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『夜のピクニック』で学校生活を回顧した

 お久しぶりです。前回の記事から二か月も経っていました。
 逆に、二か月経ってまた書こうと思った自分を褒めてあげたいと思います。今回は、初めてですが小説の感想を書いてみます。
 少しでも興味をもった方がいらっしゃいましたら暇つぶしにでもどうぞ。

 先日、大学の図書館で恩田陸さんの『夜のピクニック』を借りた。図書館には同じく恩田陸さんの『六番目の小夜子』を借りるために行ったのだが近くにあった『夜のピクニック』も聞いたことある本だったし、あらすじが面白そうなので一緒に借りた。
 『夜のピクニック』の大まかなあらすじは、主人公である甲田貴子の高校では学年最後の行事として、80キロの道のりを生徒全員で歩く「歩行祭」というものがあり、3年の貴子はその高校生活最後の行事にとある賭けを抱いて参加するというものだ。
 
 ※ここから若干ネタバレが入るかもしれません。お気を付けを。

 この小説で私が特に印象的だったセリフが、貴子の友達でありアメリカへと行ってしまった榊杏奈がまだ同じ高校にいた時、歩行祭に参加した際に言ったもので

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。」
「どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。
」 

恩田陸 『夜のピクニック』31頁 7~8行目(新潮社、H18年)

というものである。
 杏奈は貴子の高校に来る前にもアメリカで生活していたため、日本の高校のこのような団体での行事をめずらしく、新鮮に感じてこのセリフを言ったのだが、日本から一度も出たことのない私もほんとにそう思う。
 読んでいる最中にこのセリフを見ても、さほど深くは考えなかったのだが、物語をすべて読み終わったあとにこのセリフをふと思い出した。

 学校というのはつくづく不思議な環境だと思う。偶然集まった同じ年齢の人間が似たような毎日を数年間だけ一緒に過ごす。そんな中でたまに行事があったりすると、クラスメイトの意外な一面が見られたり、話したことのなかった人と話す機会もできる。私自身、いまは大学生であり、クラス単位でなにかするということが無くなってしまった。そのため、このようなことを実感することはもうない。しかし、小中高と学生生活を送ってきたなかで、学校行事でなぜか印象に残っている瞬間は必ずあって今でも鮮明に思い出すことができる。あの時あいつがあんなこと言ってたなとか、あの子はあんな顔をしていたなとか特別な出来事でなくても思い出す。

 この物語の主人公である貴子は、クラスにどうしても話してみたかった人がいて歩行祭を通じて初めて目と目を合わせて話すことができた。
 歩行祭の最中は、とにかく歩くという行為しかしないため頭の中ではいろいろなことを考える日になるのかもしれない。主人公の貴子はもちろん、その他にも色々な生徒が出てくるのだが、それぞれが色んな事情や気持ちを抱えてこの歩行祭で自分自身と向き合うことになったのだろう。

 『夜のピクニック』はそんな高校生たちの不安定で未成熟な感情がとても繊細に描写されていた。この本を読み終わると、二度と戻ってこない高校生活をすごく尊いものに感じた。きっともう一生会わない人がたくさんいると思うとあの数年間を不思議に思う。高校だけでなく学校生活はイヤなこともたくさんあったけど、その後の人生に大きく、または小さくでも影響を与える出来事もたくさんあった。この小説はそれを思い出させてくれた一冊である。

 自分語りが多くなってしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。
 また書きたくなったら記事を書こうと思います。


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