記事を書くのを辞めるか続けるか。
私がこのnoteを始めて、書いた記事はそろそろ160記事ほどになる。
毎日連続更新は一度だけ0:00に更新してしまって40くらいで途切れてしまったので、120日連続更新だが、今年の3月31日。令和が発表される前日から毎日書いてきた。
ちなみに、このnoteのアドレスの後ろ「h310331」がこのnoteの生まれた日だ。
連続更新していく中で、辞めたいと思ったことは沢山ある。
辞め時もあった。
最初の連続更新が途切れた時。
100日連続で記事を更新した時。
パソコンが故障した時。
その他色々。
でも結局今日もこうして記事を書いている。
私自身なんでこんなに続けられているのだろうと不思議に思っている。
大学の共同プロジェクトという題をうっているので、責任感も多少あるかもしれない。
でもやっぱり一番続けられている理由は、「自分が書きたいから」だと思う。
「自分が書きたいから」続けていられるしか理由はないと思う。
でもそう思っている一方で、やっぱり「記事の辞め時」についても考えてしまう。
100日連続更新した時はもう辞める!と自分でも思っていたが、100日連続の記事を投稿したらハートマークがコメントが反響がいつもより多くついてしまった。
反響が多くあると「とりあえず次も書くか」と思うのが人間の性である。
あれよあれよという間に120日連続更新だ。120日連続更新ってことは3分の1年記事を書いていることになるし、120日連続なら150日まで行けるなと思ってしまう。
そして今は辞め時を完全に見失ってしまった状態に陥っている笑
でもやはり終わりは来るのだろうとも思う。
大学の共同プロジェクトという題でこのnoteを始めた以上、共同プロジェクトが終わればこのnoteを終えるだろう。或いは大学卒業のタイミングで終えるかもしれない。
少し勿体ない気もするが、結局このnoteのアカウントの寿命は最初から1年もないのだ。
そう思うといづれ終わるものを何故書いているのだろうとも思う。
いずれ終わるのに今書いていることは無駄なのではないかと。
人生に似ているかもしれない。
いずれ死ぬのに、何故生きるのかと。
いずれ終わるのに、何故記事を書くのかと。
でも人生に置き換えて考えてみるとしっくりきた。
いずれ死ぬけど、人生は生きるために生きているのだ。
全てのことは無駄かもしれない。でも無駄じゃないかもしれない。
記事を書くことも同じで、無駄かもしれないけど無駄じゃないかもしれない。
きっとそういうものなのだ。
だから、いづれこのnoteは終わるかもしれないけど、とりあえず今日も記事を書いてみようと思う。
「本日はここまで。」
今日もこの言葉を最後に書けた。