推しの結婚〜〇〇ロスについて考える〜
先日、星野源さんと新垣結衣さんの結婚が発表された。
世間は一気に祝福モード、ニュースでは速報が流れ、ワイドショーは二人の話で持ちきりだった。その陰で星野源さん、新垣結衣さんを推してきた人たちの“ロス”という現象もあちらこちらで見られた。
私はそのニュースを見ながら、「もし自分の推しが結婚したら私はどう思うんだろうか」と考えた。そして以前、自分も当時の推しが結婚してロスになった事をふと思い出した。
高校生の頃、私はロックにハマり、とある邦ロックバンドに首ったけだった。それはもう好きで好きで、学生だったのでライブこそ行けなかったものの、唯一無二の歌声を持っているボーカルの男性にとても憧れていた。毎日狂うほどそのバンドの曲を聴き、登下校にもiPodでリピートし、しまいには放送部の友人に頼んでお昼の放送で曲を流してもらった事もあった。それくらい好きだった。
ちなみに私は、“ファン“にはいくつかの層があると思っている。さまざまな分類があると思うが、私的には、この4つで分類できる事が多い。
①普通のファン
②ガチ恋ファン
③親目線ファン
④崇め奉り系ファン
①はそのまんまの意味である。普通に好きだよという感じのファン。②は本気で推しと恋愛、結婚をしたいと思っているファン。③は推しが幸せならそれで良いと思っているファン。母性が出まくっている。本当に推しのお母さんみたい。④はもはや推しは神だと思っているファン。この次元になると、もう生活が推しで回っている。
そして、当時の私は④だったのだと思う。
ファンになって一年ほど経ったある日、ボーカルの男性の結婚が急に発表された。私は愕然とした。もちろん祝福したい気持ちはあった。だけど、かなり落ち込んだ。いわゆるロス状態である。しかし、私はガチ恋ファンではなかったはずだった。なぜ、そんなに落ち込んだのだろうか。
今になって考えてみれば、きっと推しが単純に既婚者になった事が問題ではなく、そうなる事で何かが変わってしまうのを危惧していたから、私はロスになったのだと思う。
これは私だけの考え方なのかもしれないが、ずっと推しには“尖り”を持っていてほしいという願望があるのだ。ほら、どこかで聞いたことない?家族ができたり守るものができたら、丸くなってしまうって。
私は顕著にそれを感じてしまうタイプだ。例えば、推しが曲を作っていたとしたら、結婚後は優しい曲が多くなってしまったり、眼差しの鋭さが無くなってしまったり、危なっかしさが消えたり。それはそれで良いのかもしれないが、結婚する前から推しの事が好きだった身からすれば、応援するエンジンがかかりづらくなってしまう。
どれだけ強気な発言をしても既婚者、妻子持ち、家に帰れば笑って家族と団欒しながらご飯食べてるんだろうなぁと思うと、あまりにも現実味を帯びてしまうのだ。平気なファンも沢山いたが、私にはどうしても耐えられなかった。
最終的に、私の好きだったロックバンドは、本当にその一途を辿り、私は少しずつ彼らの音楽から離れていった。というか、私が聴けなくなってしまったのだ。ファンとして辛かった。でも聴くのも辛かった。本当にファンだったのだろうか、本当のファンなら聴くのが当たり前じゃないのか。そう思って自分を責めたりもした。やっとフラットな気持ちで聴けるようになったのは、それから5年くらい経った後だった。
きっと“結婚した推し”ではなくて、“結婚によって変わってしまう推し”に対して、私はロスを起こしていたのだろう。そういう人も少なくないんじゃないかな。
推しに自分の妄想や理想を押し付けるのは良くないと思うけど、やっぱり好きになった部分が変わってしまう事はつらい。結婚が悪い事ではなくて、変化が怖いんだろうな。
推し事は無理をしないのが一番。自分が笑って楽しめるように推しを応援していけたら良いね。
ちょっと纏まりが悪くなってきたので、今日はこのあたりで。