「タダ飯」は「タダ」ではない
経済学のテキストでは``There are no free lunch." とか「フリーランチはない」と呼ばれるエピソードがしばしば紹介されます。それが示す意味を簡単な例で考えてみたいと思います。
例えば、近所に新しくレストランがオープンしたとします。そのレストランでは、凄腕な有名なシェフによるランチが1万円で提供されています。
さぞや美味しいランチなのでしょう。そのランチを食べるには、他の1万円相当の買い物を諦めなければなりません。そのような犠牲を払うことなく、美味しいランチを食べられるなどという「うまい話」はありません。
ここで話を終えてしまうと、このエピソードの面白さは半減です。
さて、あなたに好意を寄せる人がそのレストランのランチを奢ってくれると誘ってくれたとします。この誘いを受ければ、あなたは1万円相当の買い物を我慢することなく、ランチを食べることができます。
「フリーランチ」はあったのでしょうか?
たとえ支払いはしなくても、ランチに行けば、あなたが好意を寄せる人に会うことができませんし、疲れた体を休めることもできなくなります。あなたはランチに行くことで、その時間で他にできたことを犠牲にしているのです。
``There are no free lunch."のエピソードが示しているのは「何かを選択したら必ず犠牲にされる選択がある」ということです。この「犠牲にされる選択」を費用とみなし、「費用のかからない(タダ)飯」はない、すなわち「フリーランチはない」と言われています。