下痢とガラスの目

ここ数年、腹を下すようになった。

何らかのそういった疾患か、メンタルか、ピロリ的なものか。
いずれにせよ事実として、脂汗にまみれ、のたうちまわり、壁を睨みながら夜明けを待つことを折々のルーティンとし、この頃を過ごしている。

今この時もその中で、夜が長いために、このような軟弱者のコンテンツに手を伸ばしてしまった。
だから、今後ここに戻ることはないだろうし、跡を濁さない鳥のように綺麗な話をしたい。


💩💩💩

先日、博多へ行った。
片付けるべき用事は建前で、久しぶりの人たちに会うための旅行だった。

目的のあの人との会話は、時折、俺にだけ効くある種の鮮烈なトリップ体験をもたらす。

その後はいつも、ニュータイプの存在への確信と共に、夢のような浮遊感が抜けずしばらくボンヤリ過ごすはめになるのだが、それについての深掘りはやめておく。
この直感を言葉にする技術は俺にはまだ無い。


👀👀👀


彼女はいつもワクワクする話をしてくれる。

曰く、ガラスには普通の人には見えない微細な孔が無数にあるという。
その孔を見る、限られた人のみがガラスの美を本質的に理解する。
そしてさらに限られた、その孔の先の煌めきを直感的に発見し、探究する人こそが芸術家なのだという。

これは事実に即した話なのか、もしくは何らかの神話か、象徴的な話なのか。
その時はよくわからなかった。

でも、別にそれはどれでも良かった。というか、俺にとってそれは問題ではなかった。
すなわち、その意味を直感的に理解したために自身に新しい地平が開いた感覚こそが魔法であり、ほかの様々はつまらない呪文でしかなかった。

ガラスの目、魂の松竹梅。

またもボンヤリさせられ、帰りのジェットスターに乗り込んだ。


🪽🪽🪽


午前四時前だがまだ腹痛は止まらない。

正露丸で腹は少しマシになったが39度近い熱は引かない。

苦痛のせいか頭の芯は妙に冴え、身体中の筋肉に余計なプロスタグランジンが暴れ回るのが分かる。
とにかく身体は熱く不快だが、だからこそ内界と外界の別がくっきりしてくる。
肉体の自然が生きようと頑張りすぎるために、際立つ身体性。

例のプロスタグランジンは俺の睾丸に到達したようだ。
睾丸は熱に弱い。だから外でぶらぶらしてる。

熱によって際立ったその身体性のために、睾丸にダメージが蓄積するのをひしひしと感じながら、その多孔性について想いを馳せる。

彼らにも見えない孔があることを強く感じつつ、最初で最後のノートを書きしるし、筆を置いてまたトイレに篭った。

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