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ニート生活7

曜日感覚がない。
スマホ曰く、今日は月曜日らしい。
「日向坂で会いましょう」を観ながら翌日を憂いている来春からの自分の姿が鮮明にイメージできてしまう。

まあ、そんな本当に来るかもわからない来年の話をしていたって仕様が無いですよね、ということで。今の話をします。


今、ブックオフで本を5冊くらい買って、煙草を吸いながら「何から読もっかなあ」と考えている時が僕にとって一番ワクワクしている時間かもしれない。

脳死でバラエティ番組を観て、眠くなったら寝て、腹が減ったら飯を食う。
そんな生活の中で一つでもワクワクできる瞬間があるのは、もしかしたら僥倖であるのかもしれないけれど、昔はもうちょっと大きくワクワクしてたような気がする。

例えば、ゲームを買ってもらった時とか。
母親が運転する車の後部座席でボーッと外を眺めていたらトイザらスの看板が目に入る。そこで僕は、母親の機嫌をbetし賭けに出る。
「母さん、ゲームが欲しい」
僕のその言葉に母親は「は?」と剣のある声を出すが、あまりものをねだらない僕が急にそんなことを言い出すものだから、しかめ面をしつつもトイザらスが入っている商業施設の大きな駐車場に車を停めた。僕の「絶対に飽きないから」という言葉に騙され、母はドラゴンボールのゲームソフトを買ってくれた。
その時の僕は、家に1秒でも早く着けば良いと心から願ったし、今換算何十年分もの期待や高揚が小さな胸から溢れないように一生懸命だった。

それに比べて今はどうだ。ワクワクしてるか?
就職活動真っ只中、最終面接の結果が届くのを心待ちにしていた二ヶ月前は確かにそれに近い感覚が胸にあった。でも、いざ結果が届くと別にそこまで大きな喜びが波のように襲って来るわけでもなく、そこにはただ凪のような静けさが横たわっているだけだった。

ワクワクさせてくれよ!大人になっても!ワクワクしてえんだよ!
ワクワクできないなら大人になんてなりたくない!
うわあ!

この前、時間というフィルターをかけて過去を美しくしていきたい、なんて書いたけど、やっぱり今もあの期待と高揚とが入り混じったような純粋な胸の高鳴りを感じてみたいと思わずにはいられない。


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今、僕の目の前には宝の山がある。少ない光を反射してキラキラと輝くそれは、僕の心臓をこれでもかというくらい刺激する。息が自然と荒くなる。

この宝の山の一角を、持参した大きなボストンバッグ一杯に詰め込んで持ち帰ったら文句なしの大富豪だ。大きな家に住めるし、良い車にも乗れる。美味いお酒もご飯も、すき家の牛丼のようなノリで食べることができるようになる。それに多分モテる。

魅力的だ。

でもそれと同時に怖くもあった。
今までは西の空に孤独に浮かぶ夕陽みたいに思っていたものが、明日にはベッドの横に置いてあるポテトチップスのように感じられる?
じゃああの真っ直ぐに僕たちを照らす美しい夕陽はどこに行ってしまうの?

僕は何も手に取らず、帰路についた。途中ですき家の牛丼を食った。相変わらず美味い。すき家の創業者はラーメンを発明した人の次に天才だ。

僕は6畳一間の小さな木造アパートに住んでいる。
煙草をふかしながら僕は思う。

(今日はどの本を読もっかなあ)



あれ?なんか、今の生活悪くないかもな。

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