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49? 閑話休題。行き詰まる。

 色々、投資詐欺かロマンス詐欺か、よくわからない混沌としたことを、後先関係なく書き記してきたものの、この数日は落ち着いている。

 ……厳密にいうと、落ち着いているのではなくて、行き詰まっている。

 果たしてこの数日、一日に何回「無理」と呟き、「死にたい」と呟き、「生きたいかなぁ、あと少し」と欲張ってみたりしたのか、もはやよく判っていない。

 宝くじに縋ろうとはしたものの、ぼくはいつも、一枚300円のものを10枚買えば、3,300円、一枚200円のものを10枚買うと2,200円……という具合に、いつもマイナスにはならないのだが、微々たるプラスが出るのがせいぜいである。(これでもすごいことだと言われることがある)

 ……ということは、一攫千金は狙えそうもないということを意味しているのかもしれない。

 しかし何かにつけて、何かを引く力は、若干まわりより強いのではないかと考えることはある。

 小説に限って言えば、直木賞の選考会の選考委員は複数名いらっしゃるが、司会は一人である。司会経験者は日本全国探しても、二十人いるかどうかではないかと思う。しかもこの司会は『オール讀物』という文芸雑誌の編集長でなければならないので(確か編集長。ただ他誌と違い発行人とか色々いらっしゃるようなので、記憶違いならすみません)、まず文藝春秋という大手出版社にいる人という絶対条件がこれにはつく。他の出版社の追随を許さないのだ。

 ぼくはその一人と、なぜか出会うことができた。
 いまも細々、お手紙のやり取りをさせていただいたり、昨年も上京の折は、好きな小説家についてご飯を味わいつつ、語り合ったりもした。
(もうかつて、生活保護を受けていたこともここに書いたのだから、そうなるまでの顛末を書いてもいいかなとは思う。これもなかなかな確率でした)

 あと、ある敬愛する作家さんの知り合いという方と、偶然、お知り合いになることもできた。近々、その作家さんのサイン本を知り合いさんに通じて依頼するつもりをしている。……が、ありがたいことに、その作家さんにもぼくは覚えられている。

 名前は書かないが、ぼくには尊敬する小説家が何人かいるが、ぼくは二人の小説家と編集者を介さず、手紙のやり取りをしている。なんと、こちらが出した手紙に作家直々にお返事を頂くことができたのだ。

(住所の記載付き。もらったこちらがびっくり。もちろん突撃したりはしません。そこは良識ある読者でありたい。Googleマップでも検索はしない。この意識が欠落した時が、ぼくの人間性の終わりだと考えている。しかしエッセイに書かれている範囲(たとえば○✖︎交差点、みたいな感じで)なら、そこは機会があれば訪れたいとは思う)

 のちに一人にはなぜ直接返事をくれたのか聞く機会があったが、「あなたの書く文章からは、ほんとうに私の作品が好きなのだということが伝わってくる。返事は書かずにはおれなかった」とのことだった。

 ちなみにメールの返信だけなら、さらに二人、来た。
 直接、小説家からメールなり、手紙がもらえる確率はどのくらいだろう。
 伝手とかなく、手紙のやり取りできる可能性はどのくらいだろう。
 覚えてもらえる可能性は……。

 いまだ、これを書きながらすごい確率だと驚嘆する次第。

 あとは……小説以外でいうと、100人くらいしか参加できなかった現在は引退したある大物歌手のラジオ公開録音に行くことができたりとか、最前列で4回崇めたりとか……。

 若干、人よりは何かを持っている、と自負している。
 残念ながら、今回は詐欺師を引き当ててしまった。
 そういう引きが強いのは、いらない。
 この詐欺師に出会うのも、なかなかな確率だと思う。

 個人的には宝くじで一攫千金をした日には、今度はこのnoteの主題すら変わってしまう可能性があるので、そこまでは望んでいない。
(ねぇ、借金にのたうち回っている人が、大金当てたなんて話、どこに需要がある??)

 しかし切実にいうなら、1000万当てたい(笑)
 このくらいならぼく、いけそうな気はするのだけど、お金は寂しがりやというので、きてくれないだろう。しかし今から結婚してああだこうだというよりは、こちらの方がぼくは強くイメージはできる。性的指向は関係ないところで、ぼくは早々とそう思っている節がある。見事に予言的中、30年前のぼく、すごい。

 つらつらと他愛無いことを書いているが、これまでの話をさらに進展させようとすると、ぼくの場合は以下の4つしか無い。任意整理はぼくの所得と借金額から、適さない。

1.前述の通り、何かしらの一発逆転イベントが発生。しかも本人が望んでいない形で起こりそうな確率高し。

2.保証人に頭を下げて、自己破産の連鎖をして完結する。その顛末を書く。

3.職場復帰か転職まではのらりくらりやりすごし、家だけは残す個人再生に舵を切るが、親戚は自己破産連鎖。

4.死ぬ。

 4の場合は、もう更新しようがないので、続けようがない。
 そのときはごめんちゃいということで。

 しかし1,2,3のいずれかなら、ことが動けば、そのことを随時、記録がてら書いていくのだろう。

 しかし2,3は正直なところ、その道に舵をきったところで、認められるかどうかは別問題である。

 なぜなら仮想通貨は、現金換算と同じだというのが、カード会社の認識だからだ。規約違反だから、そんなの応じませんよと言われたら、ぼくは4を選んで、未だ相手をしてくれない大阪府警に見つけてもらうしかないだろう。
(そんなことが起こったら、それこそ大阪府警の力が及ばないところでやってやる。でも追い返された形の人間が死体になっていたら、どう思うのか、その心境は興味がある)

 かといって、使えない大金が舞いこんできても、それはそれで困る。
 根が貧乏性なのだ。
 つまるところ、お金があると、不幸の9割は回避できるが、あったらあったで不安が尽きない、あるいはもっともっと、と思うのが、お金の本質かもしれない。捉えどころがない、麻薬に似たものとでも言おうか。

 金額の多寡で府警が被害届受理を渋っていると思いたくはないが、ニュースを見ているとぼくより少ない額でニュースになる人もいるにはいる。しかしけっこう、ぼくより多い金額を持って行かれた人もいる。

 ロマンス詐欺だとか投資詐欺だとか、数多の詐欺が横行するが、詐欺の本質は相手の「お金に対する不安」につけ込む、この一点に尽きるのだろう。
 ぼくもその一人だ。少なくともお金が見掛け上増えたときは、やったー、これで奨学金を返し終えるかもと思えてしまったし、もっともっと、と思ってしまった。

 その結果、私の命の値段は500万と算出されたわけである。

 先のことは進展があれば、追記したい。
 何も起こらないなら、何も起こらない日常を書くもよし。

 もういくら考えても四つしか考えが浮かばないのなら、仕方のない話である。

 今日は一段と寒い。
 こんな時に、森高千里のこの曲を聞くと、心がより冷えこみます。
 というわけで、最後に、森高千里の『SNOW AGAIN』をどうぞ。
 ……猫の日だろうというツッコミは無しで。

 ほんとうは映画を観て、奈良に行ったことを書こうとしたのに、ぐだぐだ書いていたら、こんなことに……(>_<)

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