは定義させてほしい。(勝手で申し訳ない)
僕の持つこの強迫観念はとても厄介だ。
いかに途中で自分のやりたい事がわからなくなっても、何の疑問も抱かないようにして、勉強して大学に進学、就職活動をして企業に入るという道を僕に選ばせた。
(僕の考え得る中で、「立派」になるのに最も成功確率の高い道は進学→就職だったからだ。)
僕は来年から、両親や周りの大人達と同じように会社員になる。
紛れも無い、一般的なルート。敷かれたレールの上を歩いている人生だ。別に進学して就職して、の流れを悪いと言っているわけでは無い。もちろんそこには努力が多分に含まれている。それは僕も経験しているからわかる。
でも僕にとって、一般的というのが何だか嫌だった。つまらないとさえ思ってしまっていた。
幼稚な考えとはわかっていても、この考えを消すことが長いことできなかった。
そんな考えを持つ中、村上春樹の『風の歌を聴け』を読んだ。
僕はこの小説を読み終わって思った。
「一般的とかどうとか、この広い世界でそんなものどうだっていいのかもしれない」と。
そしてこうも思った。
「死ぬ前に何かを残そう」と。
それは遺伝子でもいいし、小説でもいい。音楽でもよければ、資産でもいいのかもしれない。
もちろん、いずれは無くなってしまう。でも少しでも残せるものがあればいいなと思った。
加えて僕は「綺麗な文章」を、残すものの中の一つにしたいと思った。それはこのようなWeb媒体でもよければ、友達への手紙でも良い。
そしてきっと文章とは、往々にして美化されがちな過去の経験から創り出されるものだ。
だったら過去を量産してそれらに時間というフィルターをかけて美しくしていこう。そして、それらをできるだけ残そう。
こんな風に思ったら歳を取るのが怖くなくなったし、レールに乗った人生も美しくなるのかもしれないと思うことができた。
まじで読んで良かった。