日本の唱歌が好き 12歳の時点で好きだったので、あの頃から思うのはたった12年生きただけで、唱歌を懐かしいと思えるのは、DNAというものは侮れないということ 春になると好きな唱歌が溢れ出す 1ヶ月前、3月初旬は『早春賦』だった 春とは名ばかりで、寒さが身に染みる 鶯だって歌は覚えているけど、まだその時ではないと声を立てない 3月に入ったのに寒さが抜けない むしろ寒くなっているのではないかと思う 春が来ているというが、果たして今年は春が来るのであろうか 春の訪れを今か今
『さよならマエストロ』というドラマに出会って私の音楽愛は再熱した どれくらい再熱したかというと、「やっぱり音楽が好き!」と転職(?)を決意したくらい。 そして今は結果待ち 次に応募する会社も順次決めている 私はオーケストラを経験したことがない ピアノと吹奏楽と合唱だから、見事にオーケストラだけやっていない だけど、とっても好きだ あのチューニングの音 オーボエのAから音が広がっていく感じ なにか思い出せそうで思い出せない記憶を掴もうとする そう、そんな感じ そういえば
高三の時、ジョーン・バエズに出会った 晴れた日の午前中 オーケストラ部が遠征だったので、残った合唱部は泣く泣く授業を受けていた 演奏法、という担任の先生が様々な(おそらく自分好みな)音楽を垂れ流す時間 センスの良かった先生のおかげで、私はこの授業でたくさんの音楽に触れ、涙を流した 大袈裟でなく ジョーン・バエズ アメリカ フォークシンガー カントリー 反戦活動家 ドナドナ あの日、授業で聴こえてきたのは 『思い出のグリーングラス(Green Green Grass o
エッセイを書くのを趣味にしていたことがある エッセイを読まなくなったら、書くこともやめてしまった というより、書き方がわからなくなってしまったのだと思う 句読点、入れるかどうか 文体をどうするか そんなこと考えていると、親指が動かなくなってしまう またnoteに文章を投稿しようと思い立ったので、今後の目標は【背伸びをしないこと】にした これがまた難しい 等身大でいることの難しさよ 最近 [尊敬している人]について考える機会があった 何人も頭に浮かんできたけど、しっく
土肥へ旅行へ行ったのは、2年ほど前の話 弟が静岡の大学へ行っているので、会いに祖父母と母の車で出かけて行った まだ祖父も元気だった頃 目の前に海が広がる観光宿に泊まって美味しいご飯を食べた (それは、この本に書いてあるあの「薄い湯でも部屋付きの露天風呂をつけて」いる宿だったのかもしれない) この本の舞台は西伊豆の土肥であるが、それを明記していない(と思う) 「遠くに見える清水」や「金山」はデートでは行かないとか些細なところにヒントを隠して、あとはどの海の街にも通じる風景
ある日、「つぐみ 吉本ばなな」という走り書きを見つけた いつか誰かにおすすめしてもらったらしいのだが、私の友人は吉本ばななだけは全員好きなので心当たりがなさすぎる、いやありすぎて最早ない 皆好きな作家やジャンルが違うのに、吉本ばななは私の周りの人達の唯一の共通点になっている なぜ吉本ばななはこんなにも人気があるのだろうか いつも不思議に思うけれど、読んでみると「そうだったね」となる 例えば、眠れない夜に書き出した、ポエムを完成させてくれるところ あの瞬間、言葉にしたかっ