地元と東京。
実家に帰って、そして東京に戻ってきた。
実家に帰る新幹線で窓から外を見ていると、静岡に入り始めるあたりから急に建物が減ってどーんと広い農地が出てくる。冬は黄土色のような地面が広がっていて、奥には山々が見える。すごいスピードで進んでいるはずの新幹線だけど、しばらく景色が変わらなかったりする。
地元の愛知に入ると、急にいろんな思い出が生々しく迫ってきた。景色と結びついた思い出は、出来事だけじゃなくて感情ごと呼び起こしてくる。
道の広さ、人の少なさ。空間がたくさんあるからこそ、人の感情がとても無防備で生々しい。誰かと2人きりになったとき、いつも周りは静かで、相手の感情や呼吸がよくわかる。誰にも見られていないのだから、それ以外の誰に向けて取り繕うこともない。そういう環境が、そこら中にある。
私が東京で親友を作れない理由は、こういうところなのかもしれない。地元は丸裸で逃げ場も少ないけれど、東京ではいつでも簡単に切り替えられる。周りのもので誤魔化すことができる。
愛知にいる時は、その丸裸な感じが安心だと思うし、一方で東京に来ると、放っておいてくれて安心だという気もする。
ようは長く過ごしている場所を不満に思い続けるのはマイナスなエネルギーをとても使うので、自動的にそうならないようにしているわけだ。
愛知で見たらあんなに怖くて寂しいはずのネオンの光も、東京では人気を感じて心強く思ったりする。
便利な生き物だなぁ。
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