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1950年の県営富山野球場~プロ野球編~

高校野球編の続編です。

開業初年度の県営富山野球場ではプロ野球の試合も行われました。8月14日には南海ホークス(のちの福岡ソフトバンクホークス)対大映スターズ(千葉ロッテマリーンズの前身の一つ)の試合が北陸シリーズの3戦目として開催されましたが、この試合ではパ・リーグ発足後初の「事件」が起きています。それは南海の勝利が迫った9回裏に起きました。

南海が2点をリードして迎えた9回裏、大映は代打の滝田選手の二塁打を皮切りに無死2,3塁と一打同点のチャンスを作ることに成功する。ここで打席に入ったのは代打・板倉選手。センターに大飛球を放つと、これを南海の中堅手である黒田選手が好捕したかに見えた。しかし、長谷川塁審は「セーフ」と判定し、打球は二塁打となった。

 これに対し、南海の山本一人(山本は旧姓。のち鶴岡)監督が猛抗議。長谷川塁審との「捕った、捕らない」の議論は約40分間にも及んだとのことである。この状況に対し、角田球審はプレーの再開を宣告。しかしながら、ベンチに引き揚げた南海ナインが再びグラウンドに戻ることはなかった。これを受けて、当時の野球規則によって没収試合が宣告されたのである。なお、正式試合として認められるイニング(5回)を経過していたため、個人記録は宣告時点のものを適用、試合結果は大映の勝利となった。

スポーツナビの記事より引用

ちなみに、この時南海のセンターを守っていたのは黒田博樹さん(元・広島、ドジャース、ヤンキース)の父である黒田一博選手だったのですが。

この事件のポイントは以下の点でしょうか。

・この試合は審判が3人制であった
・塁審は1塁と3塁に置いており2塁塁審がいなかったため、センター方向の打球が見づらい状況にあった
・南海の鶴岡(当時の姓は山本)監督は選手兼任であり、セカンドを守っていたため打球を見やすい位置にいた

鶴岡監督も、後の資料では「審判が見るべき位置に行って確信のある判定を下せば、それに対して抗議は一応あったにしても放棄試合をするとまではならなかっただろう」とコメントしているとのことである。

スポーツナビの記事より引用

この時の南海は連敗中であり、この試合を落とせば5連敗になります。そういったチーム状況も徹底した抗議につながったのかもしれません。この試合を落とした南海ですが、連敗は最終的に引き分けを挟んで「7」まで伸びたのでした。

おわりに

高校野球でのファンによる審判の殴打、プロ野球での判定をめぐっておきた放棄試合…。それぞれ当時の事情や時代背景が深く関係した事件ではありましたが、普段何の気なしに通う地方球場でかつて球史に残る出来事があったというのは驚きでした。

県営富山野球場は今年で開業74年目を迎えます。スタンドの古さは否めませんが、スコアボードは更新され、グラウンドも十分な広さに拡張されています。これからも歴史に残る試合が行われることを期待しています。

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